TONALITY OF LIFE

作曲家デビュー間近のR. I. が出会った
お気に入りの時間、空間、モノ・・・
その余韻を楽しむためのブログ

読書備忘録 Vol. 2 ~ 細雪(谷崎潤一郎著)

2014-03-24 00:55:12 | 読書
母が四人姉妹であるせいか、この作品にはひとかたならぬ親しみと愛着を覚える。
初孫で男ということもあり、三人の叔母たちには随分と可愛がってもらった。

『細雪』は次女・幸子を中心に綴られていて長女・鶴子の出番は少ないが、
もし母方四姉妹の物語が誰かの手によって執筆されるとしたら、
しっかり者の長女である我が母がきっと軸になるであろう。
四女・妙子に相当する芸術家肌は、格式ある書道展にも入選作を送りこんでいる次女の叔母で、
三女同士は、雪子の縁談がなかなかまとまらないのに対し、叔母は若いうちに華々しく嫁いでいった点では対照的、などと
比較をしながら読むのも面白い。

何か “事件” が起こると母方四姉妹の間には姦しく電話が飛び交う。
母と三女の叔母が話している間に、次女と四女の叔母がつながり、
キャッチが入ると今度は間髪入れずに母と四女、次女と三女に入れ替わるといった具合。
「難儀やわ」「~よってに」など『細雪』はたおやかな関西弁が魅力であるのに対し、
「なんば言いよっと」「~しんしゃい」という母方四姉妹のリズミカルな博多弁もまた乙である。

数年前祖母の葬儀で、母と叔母たちが和装の喪服姿で久々に並んだのを見たとき、
『細雪』のことがすぐに思い出され、まるでその続編が目の前に現れたかのように錯覚した。
お互いに相性や考え方の違いはあるにせよ、四人にはそれを超越した独特の絆が感じられる。
「全く、この姉妹はただ徒に似ていると云うのとは違って、それぞれ異なった特長を持ち、互いに良い対照をなしながら、一方では粉う方なき共通点のあるところが、見る人の目にいかにもよい姉妹だと云う感を与えた」(上 45頁)、
「蒔岡家の三人は、めいめい特色がおありになり、似ているようでそれぞれ個性がはっきりしておられ、揃いも揃って良い姉妹であられること」(下 251頁、行きつけの美容室・井谷の言葉)、
というのが、そのまま当てはまるのである。
四人姉妹というだけで、そこには物語が成立するのだろうか。

『細雪』の四姉妹をもう少し詳しく見てみよう。
・彼女(次女)は妙子(四女)と云うものを、自分たち姉妹の中では一人だけ毛色の変った、活潑で進取的で、何でも思うことを傍若無人にやってのける近代娘であると云う風に見(中 69頁)
・この妹(四女)は三人の中で一番行儀が悪い点が雪子(三女)と対照を成すのであるが(中 108頁)
・彼女(次女)はしばしば、貞之助(次女の夫)のことや悦子(次女の娘)のことよりも、雪子(三女)のことや妙子(四女)のことを心に懸けている時間の方が多いのではないかと思って、自ら驚くことがあった~この二人の妹は彼女に取って、悦子にも劣らぬ可愛い娘であったと同時に、無二の友人でもあったと云えよう(中 184頁)
・仲が好いので決して諍いにはならないのであるが、冷静に観察すれば、雪子(三女)と妙子(四女)の間には可なり険しい利害の対立が潜んでいるのであった(中 215頁)
・姉(長女)は姉妹の中でも一番おっとりしたところがあり、妹たちから「神経が鈍い」と云われている(中 274頁)
・~それは大正十四年で、今から十四年前、幸子(次女)が二十三、雪子(三女)が十九、妙子(四女)が十五の折であった(下 20頁)
次女・幸子、三女・雪子、四女・妙子の歳は、4つずつ離れていることになる。

