物理学が一つの見解に至らなくても、実験や経験は普遍的に累積するだろうか?手法の違う経験結果が矛盾していてもそれは経験として一つのことだろうか?それとも多世界の経験として放置すべきだろうか?
ちょっと難しいが、経験とは物理的可能性の時系列整列情報に過ぎない。個別の経験は無限に分岐する可能性の一つであって、選択しなかった補分岐集合もこの世界の一部である。科学の経験主義は実験主義であり選択した経験の分岐方法を他の経験がよく再現するかどうかを基準とした法則実在という思考である。このような実証的経験主義は補分岐集合(開かなかった本のページ)には関心がない。法則実在論だから経験しなかった情報の集合もその均質に延長可能な法則の一部であると考えた。素朴にはそれで良かったが、ヤングが二重スリット実験操作をして粒子の波動性を見つけた時、科学者はもっと真剣に悩むべきだった。補分岐集合は粒子であれ波動であれ実在するが、経験の因果律と無縁とするのは完全な誤りである。
例えばベルの不等式を量子論が破る、という事実がある。つまり局所実在性一般と言う素朴な経験確信は誤りではないが、消極的に量子論に実在を拡張できるだけでなく、拡張しなければならないとなったとき(2022年)まで50年かかった。
経験していない補分岐集合はそのような素朴実在を疑う契機となる。分岐して今の自分(時間的局所)に影響がない過去の補分岐集合がある範囲で今に及ぶことが普通でなかったとしたら、開かなかった本のページからなる「本」全体の因果律を否定しなければならなくなる。今の自分という時間的局所は今開いてるページに過ぎない。「本」全体の因果律に関しては、以前の考察を参照『人間はだれしもが無自覚ながら無限の智の世界と連結している。無規定なものを有限化して、一瞬垣間見た世界を時に技術体系に、時に精神の糧として利用している。』(岡山)
現代の物理学において、いくつかの領域でお互いに矛盾する理論を支持する実験結果が存在することがあります。特に顕著なのは次の2つの理論分野です。
1. **量子力学と一般相対性理論の対立**:
- **量子力学**は微小スケール(例えば原子や素粒子の世界)で非常に高い精度で実験結果と一致しており、これに基づく数々の技術(例えば半導体やレーザー技術など)が実際に存在します。
- 一方、**一般相対性理論**は大規模なスケール(例えば天体の運動やブラックホールの挙動)について非常に成功しており、宇宙論や天文学において広く受け入れられています。
- しかし、これら二つの理論が適用されるスケールが異なるため、両者を一貫して統合する理論(量子重力理論)はまだ確立されていません。例えば、ブラックホールの中心の特異点やビッグバンの初期状態の記述など、非常に小さいスケールかつ強い重力場の状況では、現行の理論は矛盾を含むことがあります。
2. **疎外項に関する矛盾**:
- 素粒子物理学の標準モデルは、多くの実験結果を非常に精度高く説明しています。しかし、特定の**実験結果**が標準モデルと若干の矛盾を示すことがあります。例えば、最近のミューオンg-2実験(ミューオンの異常磁気モーメントの測定)では、標準モデルの予測と実験結果の間に小さな差が認識されています。この差は、新しい物理(例えば超対称性など)の存在を示唆しているかもしれませんが、現段階では確定的な結論には至っていません。
これらの矛盾や未解決の問題は、物理学におけるさらなる研究の動機となっており、新しい理論や実験技術の開発を促しています。将来的には、このような矛盾が解決され、統一された理論が確立されることを期待しています。
以前の考察
『我々が今幻想と引き換えに《今》の本来の意識世界を失う』(岡山)に示した《今》は今幻想に答えが収束する前の多世界(パラレルワールド)の中と此処との同時にまたぐ確定しない《今》として見直してみたのだが、既に考えた人ドイチュさんやエヴェレットさんがいたんだね。
私は観察者と観察対象が同じ物理過程の原理を共有しているという地平を拓いた先駆者たちの遠慮がちな偉業に驚いてしまった。さらにWoottersのリアルな思考実験で思いもかけない論理的結論に遭遇する。
私は観察者と観察対象が同じ物理過程の原理を共有しているという地平を拓いた先駆者たちの遠慮がちな偉業に驚いてしまった。さらにWoottersのリアルな思考実験で思いもかけない論理的結論に遭遇する。
A. Peres and W. K. Wootters, “Optimal Detection of Quantum Information,” Phys. Rev. Lett. 66, 1119-1122 (1991).
W. K. Wootters, "Statistical Distance and Hilbert Space," Phys. Rev. D 23, 357 (1981).
W. K. Wootters and W. H. Zurek, "A Single Quantum Cannot Be Cloned," Nature 299, 802 (1982).
つまり量子論を経ずとも系の状態の数を最大にするように条件式を与えれば、量子論と同じ結論式が導かれるという驚くべき超原理が人類の前に頭を出したということ。これで理解できた。『人間はだれしもが無自覚ながら無限の智の世界と連結している。無規定なものを有限化して、一瞬垣間見た世界を時に技術体系に、時に精神の糧として利用している。』(岡山)無限の智慧は認識主体の状態の数を彼我に囚われずに最大にした時に降りてくる。
この2つをあわせ見るならば、理論はそれを認識する計算方法の物理過程の制限を受けているのであり、もし線形重ね合わせを我々の思考の前提とするならば、全く違う次元で拡張された物理学が開拓可能であるという驚きの地平が広がる。冒頭の私の雑な直感は多重パラレル宇宙を前提としてみれば、ごく自然に無限の慣性系が無限の自由度で共存しても問題なく絵が収まる。しかし認識主体を含む物理学はまだ始まったばかり。
W. K. Wootters, "Statistical Distance and Hilbert Space," Phys. Rev. D 23, 357 (1981).
W. K. Wootters and W. H. Zurek, "A Single Quantum Cannot Be Cloned," Nature 299, 802 (1982).
つまり量子論を経ずとも系の状態の数を最大にするように条件式を与えれば、量子論と同じ結論式が導かれるという驚くべき超原理が人類の前に頭を出したということ。これで理解できた。『人間はだれしもが無自覚ながら無限の智の世界と連結している。無規定なものを有限化して、一瞬垣間見た世界を時に技術体系に、時に精神の糧として利用している。』(岡山)無限の智慧は認識主体の状態の数を彼我に囚われずに最大にした時に降りてくる。
この2つをあわせ見るならば、理論はそれを認識する計算方法の物理過程の制限を受けているのであり、もし線形重ね合わせを我々の思考の前提とするならば、全く違う次元で拡張された物理学が開拓可能であるという驚きの地平が広がる。冒頭の私の雑な直感は多重パラレル宇宙を前提としてみれば、ごく自然に無限の慣性系が無限の自由度で共存しても問題なく絵が収まる。しかし認識主体を含む物理学はまだ始まったばかり。