ギターで飯が食えるようになるまで、とタイトルをつけたものの、
果たして食えていると言えるのか疑問ですが。(笑)
引き続き、お話ししたいと思います。
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同級生も多く、憧れの楽器も手にして、
本当にワクワクした吹奏楽部。
新鮮だったのが、ロングトーンだった。
管楽器というのは、長い音を綺麗に出す練習をするのだけど、
楽器が鳴るまでが一苦労、ということにちょっとした衝撃を受けた。
でも、そういう苦労が「さすが大人の楽器」と思ったところもあって、
決して苦労というより、ちゃんと練習すれば上手くなるので、
いろんな基礎練習は、結構、好きだった。
初夏に1年生は、体育館で初めてのコンサートに参加するのだけど、
『Westerners』というアメリカ西部をモチーフにした曲があって、
それに参加した時、みんなの音に混じっている〜という興奮があって、
ろくに譜面に書いてあることは吹けなかった。
それでも、楽しくて、自然とニコニコしていたのは記憶している。
感動的だった。
宇品中学というのは、入ってみるとコンテストの常勝校で、
練習は熱心だった。人間関係も濃密で、それゆえ小学校の時には、
体験しなかった女の子同士のドロドロとしたあれこれとか、
間近で見て、大人の世界だなあ〜、と思ったりした。
この時の先生が、久保先生と言って大したカリスマ先生だった。
生徒指導の先生でもあり、不良にはものすごい恐れられていた。
音楽の指導も素晴らしかったと思う。
「早いばかりの演奏はするな」「綺麗な音で、丁寧に演奏しなさい」
「音楽には、山や谷がある。お前もボインは好きじゃろう」
みたいにユーモアを交えて、でも硬派な指導だったと思う。
朝は7:00には学校に行って練習して、暗くなるまで練習した。
音楽大学に行っている先輩も多く、よく指導してくださった。
合宿と称して、夏休みに学校の教室に寝泊まりして練習したり、
本当に冠高原に合宿に行ったり、そんなことは初めてだった。
音楽は、みんな耳年増で、受け売りかなんだか知らないが、
ズービン・メータの『惑星』がかっこいい。
ベートーベンはカラヤンのベルリンフィルでないと。
「春の祭典」は、ピエール・ブーレーズでないと。
とこの前まで小学生だった奴らがいっちょまえなことを言うのだけど、
私も、ムラヴィンスキーのチャイコフスキー『悲愴』を聞いて、
「確かにこれを聞いたら、アメリカのオーケストラのチャイコは聞けないな」
と当時思ったのを記憶している。
ピエール・ブーレーズの「春の祭典」も。
いけ好かないガキの集団だったと思うけど、
中学生って、もう直感的なそういう感性は大人並みに
鋭いのではないかと、僕は思っています。
最初は受け売りだったかもしれないけど、
みんな本当に感じたことを言っていたと思う。
確か、中学3年だったと思う。
ムラヴィンスキーとレニングラード交響楽団が広島に来て、
かなり高いチケットだったけど、行かせてもらった。
その時の衝撃はすごかった。
コントラバスの「ズー」という弦のこすれる音、
トランペットの禁欲的でも激しい響き。
「LPと同じどころか、ものすごい。僕らと全然違う」と
大興奮で帰った覚えがあります。
中学3年間は、本当にクラシック少年で、
LPは覚えるまで聞き、退屈な授業だと、
1枚分心の中で歌ったりしていた。
「次はリヒャルト=ストラウスのツァラトウストラはかく語りきだ」
てな具合だった。
濃厚な中学時代の話はまだまだ続きます。
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