ギターで飯が食えるようになるまで(子供の頃)もアップしています。
http://blog.goo.ne.jp/okamotoisland/e/72d2e7b1ef8d5908a3067eb2dae116c3
これは、その続き。
************************
子供頃、喘息持ちで、毎晩夜になると咳き込んで寝付けず、
しばしば、両親が一晩中、交代で起きて、
背中をさすってくれて、そんな手間のかかる子供でした。
寝るのが怖くて、夜更かしもするのですが、
父も帰りが遅かったのもあり、夜9時頃から始まる
「月曜ロードショー」とか、「ゴールデン洋画劇場」とか、
一緒に見て起きていても、怒られなかった。
僕は、映画音楽が大好きで、家にマーチばっかり入った
LPがあり、「ベンハー」とか「史上最大の作戦」とか、
「クワイ川マーチ」「大脱走のテーマ」とか、
どうすれば、あんな曲ができるのだろう、と興味津々でした。
その頃『サンダーバード』『謎の円盤UFO』『コンバット』と言った番組のテーマソングも
大好きで、劇中で、そのテーマソングが、ゆっくり悲しい旋律になったり、
激しいものになったり、色々と形を変えていくのも、大変気になり、子供心に「これは全部作曲していくのなら、ものすごく手間がかかっているはずだ」と考えたりもしました。
僕は、小学校4年の時、「鼓笛隊に入りたい人は、手を上げて」とクラス会で担任の先生が言った時、真っ先に手を上げた。ちょっとしたテストがあって、成績の良い子は、小太鼓とか鉄琴とか大太鼓とか、割り振りされるのだけど、僕は、その他大勢の、授業でも使う普通のリコーダー隊で、アルト=リコーダーとかすら、吹かせてもらえなかった。
それでも、とっても楽しかった。
その時の音楽の先生が、エリザベト音楽大学卒業の塙先生という人で、
今思えば、とっても良い指導者だったと思います。
とても好かれていて、中学に進む時、同級生が吹奏楽部にたくさん入ることになった。
*********
さて、そういう訳で小学校を卒業して、
地域の中学である宇品中学に普通に入学することになった。
小学校1年から同じクラスだったショウジが、
急に吹奏楽部に入るという。絶対、運動部に入ると思っていたからびっくりした。
僕は「あの港祭りで見た金色の楽器のたぐいは大人にならないと吹いちゃいけないものだ」
と、勝手に思っていたので、すぐに一緒に入部することに決めた。
行ってみると、学区が広がったこともあり、幼稚園の頃の仲良しのトクハラとか、
ウネオカとか、なんども同じクラスになったり鼓笛隊にいた仲間も居て、とても嬉しかった。
「何をやりたい」と聞かれて「トランペット」と答えると
「男の子は、だいたいトランペットって云うのよね」と笑われて、
「サックスはどう?これも金色よ」と言われて、それを担当することになった。
それからの3年間が、自分には、思い出深い濃厚な3年間になったんです。