田沢湖 湖畔の杜通信

湖畔の杜レストランORAE《番猫『ミミ』のわがまま雑記考》

被災地へ Vol.5

2011年03月22日 | 東日本大震災 被災地へ。

こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです

最初から暗くなるまで繰り返し水を供給するつもりで行ったので、私たちがお持ちした水が無くなったところで場所を教えてもらい車を走らせました。

そうしている内に、ローリー2台がリアスホールに到着。

車のナンバープレートを見ると、なんと鹿児島と福井県。

本当に全国からいらしているんだなと暫し感激。

鹿児島は肝付町から、福井の越前市からとの事でした。

大船渡市役所の方か避難されている方かわかりませんが、ご縁のおありになる方がいらしたようで、鹿児島の話しに花が咲いていました。

「皆、どこかで繋がっている」

そう実感した瞬間でした。

遠く離れていて、そんな場所にまで行けないというのは頭の中で考える事で、現地に赴くと心の距離が近ければ繋がっている事がわかるものなのだなと思いました。

さて鹿児島の給水車は5トン、福井の給水車は3トン・・・・嬉しい数量です。

私たちが居るうちにこちらのローリーの水も貯水槽に入れて差しあげたいと思い、給水に行った車を待たずに早速作業に取り掛かりました。

うちのメンバーなどは、「よおし、今日はここの貯水槽を満タンにして帰るぞ!!」と雄たけびをあげておりましたが、おいおい君は貯水槽が70トンの容量だとわかっているのかって感じで彼の雄たけびも空を舞っておりました。

しかしながら、心はみんな一緒でした。

ここの貯水槽を満たしていけたら、市役所の方もどんなに楽で、避難されている方もどんなに助かるだろうと。。。

とにかく出来る限りの事をして帰ろう・・・そう決めました。

運びながら鹿児島の話しをしたりと・・・・同じミッションをこなすメンバーのように打ち解けておりました。何でも鹿児島の役所にも秋田県から嫁いだ方がいらっしゃるそうで、お帰りになってから「田沢湖の人たちと一緒だったよ」なんて話して下さったら、まだお会いした事もない方とも繋がれるなと嬉しくなっておりました。

鹿児島が終わったあと、今度は鹿児島の方たちも福井の水運搬を手伝って下さったり、非常にいい雰囲気でした。

福井の水も入れ終わる頃、私たちの車も到着。

市役所のお若い方も自ら大きな声を出して、張り切って運ばれている様に、私たちの些細な行為を有難いと心から思って下さっているのだなと胸があつくなりました。

同時にこんな若者が市役所にいるのだから、再興された大船渡は素晴らしく生まれ変わるに違いないと強く思いました。

さて私たちの2回目の水も貯水槽に入れ終わった時には、もう辺りは暗くなっておりました。

「もう一回行きます!」と申し出たのですが、暗くなって作業が出来ないからという事で今回のところは終了と相成りました。

帰るとき、皆さんが思わず笑顔になったポンプとタンクは置いてくる事にしました。

これを持って帰る気には到底なりませんでした。

「じゃあ、送ります」とおっしゃって下さいましたので、「いえ、また来ます」とおこたえして車に乗り込みました。

「気持ちは皆さんと共に・・・」です。

さて、その次は・・・・・。

実は明日、また参ります。

そのご報告はまた次回に。

F0004

鹿児島の給水車です。

遠路はるばるフェリーに乗っていらしたようです。

F0005

蛇口が4口ありまして、大分効率的に運搬できました

F0006

こちらは福井 越前市の給水車です

F0008

最後の移送はこのように暗くなってしまい、タンク内に

灯りをともしての作業となりました。

右側にいらっしゃる若い市役所の方・・・素晴らしく

気持ちのいい方でした。

コメント (6)
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