ひとりっこのアルツハイマー介護

要介護5の父(2011他界)と人工透析でアルツハイマーの母のひとりっこ介護と、介護で自分の人生を犠牲にしないコツ

母とのお別れ、最後の一日のこと③

2020-05-19 15:50:50 | ひとりっこの気持ち
帰宅して、カレーを温めて家族そろって食べ、

わたしはアイロンをかけながらテレビで歌番組を見ていました。

コブクロの唄う「つぼみ」が流れ

なんだか哀し過ぎるな、、、とチャンネルを変えました。


それから20分ほど経った頃、電話が鳴りました。

「もしもし、●●介護施設の●●です。あの・・・・・」

声が小さくて聞き取れません。

もしや、とは震える思いながらも

「すみません、聞こえなかったのでもう一度お願いします」


「お母さまの心肺が停止しました。22時ごろからだんだんと呼吸が荒くなって、22時20分に呼吸が確認できなくなりました。すぐお越しください」

人生でいちばん恐れていた瞬間でした

お風呂に入っている長男、わたしはそのドアを無遠慮に空けて

「ばあちゃん死んじゃったって・・・・」

息子は「え!!」と。

別の部屋にいた夫が

「なに!?どうしたばあちゃんか?どうしたばあちゃんか」

と聞いてきた瞬間

わたしは「うん、お母さん死んじゃった」と子どものように泣きました。

泣いたのはなぜかほんの一瞬でした。

あたふたと着替え、

家族そろってまた施設に向かいました。


母の姿は先ほどとは違い、目が落ちくぼんでがい骨のように痩せこけた顔でした。

なせでしょうか。

このときのわたしたちに涙はなく

「よく見るガイコツのキャラクターみたいじゃない?」とふさける余裕・・・・

医師が死亡診断のために来た時刻は23時半

ここから施設に葬儀社の方が来て、打ち合わせが始まり、終わったのが午前2時

初老の看護師さんからエンジェルメイクをほどこされた母は

頬紅がやたら濃くて、まるで「おてもやん」

おまけに母は出っ歯なので、その姿は・・・・・・不謹慎にも笑ってしまいそう・・・・


翌日(すでに日付が変わっているため同日)こちらで「納棺の儀」と施設主催のお別れの儀をしてもらうこととなり

午前3時に帰宅。

あれほど恐れていたこんな瞬間だってお腹がすくことに自分でも驚くのでした。

コンビニで買ったおつまみとおにぎり。献杯ということで家族で日本酒を1杯だけ飲みました。

「10年以上の介護、おつかれさま」

長男の言葉がとても温かく感じました。





母とのお別れ、最後の一日のこと②

2020-05-19 15:24:24 | Weblog
帰宅して、洗濯物を取り込み、カレーをつくって炊飯器をセットして、飼い猫に早めのご飯をあげてから、

午後七時、施設に近い駅に家族を迎えに行きました。

施設の面会は夜8時までですが、状況が状況ですし、あらかじめ連絡すれば夜間もかまわない、とのことでした。

家族4人で母の部屋に入り

「おばあちゃん、来たよ」と息子たちはかわるがわる母と手をつなぎました。


すると母は目をあけてなにか話すように「あー、あー」と声を出ししっかりと息子(孫)たちの顔を見つめました。

「わかる?わかるんだね!」と息子たち。

「ばあちゃんさ、俺の名前呼んだんだよ」と大学生の次男が言いました。

夫も 、「本当に今、わかってる感じだよね。うれしいんだね、会えて。来てよかった。なんか涙が出ちゃうよ」


実は息子たちが母に会うのは母の誕生日である2月以来でした。

その夏から、ほぼ寝たきり状態で、大好きな孫が話しかけてもうつろな目をしたままの母に、息子たちが会いにくことはなくなっていました。

そして、命のリミットが近いと知ったこの数日でさえ、あの透析センターの看護師さんの言葉に促されなければ、わたしは息子たちを見舞いに来させようという考えが浮かばなかったんです。


「お孫さんたちは面会に来ないんですか?どこか遠くに住んでいらっしゃるの?」と聞かれ

「家で一緒に住んでいますよ」と答えてはじめて、すぐに息子たちを呼ばなければと思ったのです。

なぜこんなだったかというと、自分自身が祖母を失くしたときの経験から、子どものトラウマになってはイケナイと思っていたからなんです・・・・



母を囲んで30分ほどたったでしょうか。

母もまた眠り始めたので、帰ることにしました。

「ばあちゃん、俺たちまた来るからね。あとさ、前のグループホームのホーム長が明日会いに来るってさ、楽しみだね」

車の中でも

ほんとうに嬉しそうだったよね、来てよかったよね

そんな会話をしながら家につきました

③につづきます



母とのお別れ、最後の一日のこと①

2020-05-19 14:53:50 | ひとりっこの気持ち
母の命が数日、もって2週間と説明された日、その翌日と翌々日のこの日。

偶然にも仕事が休みだったんです。

朝、一通りの家事を済ませて車で面会へ。

看護師さんから呼吸が荒くなったり、静かになったりを繰り返していること

人は最後にそういうように呼吸が安定しなくなって、やがて息が止まることを聞かされました。

母はときどきいびきのような呼吸になり

胸から喉のあたりに手をもっていっては、また静かに眠り続ける、そんな様子でした。

わたしは出来るだけ明るい声で話しかけ、持ち込んだカセットテープで童謡を流しました。

施設の看護師さんはひんぱんに見守りに来てくれて、

「湯たんぽ入れたら、昨日よりは手があったかくなったのよ。おとといは冷たかったからね。」

一昨日、パンパンだったむくみは治まっていました。

「お昼なのでいちど帰ります」を看護師さんに告げて部屋を出ようとしたら

母が目をあけて大きく「うーん・・・・」とうなりました。

まるで「帰らないで!!」と訴えるように。


帰宅して昼ご飯をすませ、むしょうに身体を動かしたくなって30分だけゴルフの打ちっぱなしに行きました。

そうでもしないと押しつぶされそうでした。

そしてそのあとに行ったのは本屋さん。

大きな、専門書もある書店の介護・医療専門書コーナーで「看取り」についての本を手に取りました。

人の呼吸は最後にどうなるのか。

朝、看護師さんに言われたことが気になっていたんだと思います。

もう一つ気になっていたのは、飼い猫の最期を記録した母のメモが猫の写真の裏に挟んであったのを見たから。

人間とネコは違うよね、と思いながら、あのとき猫が起き上がれなくなっても名前をよぶと尻尾を振る姿がまぶたに蘇りました。

そして、その最後をたったひとりで見守った母はどんなにつらく悲しかっただろうと。


施設に戻ると、母は午前と変わらず、苦しそうにも見えないけれど、若干喉のあたりを触る回数が増えているかなと感じました。

夫と息子二人ににLINEで連絡すると、みなが今夜なら面会に来られるということになり、

とりあえずわたしはもう一度帰宅しようと思いました。


「お母さん、後でまた来るね」と眠っている母に声をかけると、

また大きなうめき声を出しました。

「あのね、●●たちを迎えに行ってくるから。ひさしぶりに孫に会えるんだよ。待っててね!」

そういって再び車で家に向かいました。


②につづきます