一日一トライ~”その記憶の記録”

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1⃣-44.オーストリア「ウィーン編」(1/11)~プラチスラヴァ→ウィーン 移動日(1) 6/25~29

2024-07-06 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ウィーンは、6/9成田からオーストリア航空でこの地で乗り換え、ブカレスト(ルーマニア)に行くために降り立ったところです。また、私たち家族には、ずーっと以前に来たことがあるので、なつかしい地でもあります。

 オーストリアの首都ウィーンは、ヨーロッパが東西に分かれていた時代には、西側陣営で最も東にある州都であり、国土は北海道よりやや大きい国(約83,900k㎡)です。そもそもハプスブルク帝国の中核だったオーストリアは、チェコやスロヴァキア、ハンガリーといった東側陣営の国とは歴史的に非常に近い関係にあり、南はイタリア、北はドイツというヨーロッパ南北を結ぶ文化の通り道でした。特に、モーツァルト、シューベルト、ヨハン・シュトラウスといった音楽家たちは、このマチで王族や有力貴族庇護を得て活躍したことはよく知られています。

 6/25、今日はプラチスラヴァ10:30発の高速船に乗ってウィーンへ移動の日です。きっと話題性があるので乗ってみたく、ネットで調べてありました。高速船の下調べをした折、天気がよくないのでバスも選択肢の中にあり、予約しませんでした。天気は昨日に引き続き曇天の霧雨の天気です。電光板の気温は13℃で半袖なら寒いほど。天気がよければ、もう少しプラチスラヴァを見て午後の便も考えていました。

 昨日携帯が復旧し、なおった!と思い、家内にPCメールで報告しました。その後、電池が少なくなってきたので充電しました。・・・ところがです。今までの喜びも一瞬にして吹っ飛びました。また、同じ状態なのです。過充電になっているのかな。充電器を改めて眺めても「海外用」に。もしかして、電池が少なくなると画面が戻るかもーとのアワイ期待をもつことにしました。だんだん画面が暗くなっていく間にアラームをセットしましたが、結局は鳴りませんでした。

 6:30には起床。昨夜は4人部屋に4人泊まったので、起きるタイミングに気を使います。何となく呼吸を合わせて互いに迷惑をかけないようにしています。朝食は8時から。学生たちが泊まっていましたので狭いダイニングルームは一瞬いっぱいに。







 荷物をまとめてあるので、すぐマチを見ながら桟橋へ向かいました。カサをさすほどではありませんが、だんだんしっとり濡れる感じです。


  巨大なショッピングモールで、「EUROVEA GALLERIA」といい、人が入っていくので入ってみました。各テナントが全部開いているのではなく、コーヒーショップや一部の店がオープンしています。




 強風で倒れたものです。 


 スロバキア新国立劇場

 昨日、高速船の「Twin City Liner」の会社に下調べで行った時、30分前に来て下さい、と。しかし、30分前に着いた時、客は自分一人です。本当にイイのかな?受付の女性は愛想よく対応してくれ、自分一人でも船は動くのだなーと安心しました。その後、一般の客と同じホテルに泊まっていた高校生の団体がやって来てニギニギしくなりました。船内は、搭乗率20~30%といったところでしょうか。きっと天気にも左右されたかも。水量は結構多く、水は濁っていて、少しですが流木も所々に見かけられます。

 

 さて、水面からの視点からどのような光景が見られるでしょうか。ブラティスラバ発10:30ジャストに出航しました。ドナウ川をさかのぼって行くことになります。 天気が回復し、青空が出てくることを期待しながらー。


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