こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
長くなりましたが、ひきこもりについての最後の回になります。
塾の仕事を始め、経営も軌道に乗って来てすべてが変わったように感じました。人と話すこともそれほど得意ではありませんが(塾の講師としてそれはどうかと思いますが(笑))、どちらかというと楽しいと感じますし、将来の自分に対して不安になることもなくなりました。あの悪夢のような、ひきこもっていた時間はいったいなんだったんだろうかと、たまに考えたりします。
塾での仕事も、初めの2年ほどは問い合わせの電話がかかってくるとドキドキしました。問い合わせの電話をいただくのは嬉しいことなのですが、うまく話せなかったらどうしようとか、頼りないと思われたらどうしようとかいろいろ考えてしまってました。塾に来ていただいて直接お話をするときは、緊張しすぎて汗だくになることもありました。しかし、3年を過ぎたころから、生徒たちに冗談を言って笑わせている自分がいたり、保護者の方と緊張せずにリラックスして話をすることができている自分に気づきました。
ですが、上手に話せるようになったわけでもなく、積極的に発言できるようになったわけではありません。自分にとって塾が居心地のいい場所になっただけのことだと思います。以前書いたように、「松下塾」は立ち退きによって閉鎖しなければならなくなり、今のONE-Sを開校するまで約1年間無職の時期がありました。その間に、いろいろな活動をされている企業やNPO法人の方とお話させていただく機会があり、会議などにも出席させてもらえたのですが、自分でもびっくりするくらい緊張してうまく話せないんです。また、3ヵ月ほど小学校の学童保育のアルバイトをしましたが、このときもスタッフの輪になかなか入ることができず、仕事も早く覚えることができませんでした。そして今年の3月に、大阪狭山市で講演をさせていただきました。それほど多くの人数ではなく約40人ほどの前で30分話をしたのですが、この日の数日前からものすごく緊張して何度も何度も録音して話す練習をしたにもかかわらず、当日もいくつか話がとんでしまうほど緊張していました。
つまり、ひきこもっていた時期と基本的な能力はほとんど変わっていないのです。滑舌はよくありませんし、話も上手ではありません。ただそれを認めて受け入れることができるようになったことが大きな違いです。いろいろな方と話をさせてもらったり、講演などを聞いてくださった方は、「話をすることに、そんな悩んでいた人とは思えないよ。すごく話がわかりやすかったし、聞きやすかったです」と言ってくださります。もちろんお世辞で言ってくださっている部分もあるのでしょうが、おそらく自分が気にしているほどひどくはないのでしょう。そうでなければ18年も塾の講師なんてできていませんよね。もともと話すことに対してコンプレックスを持っていて、それが就職試験の面接や集団討論で失敗したことによって、ものすごく大きな欠点だと思ってしまったのです。誰だって人前で話すときは緊張しますし、うまく話せないときぐらいあるはずや、今になってようやくそう思えます。
ひきこもっていた時間は、私に多くのことを教えてくれました。そういう意味では、ひきこもっていた時間は無駄ではなく、私がいろんな部分で成長したり、自分にとって居心地のいい場所を見つけるために貴重な時間だったと言えます。こうして働けることの喜び、何もすることがない時間の辛さ、仕事があり忙しいことがどれほどありがたいことなのか、ひきこもっていなかったら気づけなかったことかもしれません。
不登校のこどもたちはもちろん、成人してひきこもっている人も多く知っています。私の場合はこういった経験によって社会に出ることができましたが、これがすべての人にあてはまるはずもありません。ですから、「こうすれば絶対に大丈夫」「その気持ち、すっごくわかるよ」などとは言えません。不登校にしても、ひきこもりにしても、自ら好んでその道へ進むケースは少ないはずです。にもかかわらず、その道を選ぶしかなかったのは、それ相応の理由があります。他人からしたらちっぽけに思われるようなことでも、本人にとってはとてつもなく大きな問題であり、頂上の見えない山が立ちふさがっているようなものなのです。それを「そんなことで悩むなよ」と「甘えすぎやろ」というのは、私にはできません。
社会に出て生きていくには「人間力」というものが必要だと思います。現在の日本のひきこもりや不登校の人数を考えたとき、何かがおかしくなっていて、何かを変えていかなければならないことは明確です。不登校やひきこもりの問題を、「ただの甘え」とするではなく、誰にでも起こりうる問題であり、それらを生み出さなくするにはどうすればよいか、それを解決することでどれほど社会全体の利益になるのかを考えていかなければいけない時期だと思います。
