一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓘ-12.映画;「コーヒーが冷めないうちに」(1/2)~見るきっかけとあらすじ 

2022-12-16 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

※ 2018.10/30のこと。9月21日から公開された映画「コーヒーが冷めないうちに」を見ました。これは、「日日是好日」の映画を見たときの予告編で、コーヒーを淹れるシーンがでてきたのがきっかけです。ストリーは現実的でなく、”もし”といった仮定法で展開されますが、心のもち方や考え方にいろいろな角度から示唆に含んだ内容になっています。


 喫茶「フニクリフニクラ」には、奇妙な都市伝説!があり、「ある席に座ると、望んだ日時に行くことができる」という。そんなうわさがあるので、大勢の人が各々の想いや願いを持って過去に戻ろうと訪れます。そこには5つの条件=ルールがー。

❶ 過去に戻って、どんな事をしても、現実(未来)は変わらない。
❷ 過去に戻れる席には先客がいる。その席に座れるのは、その先
  客が席を立った時だけ。
       
❸ 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでからそのコーヒーが冷めてしまう間だけ。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなければならない。
❹ 過去に戻っても、そのまま喫茶店を出る事はできない。   
❺ 過去に戻ってもこの喫茶店を訪れた事のない人は会えない。
 

 この喫茶店に来て過去に戻ろうとする人は、過去に戻って現実変えようという目的がある人ばかりです。      

   ❶の「過去に戻っても現実が変わらない」のでは意味がありま
せん。このことを知りチャレンジしない人も当然います。
      ❷の過去に戻れる席には特定の人が年中!(実は主人公;数の
  母。コーヒーが冷めても過去に居たので幽霊になったー)座
っていて、その人がトイレに立つときがチャンスなのです。
   ❸の過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでからその
    人が戻るまでの短い時間で、コーヒーが冷めないうちに飲み
  干さなければなりません。何℃までかわかりませんがー。
  ❹は、過去に戻った状態では、この喫茶店を出れないこと。
    ❺は、この喫茶店に来た人(お客)としか会うことができないこと。
※他にもいくつかルールがあります。


 映画では、4人が時間を移動します。過去は変えられないことを理解したうえで、会うことができなくなった人にもう一度会いに行きます。まあ、おとぎ話のような話ですが、さて、自分だったら誰と…、と考えながらー。なお、この映画は4つの短編で構成されています。

 ~原作と映画の内容が違う箇所が多々ありますが、映画のあらすじに従って~

   第1話「恋人」 結婚を考えていた女性と米国に行く彼の話
 第2話「夫婦」 記憶が消えていく妻と看護士の夫との話
  第3話「姉妹」 家出した姉と交通事故で亡くなった妹の話
 第4話「親子」 この喫茶店で働く主人公;数と母親の話 

 さて、時空を超えて移動できるその席には、みんなに見える幽霊!の数のお母さんがいつも座っています。お母さんは、この席に座ってコーヒーを飲んだのですが、コーヒーが冷めないうちに飲み干さなかったので幽霊になったのです。そのため、数は、過去に戻ってお母さんに遭い、どうして「コーヒーが冷めないうちに」飲み干さなかったのか聞いてみたい気持ちが強くありました。
しかし、数が過去の世界に行くには、時田家の血を継ぐ人間の淹れるコーヒーを飲まなければなりません。お父さんもお母さんも亡くなった今、自分にコーヒーを入れてくれる時田家の人間はいないのです。さてどうするか、思案します。

      

 数には、その時、交際していた恋人=新谷くんとの子供を妊娠していました。そこで、彼のアイディアでその子にコーヒーを淹れてもらい、お母さんと遭うことにしました。映画では、いつも数のお母さんが座っていた席に、なぜか、中学生の女の子が座っていて、数(=女の子から見るとお母さん)にコーヒーを飲むことを促します。数は、とまどいを感じながらも、コーヒーを口にします。


 遂に、数は母さんと遭えました。お母さんは生まれつき心臓が弱いため、死も覚悟で赤ちゃん=数を産みました。間もなく余命3か月と宣告され、娘の成長を見届けられないことに気になり、幼い娘=数に淹れてもらったコーヒーを飲んで「未来」に行き、娘=数と遭ったのです。もちろん、数は、そのことを知る由もありません。数は、お母さんがコーヒーを飲み干さなかったのは、自分のことでなく、お父さんと遭ったもの!と、思い込んでいたのです。

