ギタリスト岡本博文 生徒諸君!

プロギタリストのリアルな経験談、本音を語って行きたいと思います。

スティーブジョブス氏の演説(死について)

2011-10-06 11:40:17 | Weblog

  • 3つ目は、死についての話です
  • 私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
  • 自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
  • 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
  • 私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
  • これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
  • 誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
  • 君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
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