不確定性原理の話じゃないので、気軽に読んでください。
さて。眠りを絶つことで精神の安定が回復することはわかりました。
でも今度は、果たして今自分は本当に生きているのか? という疑問がわいてきたんです。
これはゆゆしき問題です。
よく、「生きている実感がほしい」とかいって手首切っちゃう人がいますが、それでは生きていることの証明にはなりません。地獄絵図でも、鬼に爪をはがされた人が痛がっているし、血も出ています。よって、痛みや出血は生きていることの証明には使えません。
となると、何を持って生きているといえばよいのやら……。
まったくわからなくなってしまいました。
初期のゲゲゲの鬼太郎で描かれていた地獄は一見無人のようでした。でも宗教でいう地獄的なものはたいていの場合他人も存在します。
ここは本当に地獄じゃないと、誰が証明できるのか。
仮に、死後に地獄が待っていたとしても、そこは二番底であって、ここもやっぱり地獄なんじゃないか。
そんな気がするのです。
さて。眠りを絶つことで精神の安定が回復することはわかりました。
でも今度は、果たして今自分は本当に生きているのか? という疑問がわいてきたんです。
これはゆゆしき問題です。
よく、「生きている実感がほしい」とかいって手首切っちゃう人がいますが、それでは生きていることの証明にはなりません。地獄絵図でも、鬼に爪をはがされた人が痛がっているし、血も出ています。よって、痛みや出血は生きていることの証明には使えません。
となると、何を持って生きているといえばよいのやら……。
まったくわからなくなってしまいました。
初期のゲゲゲの鬼太郎で描かれていた地獄は一見無人のようでした。でも宗教でいう地獄的なものはたいていの場合他人も存在します。
ここは本当に地獄じゃないと、誰が証明できるのか。
仮に、死後に地獄が待っていたとしても、そこは二番底であって、ここもやっぱり地獄なんじゃないか。
そんな気がするのです。