   
 
 コーヒーの冷めてしまう時間は、何分だろう。せっかくお母さんに遭え、盛りだくさんの話をしたいのに温度計のアラーム音が無常に鳴り響きます。このアラームが止まる前に注がれたコーヒーを全部飲み干さなければ、現実に戻ることができません。急げ、数! ~ハラハラドキドキのシーンです~
 数がお母さんに言った言葉、「お母さん、どうして戻ってこなかったの!?」「どうして、私を置いていったの!?」、とのやり取りから、数は、過去のお母さんとの話し合いで、心の底から娘=数の健やかな成長を切に願う母親の愛情を受け止めたのです。しかし、数としてはもっともっとお母さんと話したいのですが、時間が刻々と迫ってきます。急げ、急げ、数!

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Ⓘ-11.映画「道」から学ぶ(2/2)~生き方;映画の主題は?★

2022-12-10 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 10歳の頃の典子は、この映画のよさがわからなかったが、20になって見たとき、30になったときでは、この映画の見方も違ったものになってきます。私も、この映画の見方が変わってきました。今は、この映画の主題は、ザンパノとジェルソミナの愛をテーマにしているーと。

  迷い道、回り道、されど我が道か!? これも彼の歩んだ道。歳を重ね、彼女のことをいつも気にかけ・思い、死んだ!とわかって気付いたのです。泣いても、叫んでも、悔やんでも、時は戻らず。彼女は、サンパノにとって、無くてはならない大きな存在になっていたのです。自分は何の役にもたっていないと思っていた彼女は、ザンパノの大きな支えとなり愛されていたのです。         


この映画のもう一つのテーマは、
人間としての存在価値・意義についてです。ザンパノが警察に拘留された夜、綱渡り芸人イル・マットとジェルソミナが話し合うシーンを回想します。
 

 イル・マットは、自信を失っている彼女に、世の中のものは、石ころでも何かの役にたっている。空の星だって、お前だって、役に立っている。この小石にも価値がある。もし、この小石に価値がないとしたらこの世界には価値あるものなど一つもない-と。彼が足下の小石を拾い彼女に渡し、彼女がその石を見つめた瞬間、心に落ちるもの(=悟り)がありました。

  彼女が小石をじっと見、「そうだ自分も、世の、いやザンパノの役に立っている!」と、薄明りのなかで目に涙いっぱいで表現します。このことは、ザンパノは知る由もありません。

パッピーエンドで終わらない映画だからこそ、アレコレ余韻が残ります。ジェルソミナの不幸な運命には同情しますが、ザンパノの歩んだ道も不運でした。これも、ある二人の「ある愛の物語」! で、何か、深く・重く語りかけてくれるような映画でもありました。


ジェルソミナ役の”マシーナ”のこと

 ジェルソミナ役を演じた”ジュリエッタ・マシーナ”が何歳で出演していたのか、と興味を持ちました。顔の表情やしぐさなどから十代の少女のようだし、体型や動き、演技のうまさから成人女性でもあるようだしー、と思い調べてみました。     
                 ナント、33歳!
 1921年生れの彼女がこの「道」に出演し、映画が封切られたのが1954年ですから、32~33歳。大学教授の娘として文学を学んでいましたが途中演劇に転向。ローマ大学で学び、1943年(22歳)、ラジオに出演していた時、そのラジオドラマの脚本を書いたフェリーニと出会い、同年結婚。映画初出演は、他監督の作品であるが、「戦火のかなた」(1946年公開。25歳)。                   

 その後、フェリーニ作品だけでなく幅広く活躍しましたが、やはりマシーナの魅力はフェリーニ作品との評価です。「カビリアの夜」で娼婦を演じ国際映画祭で女優賞を受賞。1970年代以降、女優活動から遠ざかっていましたが、1980年代に再登場とのこと。フェリーニとは1993年に病死するまで連れ添い、マシーナが肺がんで他界。フェリーニの死から5ヶ月後(73歳)。



 マシーナの素晴らしさは、知能の少し劣る少女という役柄の悲しそうな表情や嬉しそうな表情、絶望の表情など感情の起伏を、語らずして見るものにわかせるような演技力です。実に国や人種が違い、言語が違えども、気持ちや感情表現は変わらなく伝わるものも変わらないものと強く感じました。

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Ⓘ-10.映画 「道」から学ぶ (1/2)~ストーリー

2022-12-09 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 樹木希林さんがお茶の師匠として出演した「日々是好日」の映画で、フェリーニ監督の「道」(1954年)が話題になりました。劇中、主人公の典子が、 世の中にはすぐわかることと、すぐわからないことの2種類がある。すぐわからないものは、長い時間かけて少しずつわかってくる。お茶をはじめて24年。・・・そういうことだったのか!
 