さて、この四姉妹を最も近い距離から眺めているのが、次女・幸子の夫の貞之助である。
谷崎の夫人が四人姉妹の次女で、それがこの作品誕生のきっかけになったことを知り、多少なりとも合点がいった。
すなわち貞之助は、谷崎の立ち位置であり目線なのである。
文豪の描写は、心象も情景も重箱の隅をつついてもまだ足りないほどに細密である。
純邦楽、庭の植物、着物のこと、本家の蔵に仕舞われていた骨董の類...凡人には及びもしない博識ぶりを披露しているが、
作品が完全な空想ではないことに、ある種の安堵感のようなものを感じた。
この貞之助という男、歳は上巻の初めで四十二(上 26頁)。
・経理士をしていて毎日大阪の事務所へ通い~商大出に似合わず文学趣味があり(上 18頁)
・着物の柄とか、着附とか、髪かたちなどに趣味をもっていて(上 57頁)
・職業柄にもなく文学青年的な純良さを持つ(上 104頁)
・ウロンスキーさんと仰っしゃるんですか、『アンナ・カレニナ』の中に出て来ますね(上 126頁)
・「お父さん! お化け云う独逸語どう云うのん」(悦子)、「あんた、お化け云う独逸語やて。知ってたら教えたげなさい。・・・・・・・・・」(幸子)、「ゲシュペンステル!」貞之助は、何年か前に習ったそんな独逸語を覚えていたのが不思議だったので、つい大声を出して云った(中 176頁)
・「何や、仏蘭西の小説にでもありそうやわ」(幸子)、「フィレンツ・モルナアルやないのか」(貞之助)(中 244頁)
と、さすがのインテリを随所で発揮している。
お月見をしながら東京の雪子(三女)に寄せ書きをする場面では、幸子と悦子の俳句を直したりもした(上 188頁)。
・「変によく徹る甲高い声」(上 61頁)、
・夫(貞之助)は用心深い代りに、思い立ったことはなかなか諦めないたち(中 56頁)、
といった記述も出てくる。

このあとのエントリーでは、各章にまさに備忘録としての見出しを付けてみることにしよう。

谷崎潤一郎著『細雪(上)(中)(下)』(新潮文庫、1955年)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書備忘録 Vol. 1 ~ ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン著)

2010-08-08 00:50:55 | 読書
日付けで言うと僅か2日間の物語。
ルーヴル美術館館長のジャック・ソニールが殺された夜~翌日の夕方、主人公の二人がイギリスのロスリン礼拝堂に行き着くまで。
しかし時に古代ギリシャやエジプトにまで遡る歴史、興味深い “象徴” の話、登場人物のバックグラウンドがふんだんに盛り込まれていて、
ヨーロッパ史に張りめぐらされた時間軸を縦横無尽に旅することになる。
ニケーア公会議(325年、「見にこ」い会議ニケーアへ)ってそういうことだったの!?(答えは中巻 134頁)
メロヴィング朝が?!(答えは中巻 179頁)
よみがえってくる世界史の断片と新鮮な驚き。
こういうアプローチを取っていれば受験勉強もより主体的にできたかも。
宗教象徴学を専門とする大学教授ロバート・ラングドンを介して
様々な “象徴” をストーリーにつなぎ合わせたりそれを補強するのに使ったり、
その手腕は読み応えたっぷりの学術論文にも決して引けを取らないであろう。
しかも結果は大ベストセラー。