長くなりましたが、ひきこもりについての最後の回になります。
塾の仕事を始め、経営も軌道に乗って来てすべてが変わったように感じました。人と話すこともそれほど得意ではありませんが(塾の講師としてそれはどうかと思いますが(笑))、どちらかというと楽しいと感じますし、将来の自分に対して不安になることもなくなりました。あの悪夢のような、ひきこもっていた時間はいったいなんだったんだろうかと、たまに考えたりします。
塾での仕事も、初めの2年ほどは問い合わせの電話がかかってくるとドキドキしました。問い合わせの電話をいただくのは嬉しいことなのですが、うまく話せなかったらどうしようとか、頼りないと思われたらどうしようとかいろいろ考えてしまってました。塾に来ていただいて直接お話をするときは、緊張しすぎて汗だくになることもありました。しかし、3年を過ぎたころから、生徒たちに冗談を言って笑わせている自分がいたり、保護者の方と緊張せずにリラックスして話をすることができている自分に気づきました。
ですが、上手に話せるようになったわけでもなく、積極的に発言できるようになったわけではありません。自分にとって塾が居心地のいい場所になっただけのことだと思います。以前書いたように、「松下塾」は立ち退きによって閉鎖しなければならなくなり、今のONE-Sを開校するまで約1年間無職の時期がありました。その間に、いろいろな活動をされている企業やNPO法人の方とお話させていただく機会があり、会議などにも出席させてもらえたのですが、自分でもびっくりするくらい緊張してうまく話せないんです。また、3ヵ月ほど小学校の学童保育のアルバイトをしましたが、このときもスタッフの輪になかなか入ることができず、仕事も早く覚えることができませんでした。そして今年の3月に、大阪狭山市で講演をさせていただきました。それほど多くの人数ではなく約40人ほどの前で30分話をしたのですが、この日の数日前からものすごく緊張して何度も何度も録音して話す練習をしたにもかかわらず、当日もいくつか話がとんでしまうほど緊張していました。
つまり、ひきこもっていた時期と基本的な能力はほとんど変わっていないのです。滑舌はよくありませんし、話も上手ではありません。ただそれを認めて受け入れることができるようになったことが大きな違いです。いろいろな方と話をさせてもらったり、講演などを聞いてくださった方は、「話をすることに、そんな悩んでいた人とは思えないよ。すごく話がわかりやすかったし、聞きやすかったです」と言ってくださります。もちろんお世辞で言ってくださっている部分もあるのでしょうが、おそらく自分が気にしているほどひどくはないのでしょう。そうでなければ18年も塾の講師なんてできていませんよね。もともと話すことに対してコンプレックスを持っていて、それが就職試験の面接や集団討論で失敗したことによって、ものすごく大きな欠点だと思ってしまったのです。誰だって人前で話すときは緊張しますし、うまく話せないときぐらいあるはずや、今になってようやくそう思えます。
ひきこもっていた時間は、私に多くのことを教えてくれました。そういう意味では、ひきこもっていた時間は無駄ではなく、私がいろんな部分で成長したり、自分にとって居心地のいい場所を見つけるために貴重な時間だったと言えます。こうして働けることの喜び、何もすることがない時間の辛さ、仕事があり忙しいことがどれほどありがたいことなのか、ひきこもっていなかったら気づけなかったことかもしれません。
不登校のこどもたちはもちろん、成人してひきこもっている人も多く知っています。私の場合はこういった経験によって社会に出ることができましたが、これがすべての人にあてはまるはずもありません。ですから、「こうすれば絶対に大丈夫」「その気持ち、すっごくわかるよ」などとは言えません。不登校にしても、ひきこもりにしても、自ら好んでその道へ進むケースは少ないはずです。にもかかわらず、その道を選ぶしかなかったのは、それ相応の理由があります。他人からしたらちっぽけに思われるようなことでも、本人にとってはとてつもなく大きな問題であり、頂上の見えない山が立ちふさがっているようなものなのです。それを「そんなことで悩むなよ」と「甘えすぎやろ」というのは、私にはできません。
社会に出て生きていくには「人間力」というものが必要だと思います。現在の日本のひきこもりや不登校の人数を考えたとき、何かがおかしくなっていて、何かを変えていかなければならないことは明確です。不登校やひきこもりの問題を、「ただの甘え」とするではなく、誰にでも起こりうる問題であり、それらを生み出さなくするにはどうすればよいか、それを解決することでどれほど社会全体の利益になるのかを考えていかなければいけない時期だと思います。