 
10歳の頃、典子はこの「道」に出合うのですが、その後、見返すとそ
の見方・見え方が変わっていったというエピソードがありました。トシを重ね、いろいろ体験・経験を積んでいくと、今まで見えなかった=気づかなかったことがわかるというものだと。
 ズーッと昔々、私もこの映画を見たことがあります。しかし、ストリーの記憶は曖昧です。ある日、気が向きDVDをレンタルしました。十分トシを重ねた今の自分がみたら何を感じ、どう考えるだろうか。マ、気楽な人体実験!みたいなものです。今回も、あえて自分に負荷をかけ、感想をまとめておこうとトライすることにー。
      

 イタリア語の「La Strada」は、日本語訳すると「道」。この映画にフィットするいいタイトル、といつも思います。内容は、力持ちの大道芸人ザンパノと彼に買われたジェルソミナが、大道芸で生計を立てながらオート三輪で、旅から旅への生活の中で起きる波乱万丈の人生ドラマです。国
が違い、時代背景も異なり、職種も特異な世界。さて、この映画の主題は何だろうか?とも。

 ストーリー 

【1】主人公;ジェルソミーナは、イタリアの海辺の貧しい家に暮らしていた。母は、大道芸人;ザンパノに買われ彼の助手をしていた姉が死んでしまったので、姉の代わりに彼女を僅かな金で売ってしまう。彼女は、ザンパノのオート三輪に乗り込む。
★ ザンパノは屈強な体の男で、胸部に巻いた鎖を胸筋だけで切るといった芸で稼いでいた。彼女は、サンパノから客の呼び込み方や太鼓の叩き方を習い、道化師としてザンパノの助手になる。さらに男女の関係も強要されるが、彼女は黙って耐えていた。
 
★ 稼ぎがいいときは、ザンパノはレストランで食事をさせてくれる。彼女はそのような暮らしにも慣れ、ザンパノの女房役に幸福さえ感じていた。しかし、ザンパノは行きずりの女と寝る時は、平気で彼女を置き去りにしてしまう。彼女はそれがとても悲しかった。
 

【2】彼女が自分の悲しみを訴えてもザンパノには伝わらない。ただ、“一緒にいたいならつまらんことを言うな”と怒られるだけだった。
 ★ ある結婚式で芸を披露した2人は使用人の女性に食事をふるまってもらう。ザンパノはその女性とどこかへ行き、帽子や服をもらって上機嫌で帰ってくる。あまりの孤独と悲しみに耐えられなくなった彼女は、ザンパノのもとを去る。その途中、大きなお祭りで、綱渡り芸人;イル・マットの芸に出合う。
 ★ 祭りが終わっても、彼女には行くあてはない。そこに、彼女を探していたザンパノがやってくる。彼女は“行きたくない”とスネルが、結局ザンパノの三輪車に乗り込む。
 ★ ザンパノと彼女はサーカス団で使ってもらえることに。そのサーカスにはイル・マットがいた。彼とザンパノは昔からの知り合いだが、馬が合わなく、ザンパノの芸に茶々を入れ、笑い者にする。他のことでも、いつも彼はザンパノを執拗にからかう 


【3】翌日、彼女はイル・マットのバイオリンのメロディを耳にし彼の所へ行き、芸を教えてもらう。そこにザンパノが来て彼女を連れ戻すとき、イザコザがあり、彼がバケツの水をかけたので本気で怒りナイフを持って追いかけ、この騒ぎでザンパノは拘留される。サーカスの団長は、彼女に一緒に来てもいいと言ってくれるが、彼女は迷っていた。
★ その夜、彼女は彼と話し込む。彼女は、自分を無意味な存在で、生きるのが嫌になっていた。彼は、「ただの小石でもこの世にあるものは何かの役に立つ」と話してくれ、相棒にならないかと彼女を誘う。しかし、彼女は、ザンパノが惚れていることがわかり、ザンパノを憐れむ。彼女は、自分がいないとザンパノは独りぼっちになってしまうのだと。
★ 彼は、彼女に自分のネックレスを与え去っていく。彼女は涙いっぱいで彼を見送る。そして、警察の前で待っていた彼女は、釈放されたザンパノに黙ってついていく。