当然のように映画も観てみた。
「導師が雨を逃れたまさにそのとき、アリンガローサ司教は雨のなかへ足を踏み出していた。」(下巻 138頁)
このような描写は映像化を前提に執筆されたかのようでさえある。
しかしながら案の定と言うべきか、原作の密度があまりに濃過ぎて映画では割愛せざるを得なかった...
そんな箇所にいくつも出くわした。
もっとも原作を忠実に再現することが映画の使命ではないので、それを批判するつもりはない。
ロン・ハワード監督が「シラスを軸に撮りたかったほどだ」とその特異な存在に惹かれていたとおり(Blu-rayの特典映像インタビューより)、
オプス・デイの修道僧シラスは、その生い立ちなども比較的原作に近いかたちで挿入されている。
一方で明らかに取捨選択の犠牲となってしまったのが、チューリッヒ保管銀行パリ支店長のアンドレ・ヴェルネ。
ムシュー・ヴェルネの描かれ方は随所で光っていたため、R. I. には不満の残った部分である。
例えば、当局が彼に関する情報を細大漏らさず収集すると、
「クレジットカードの利用記録からは、ヴェルネの嗜好がうかがえた。美術書、高価なワイン、クラシック音楽のCD。曲はほとんどがブラームスで、それを数年前に買った超高級ステレオで楽しんでいると思われる。」(下巻 94頁)
モーツァルトやショパンではなく、ブラームスというところにヨーロッパの薫りとでも言うべきリアリティを感じた。
このような数行で人物像に厚みを与えられるのは小説ならでは、逆に映像では難しい。
巻末の「謝辞」で列記されている十数名のなかに、アンドレ・ヴェルネなる名前を見つけた。
モデルとなったパリジャンが実在するのだろうか。
ヴェルネが金庫車の運転手になりすまし、ロバートとソフィーを警察に包囲された銀行から脱出させるシーンの迫力は
間違いなく中盤のヤマである。
「『運転手はみんなロレックスをはめているのか』コレは尋ね、ヴェルネの手首を指した~(中略)~『このがらくたか? サン・ジェルマン・デ・プレの台湾人の屋台で、二十ユーロで買ったんだよ。あんた、四十で買わねえか』」(中巻 64頁)
何という機転! 

“象徴” に付随する数々の薀蓄のなかから、特に印象に残ったものを2つほど。
いずれもソニエールがまさに殺されようといういまわの際に書き残した “象徴” である。
まずは五芒星(五本の直線が交差した、五つの頂点を持つ星)。
「(ラングドンは)学生のころに受けた天文学の授業で、金星が八年周期で黄道上に五芒星を描くと知り、感銘を受けた~(中略)~ギリシャ人は金星の魔法に敬意を表し、その八年の周期の半分を基準としてオリンピア競技会の開催時期を決めた。」(上巻、71頁)
金星の描く美しい軌跡を一度この目で追ってみたいものだ。
もう一つはフィボナッチ数列と黄金比の話より。
「その数列は、隣り合うふたつの項の和がつぎの項の値に等しいことで名高いが、隣り合うふたつの項の比がある数へ近づいていくという性質を持っている。その数こそ黄金比すなわち約1.618だ。」(上巻 172頁)
1 - 1 - 2 - 3 - 5 - 8 - 13 - 21 - 34 - 55 - 89 - 144 - 233 - 377 - 610...
確かに。610÷377 も 377÷233 も 1.618 の後に小数点が続いている。
神秘的。

荒俣宏氏の解説に触発されて、ヘンリー・リンカーン著の『レンヌ=ル=シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』を手元に取り寄せた。
長い序文を経て本編を覗いてみると、早速「ニコラ・プッサン」が登場。
「暗色の壁には巨匠の絵画が並んでいる。その一枚は、祖父が二番目に好きだった画家プッサンの絵だ。」
(中巻 120頁、サー・リー・ティービング邸客間の場面、ソフィーの目線からの描写で)
聖シュルピス神学校の「聖シュルピス」は上巻で登場したあの?
『ダ・ヴィンチ・コード』で目にした固有名詞たちが改めて謎めいた光をちらつかせている。
お盆ウィークはこれでヨーロッパ史の深淵へと引き摺り込まれることになるだろう。

ダン・ブラウン著、越前敏弥訳『ダ・ヴィンチ・コード(上)(中)(下)』(角川書店、2006年)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする