ギタリスト岡本博文 生徒諸君!

プロギタリストのリアルな経験談、本音を語って行きたいと思います。

あらためてヤヒロトモヒロ(パーカッション)氏を紹介

2019-11-30 02:57:47 | Weblog

来年2月のツアーを最後に、Okamoto Islandを去ることになった
ヤヒロトモヒロ(パーカッション)氏の紹介をあらためてさせていただきます。

ヤヒロ氏と岡本との付き合いは、僕の『Jawango』というソロアルバムから。
村上ポンタ秀一(ドラムス)さんからの紹介だった、と思います。
ヤヒロ氏は、渡辺香津美さんのレゾナンスボックスを脱退した頃だったから、
二つ返事で喜んだ。

アルバムを作ったのち、バカボン鈴木(ベース)さんと3人でJawango Trioとして、
長く活動して来た。

転機になったのは『Jawango』にも参加しているグスタボ=グレゴリオ(b)からの
オファーだった。『Jawango』の頃、グスタボのバンドに、僕も参加していた。
グスタボは、若い頃、アルゼンチンでロックバンドで成功したのち、日本、大阪に来ていた。

彼のアルゼンチン人脈は幅広く、多くのアルゼンチンの有名アーティストを
プライベートで日本に呼んでは家に泊め、小さなツアーをしていた。
僕もたくさんの貴重な経験をした。

その中にケーナのホルヘ=クンボが居た。ある日グスタボから相談を受けた。
「岡本。今度、ケーナのホルヘ=クンボをフランスから日本へ呼ぶ。
彼は、今までアーティストとはまるで格が違う。
だから、『Jawango』で共演したヤヒロトモヒロをあらためて紹介して欲しい。
最強のチームで迎え撃たなければならないんだ」
という。

すぐヤヒロ氏に話すと、彼は超ビックリして
「岡本氏は知らないと思うけど、確かに今までと桁違いに違う。
僕は、子供の頃から大ファンだった」という。

サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」を
ヒットさせた張本人だったし、それ以前に南米のスーパースター
だったのです。

それから、最初のクンボの全国ツアーが
ヤヒロ氏の尽力を核にして組まれた。
その時、右腕として、パリからクンボが連れて来たのが、
ヤヒロ氏とその後『ガイアクアトロ』を結成することになる
ピアノのヘラルド=ディ=ヒューストです。

ホルヘ=クンボのことを「南米のマイルスデイヴィス」と当時感じていた。
クンボのツアーは、音楽的に大変要求が厳しく、
しかも聞いたこともやったこともない音楽で大変苦労した。

しかし、これ以前、以降で大きな音楽の断層ができるほど、
エポックメイキングな出来事でもありました。
最初のツアーは、全国で衝撃を起こした伝説のツアーになった。

ヤヒロ、ヘラルド、僕は、そんな中、ほぼ同じ歳で
話も合ったし、よくお酒も飲んだ。
本当に仲良くなった。

このツアー以後、ヤヒロ氏はアルゼンチン人脈がさらに広がり、
現在の活動に至っていると思う。
そんな中で、ヤヒロ氏が、長年Okamoto Islandで活動してくれた事は、
本当に感謝しかない。Okamoto Islandの音楽は、ヤヒロ氏の音楽レンジの
一番端っこにある音楽だと思って来たし。

彼のメイン=プロジェクトは、アフリカや南米の土着的要素を
如何に高級感を持って仕上げるか?だと思っています。

だから、今回の決断は、メインプロジェクトが忙しくなって
必然的なやむない選択だったと思います。
だから、これからもヤヒロ氏の音楽を応援していきたい、
と思います。
************

ヤヒロ氏は、海外での様々な経験から、
南米的なもの、アフリカ的なものの日本人への翻訳者として、
ヤヒロ氏の国内の教育的な活動にも期待しています。
京都での3回にわたるセミナーは、大変貴重なものだと思います。

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これからもヤヒロ氏との親交は続くと思いますが、
Okamoto Islandとしての共演はこれが最後。

Okamoto Islandとして、残された最後の共演を十分楽しみたい、
と思います。
皆さま、是非、応援よろしくお願いいたします。

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