4】彼女は、いつもイル・マットがヒイていた曲をラッパで吹いていた。修道院に泊めてもらった夜、彼女は、ザンパノに少しは自分を好きなのか聞いてみる。だが、ザンパノは答えない。それどころか世話になった修道院で泥棒をしろと言われ、彼女は傷つく。
★ある日、ザンパノは田舎道で車のパンク修理中のイル・マットと再会する。彼は、サンパノに陽気に声をかけるが、あの時の恨みから殴ったところ、彼女の目の前で死んでしまう。ショックで彼女は正気を失い、彼女は食事もとらずに泣き続ける。
★ 大道芸の途中でも、“彼の様子が変よ ザンパノ!”と口走り、突然泣き出すこともー。しばらく二人で旅を続けるが、ザンパノは、そんな彼女を持て余すようになり、野宿先で眠つていた彼女を置き去りにする。少々のお金とラッパを彼女の傍に置いてー。
                 
【5】ザンパノは、ある港町であの悲しい曲を耳にする。もしや!?と。その曲を口ずさんでいた女性は、数年前、頭の少しおかしい娘がいつもラッパで吹いていた曲で、その娘はしばらくして死んだという。そのことを聞きザンパノに大きな衝撃が走る。
★ その夜、ザンパノは飲みに飲み泥酔し、遂に酒場から追い出される。“誰もいなくても平気だ”と言いながら、海辺に行き、一人で泣き崩れる

※ ザンパノはこれから如何に…。

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Ⓘ-9.映画;「日日是好日」から学ぶ(2/2)~心のもち方

2022-12-03 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
武田先生の家に飾ってあった横書きの額;「日日是好日」が、
映画の中で何度かクローズアップされました。
額装「日々是好日」安藤徳祥作 モダン 掛軸 販売 床の間
   「日日是好日」とは、毎日(日日)が、いいこと(好日)があり、穏やかに過ごせたらイイな、といった解釈もできます。いいことがなくても悪いこと(=悪日)のない普通の日でも いいのですが、このことは誰もが想い・願うことです。しかし、このことばは禅宗の教えからきているので、もっと深い意味があるようです。映画の中でどのように表されるのか、興味を持って見守っていました。

  このことは~、
 「今の世の中(自分をも含め-)何が起きるかわからない、
  毎年同じことができることが幸せなんだな~と声を詰まらせ少し
興奮気味に言ったセリフに垣間見ることができるかと。先生が、しみじみわかった=悟ったことを口にした場面が主題なのかなと。昨日と同じ今日、今日と同じ明日がくることのありがたさ、そして季節が廻り、また昨年と同じ今年、今年と同じ来年がくることの感謝の気持ちを、とりわけトシを重ねていくことにより体感・実感としてわかること、ここに「日日是好日」の答えがありそうです。世の中にはすぐわかることと、すぐわからないことの2種類がある。すぐわからないものは、長い時間かけて少しずつわかってくる。お茶をはじめて24年。・・・そういうことだったのか!
 これは、典子役の黒木華の朗読です。典子が、茶道を続けながらいろいろ人生経験を積んで「そうだったのか!」 とわかったこと=悟りが書かれています。ここにも、この答えのひとつがー。


 10歳の頃に典子は両親に連れられフェリーニの 「道」を見るのですが、その後20歳、30歳の時に見返すと、見え方が変わっていったというエピソードがあります。この男女の愛を描いた名作は、子供にとっては理解が難しいもの。しかし、トシをとり、いろいろな経験を積み重ねていくと、今まで見えなかった=気づかなかったことがわかるというものだとー。

 森下典子さんの「日日是好日」本の中にズバリ主題に迫るページがありました。

雨は、降りしきっていた。私は息づまるような感動の中に座っていた。雨の日は、雨を聴き、雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。…どんな日も、その日を思う存分味わう。お茶とは、そういう「生き方」なのだ。そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。私たちは、雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」などと言う。けれど、本当は「悪い天気」なんて存在しない。雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に……。(「毎日がいい日」?) 自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。覚えがあった。どこかで出会っていた。何度も、何度も。

