食育と言われて久しいですが、食育って具体的になんだろう・・・って思います。例えばどんなところでどんな風に育った野菜なのかという野菜の生い立ちを知り、それをどんな風にお料理しているのかを知る・という事でしょうか。。。食育の概念が最近は非常に広義になってきているような気がして私自身明確には答えられません。。。
そのような事も非常に大切なのですが、私が常に考えているのは「お料理を通じて愛情を伝える・・・人間性を育てる」という事です。お料理にはそれを実現出来る力があると思います。最近スーパーで売られているカップスープも非常によく出来ていますが、やはりしっかり何日もかけてスープストックを作りじっくり煮た味わいというのは本当に心を癒す力があると思います。何日もかけて作るというのは、何日もそのスープに心をかけているという事で、それは即席には到底表現できない滋味深さとして食べる人の心の中にじんわりと浸透していくものだと思います。
手をかけるというのは、何日もかけるという事だけではなく、お料理の下ごしらえから含まれ、例えばお大根が何時間煮込んでも煮崩れしないように面をとるとか、大根くさくないように下煮がしてあるとか・・・これは面倒なことで省きたいことでもあるのですが、このような事をすることによって味わいにガサツさがなくなり、心にしみる味または忘れられない味になるのではないかと思います。
コンビニでおにぎりも売っている時代ですが、母親の手で握ってくれたおにぎりはふんわりしていて、でも崩れることなくしっかりしていて、ご飯の表面に馴染んだ塩味とノリの風味が、頬張るごとに「おいしいな」と感じさせてくれました。おにぎりもその握り加減に心を入れないとなかなかそのようにはいきません。まさに具と一緒に心を込めて握るからこその美味しさなのでしょう。その美味しいと感じる中に、早起きしてにぎってくれたお母さんの姿も浮かび、その愛情に包まれてる感が心を満たし子供を満足させるのだと思います。
大人だけではなく子供も同じように色んなものと戦っている時代に、「どうしたの?」「疲れてる?」なんて尋ねなくても、そのお料理を食べただけで心と身体が癒され、心の懲りがほぐれる・・・そんなお料理が必要なのではないかと思います。料理にはそれができる力が十分あります。「母のあの味が忘れられない」というのは、味ではなくそれで癒された心の味わいが忘れられないのだと思います。
痛いところにお母さんの手が何時間も優しく添えられていると、お母さんの手の温かさが痛い部分に広がり、苦痛が安らぐ・・・こんな経験皆さんおありじゃないでしょうか。不安な気持ちが、よくなれと念じるお母さんの手からの愛情で癒され、安心することから苦痛が薄らぐのだと思います。
お料理もそれと同じ、しっかりと心のある料理はまさにマザーズタッチそのものなのだと思います。食育も必要ですが食で癒される「食癒(しょくゆ)」(造語)が必要ですしとても大切な事だと思います。
何があっても日々のお料理を通じてそのような愛情で包まれていたら、どんな事でも柔軟に対応できるスポンジのような余裕と緩衝性のある豊かな心の人間が育ち、またその人間性が維持されるのではないかと思います。