 その時、自然に薄暗い長押の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。”「日日是好日」”
                   (中略)
 「日日是好日」の額は、初めて先生の家に来た日から、いつもそこに掲げられていた。初めてお茶会に連れて行ってもらった日には、掛け軸に書かれていた。その後、何度もこの言葉を見てきた。ずっと目の前にあったのに、今の今まで見えていなかった。「目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気づいたようにね」そのメッセージが、ぐんぐん伝わって胸に響く。       

   文中の、”自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。
 覚えがあった。どこかで出会っていた。
何度も、何度も…。”
自然に長押の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。

の箇所は、典子が探し求めていた何かに気づき、
 わかり、悟ったその瞬間を捉えた場面のようです。
 

この「日日是好日」のことを、吉川英治氏の著書に~ 

晴れた日には晴れを愛し、
雨の日は 雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、
楽しみなきところに楽しむ。

と。このことは、禅の教えに近いという。

 ことば通り読むと、一般に人は天気は晴がいいし、楽しいことが毎日続けばいいと願います。しかし、干ばつや雨不足以外は、普通雨や嵐の日は望みません。この「雨の日は雨を愛す」は、程度の差はあれ、なんとかクリアできたとします。しかし、身近な人との死別、大きな事故、不治の病など不幸のどん底に落ち込み大変な状況に出合うことがあります。そう考えると、「楽しみなきところに楽しむ」は、なかなか妥協できないハードルの高いことばです。さて、このことをどう解釈したらいいのでしょうか。どうも、ことばで説明しきれない何かがありそうです。ひとついえることは、好日と悪日、天気と晴、楽しいと楽しくないといったあい対する考えでなく、それにとらわれない心のもち方が大切であるといいます。

本映画は心に残ることがたくさんあり多くを考えさせられました。私にとっても、アレコレ想いをめぐらせ頭を回転させる場を与えてくれ幸いでした。

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Ⓘ-8.映画;「日日是好日」から学ぶ(1/2)~ストリー&レビュー

2022-12-02 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

  この映画には、2018年9/15、75歳で他界した樹木希林さんが登場するという。全身がんで余命宣告され、体調不良の状況で最後の最後まで仕事をした人です。普段あまり映画館にいくことがありませんが、「この映画は、映画館で集中して見よう!」と、以前から決めていました。

 視聴後、感動したり、共感したり、学んだことが多くあり、自分の想いや感想、気付いたことを書こうという気持ちが高まりました。しかし、このような感想文的なことは、私の場合まとまりのない文章で終わりそうです。ま、現時点で頭にめぐることを、少しは整理し書いておくこともいいか!、と考えトライすることにしました。    さて、私の関心事は、   

❶ 先生の人柄や茶道の指導法、点前をはじめ茶室・茶庭や諸道具など
❷ 本テーマな何か~映画の中でどのように表現するか

 原作は、エッセイスト森下典子さんが約25年間通った
茶道教室での体験や感じ考えたこと、心の変化、そして手ほどきをしてくれた師匠からの教えなどを綴った

”日日是好日~お茶が教えてくれた15のしあわせ”

🎥  STORY】

本当にやりたいことを見つけられず大学生活を送っていた20歳の典子は、母からお茶を習うことを勧められ気のない返事をしていたが、お茶を習うことに乗り気になった従姉妹に誘われるがまま、お茶の先生「武田のおばさん」の茶道教室に通い出します。見たことも聞いたこともない決まりごとだらけの茶道の世界に触れ、20数年もの間、通うことに。その間、就職、失恋、父の死などを通し、お茶や人生における大事なことに気づいていくといった内容です


武田先生のこと  樹木希林さんが演じた武田先生の人柄や茶道に対する指導法について考えてみることにしました。合わせて樹木さんの劇中の演技についても触れたいと思います。
❶ 主人公の典子が25年もの間、一人の先生から茶道を学び続けることができたということから、武田先生の人間的にもすばらしい人柄を推察することができます。何事も一つのことを続けて学ぶには、その人の考えや環境などの変化で難しいことがあります。また、どのような師匠と出会うかも。まず、典子にとって武田先生は、信頼できる人格者で、タイムリーにお茶の魅力を的確に教えてくれた先生だったと思います。
また、武田先生を演出した樹木さんの演出も上手だったのですが、先生は茶道について造詣の深い人にも関わらず指導するところは徹底して指導しながらも、謙虚で、偉ぶらない、そして温かみのある姿に大変好感をもちました。
❸ 茶道は、季節の変化や年中行事などをお稽古や茶事に組み入れて行います。例えば、春から秋にかけて風炉を使い、晩秋から冬の終わりまで炉に切り替えたり、床の間には、季節や行事などにあわせた掛け軸や茶花を飾ります。そして、抹茶を飲む前にいただく菓子をはじめ菓子器も季節や目的に応じたものを用意します。毎日、毎週、毎月、毎年そのトキ・時季が来ると精一杯気を配り、準備をし、客をもてなすのです。これは好き=数寄(すき)でなければできません。先生にとっては、長い間茶道に携わってきて茶道が生活の一部であり、茶道をこよなく愛している人だからできることでしょう。
❹ 武田先生=樹木希林さんのお点前ですが、茶道経験がなく、本役を引き受けてから始めたとのことです。ところが、劇中のお点前の様子や割り稽古の指導の場面から、今まで何十年と教えてきた大先生!と変わりなく、「さすが大女優だなあ!」と、感心させられました。                            


つくばい~手水鉢

 映画の場合、カットの連続で撮っているにしても、位、歩き方、構え、所作ごとの動き、一つの動作を終え次の動作に移る間のとり方、かつ、お茶に関する指導場面など、全く違和感なく見ることができました。どの流派でもそうだと思いますが、部分的に強調したり派手な動きをせず、さらさら水が流れる如く!ーといったお点前がよしとされているかと思います。特に武田先生の流派は、「わび茶」をより追求していますのでこのことがよく表れているかとー。

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Ⓘ-7.短編小説”最後の授業”から(3/3)~教科書から消えたわけはー

2022-11-25 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 アルザス地方の学校では、「フランス語」を日常的に話したり書いている国語!としてでなく、外国語(日本では、英語を学ぶようにー)のヒトコマとして教えられていたという現実があったのです。このことがわかると、この本の評価は、かなり変わったものになります。


 旧市街は、大きな中洲なような場所に位置しています。


 マチの真ん中でカヤックカヌーができるとはー。

 アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちの言葉」=「国語」として押しつける立場にあったのです。歴史的なことや地域の実態を知らずにこの作品を読むと、アルザス地方に住むフランス人に、外国語であるドイツ語を話すドイツの占領軍に押しつけられるかのように読み取ることになります。 


 このようなドイツ風の建物がたくさんあります。

 すなわち、この作品は、アルザスをドイツにとられたフランス側の政治的な意味の込められたフィクションということになります。作品は作品としての価値を認めたとしても、事実や実態に反する内容では、やはり批判の対象になります。調べてみると、言語学者の田中克彦氏や蓮實重彦氏の著書に「国語イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品である」と。これらの指摘や批判に国や出版社が応え、この教材を採用しなくなったのでないかと思います。


 この建物は典型的なドイツでよくみられる光景です。

 先生は、「フランス語は世界で一番美しく、一番明晰な言葉です。そしてある民族が奴隸となっても、その自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」ーとの一節から考えてーこの本の見方としては、たとえドイツに土地を占領されても”言語”さえ 守れば自分たちの”アイデンティティ”を失うことはないという。ま、「自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなもは、ある程度解釈することできますが、チョッと大げさな文言かな!?、と思いながらも、この作品は、国語愛の感情を引き出すために学校教育で利用された役割は大きかったものと思います。また母国語を奪われそうになる人々の悲しみと、それを失われまいとする姿、自分たちの言語への愛着を描き出しているといった評価もできます。過去の歴史の中には、このような苦渋の体験をした民族・国がたくさんあったことですがー。


 赤色砂岩の「ノートルダム大聖堂」;尖塔の高さは142m。


ノートルダム大聖堂内の天文時計~からくり人形付きです。

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Ⓘ-6.短編小説”最後の授業”から(2/3)~アルザス及びロレーヌの歴史と現状

2022-11-19 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 この物語は、主人公の少年フランツやフランス語教師アメル先生の母国=フランスに対する愛国心や悲哀、多民族に征服される怒りや苦しみ、悲壮感などが伝わり、ある面では反戦!のよい教材となりましょう。そう、ある時点まで私もそう信じていました。


 ストラスブール(アルザス)のマチなみ。

 この「最後の授業」が教科書から消えた理由を考えていくには、アルザス地方の歴史や現状を知る必要があります。私は、数年前フランスを周遊する機会があり、「最後の授業」の記憶からアルザス地方はぜひ訪ねたい!とコルマールストラスブールを旅程に入れた経緯もあります。その折、フランスとドイツとの歴史的な関わりを一読しましたが、下記は、正確性を期すため、ウキぺディアなどの資料をもとに調べたものです。

以下長文になりますので、歴史嫌いな人⁉は、にスキップして下さい 

【1】普仏戦争までの歴史  フランスとドイツの国境地域に位置するアルザスやロレーヌには、古くからケルト人が住んでいました。ローマ帝国に支配された後は、歴史の中で幾度となく領土侵略が繰り返されたことにより、ゲルマン系のアルマン人フランク人が相次いで侵入してきました。それにより北部ではドイツ語のフランク方言が、南部ではスイス・ドイツ語に近いアレマン語が長らくこの土地で話されるようになったようです。

当時この地は、元来神聖ローマ帝国に属していたものの、ローマ帝国に対して野心を抱くフランスの侵略の標的となっていた時代です。

ドイツ帝国の位置
神聖ローマ帝国の領土の変遷

 1736年、神聖ローマ帝国は、アルザスとロレーヌをフランスに割譲することで、フランスからの干渉を食い止めることにしました。フランスに編入されたアルザスとロレーヌは、公用語としてフランス語が用いられたため、アルザス地方の言葉は、フランス語の語彙が入った「アルザス語」として形成されていったということです。

【2】普仏戦争でフランスが敗れると 1871年に起きた普仏戦争でフランスが敗れると、ベルフォールを除いたアルザスとロレーヌの東半分がプロイセンに割譲されました。  必然的に、フランス国内では、反ドイツ感情が湧き起こります。そしてこの頃、毎週月曜日にパリで「月曜物語」という新聞連載が始まり、この中にアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が連載されたのでなど。

【3】ドイツ帝国統治下 当時の住民の大多数はドイツ系のアルザス人だったため、フランス語にそれほどなじみがありませんでした。ドイツ統一後もアルザス人は必ずしもドイツから完全な”ドイツ人”とは見なされていなく、安全保障上の問題からこの地が必要だったこともあり、後には自治憲法の制定を認めるなど、比較的穏やかな同化政策を取っていたようです。しかし、”ツアーベルン事件”(1913年、ツアーベルンに駐屯していたプロイセン軍将校の侮蔑的発言をきっかけに生じた軍と住民の衝突事件)の発生後は、中央政府及び軍との関係が悪化し、自治憲法も停止されました。       

【4】戦間期と第二次世界大戦
 第一次世界大戦でドイツが敗北した後の1918年11月8日、同地域はアルザス=ロレーヌ共和国として独立しました。アメリカのウイルソン大統領はこれを承認しようとしましたが、フランスは拒絶し11月19日フランス軍に占領され、この地域は再びフランス領となりました。第二次世界大戦時、ドイツのフランス侵攻により同地方は再びドイツ領になりました。

【5】第二次大戦後のフランス化政策 第二次世界大戦後、この地区には再びフランス化政策が敷かれました。しかし、テロや独立運動が発生するなどフランス政府に対する反発が強く、間もなく政府も方針を転換して、1999年から、初等教育からフランス語でなくドイツ語・アルザス語の教育が認められたということです。


 クレベール広場では、只今イベント開催中です。

昔、世界史の中のヨーロッパ史を学んだことが少しよみがえってきたかと思います。このアルザス、ロレーヌは、陸続きであるという地政学的条件もあり、民族の大移動をはじめ夫々の国の思惑で領地の奪い合いを繰り返した破壊と殺戮!の苦難の歴史があったことがわかります。

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Ⓘ-5.短編小説”最後の授業”から(1/3)~あらすじ

2022-11-18 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
最後の授業 

 未読の人もいると思いますので、以下あらすじです。 この「最後の授業」は1871年にフランスで世に出たもので、今から約150年前の昔のことです。

 ある日、ドイツとの国境の町・フランス領アルザス地方に住む学校嫌いなフランツ少年は、その日も村の小さな学校に行くのですが遅刻しました。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていましたが、意外なことに、先生は怒らず穏やかに着席を促しました。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっています。教室の皆に向かい先生は話しはじめます。

  「私がここで、フランス語の授業をするのはこれが最後です。プロイセンとの戦争でフランスが負けたため、アルザスはドイツ=プロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが私のフランス語の最後の授業です」と。これを聞いたフランツ少年は、激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じます。


 このようなドイツ風の建物がたくさんあります。

 先生は、「フランス語は世界で一番美しく、一番明晰なことばです。そしてある民族が奴隸となっても、その自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」、と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾けます。やがて、終業を告げる教会の鐘の音が鳴りはじめました。それを聞いた先生は蒼白になり、そのうち悲しみで言葉が途絶え、黒板にフランス語でフランス万歳!と書いて、最後の授業!を終えます。

教科書の出番 1927年(S.2)に教科書に採用され、戦後の一時期は教科書から消えました。それが、1952年(S.27)に再登場しましたが、1985年(S.60)からは教科書に採用されなくなりました。私のテーマは、
   なぜ、教科書から消えてしまったのでしょうか?

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Ⓘ-4.金子みすゞの詩に学ぶ(4/4)~みんな同じ人間どうし

2022-11-12 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 金子みすゞの詩に関連した内容で、
印象に残る話をシェアしたいと思います。



 長距離を移動するのに飛行機を利用する場合、とりわけ直接的お世話になるのがアテンダントの人たちです。いつも彼らの客に対する接し方には感心させられることが多いものです。

 50代と思われる白人女性が機内で席につくと、彼女は自分の隣が黒人男性であるということに気付きました。周囲にもわかるほどに激怒した彼女は、アテンダントを呼びました。アテンダントが「どうなさいましたか?」と尋ねると、「分からないの?」と。その白人女性は続けて、「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないワ。席を替えて頂戴!」「お客様、落ち着いていただけますか」と、アテンダントは、「当フライトはあいにく満席でございますが、今一度、空席があるかどうか、私調べてまいります」、そう言って去り数分後に戻って来ました。
                      ⏰
 「お客様、先ほど申し上げましたように、こちらのエコノミークラスは満席でございました。ただ、機長に確認したところファーストクラスには空席があるとのことでございます」。そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けました。「お察しとは存じますが、当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるということは通常行っておりません。しかしながら、あるお客様が不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、ということは当社にとって恥ずべきこととなると判断いたしますので当然事情は変わってまいります」と。

 そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言いました。「ということで、お客様、もしおさしつかえなければお手荷物をまとめていただけませんでしょうか?ファーストクラスのお席へご案内します」と。近くの乗客が、歓声をあげるのをその白人女性は呆然と眺めるだけでした。スタンディングオベーションを送る者もいたということです。
                  

 日本語に訳されたのは宮本端さんです。こんな劇的なシーンにはめったに遭遇しないものですが、まずは、発想の転換というか、的確な対応は学ぶべきことも多いと思います。

 

黄色人種である私たち日本人が、欧米社会で住んでいたり旅行していると、どのような目で見られているのか少し気になることがあるものです。上記の話題のように、白人至上主義を唱える人たちが現実にいることも事実です。国際理解の原点は、個性尊重であり、人権尊重です。すなわち、金子みすゞの詩のように「みんなちがって みんないい」の精神=「みんな同じ人間どうし」だと思います。

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Ⓘ-3.金子みすゞの詩に学ぶ(3/4)~「こだまでしょうか」から

2022-11-11 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
私の好きな金子みすずの詩の最後はー、

こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと 「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。

そうして、あとで さみしくなって、

「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 

こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。

これは、人間のコミュニケーションに係わる問題を示唆してくれています。子供の世界でも大人の世界にもある「いじめ」の大きな要因は、周囲の基本的人権尊重の精神と合わせて、このコミュニケーション能力に起因しているのでないか、と思います。この詩は、道徳的視点に立ち、社会規範を守り、人間関係を円滑にしていくためには、発する一つ一つの言葉の大切さを説いているー、といつも感じます。

友人間でも夫婦間でも、見知らぬ人との会話でも、相手の立場に立ち優しい言葉で接しなくては相手からも温かい言葉がかえってこないもの、と心させてくれます。「売り言葉に、買い言葉」という諺がありますが、感情は”みんな同じ 人間どうし”ーとの戒めや教訓を含んでいるーとも。

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