ワンクリックの買い物では味わえない図書館での楽譜探し。
実物を手に取って中身を確認しながらというのは久々の感覚である。
お目当てはショスタコーヴィチの『24のプレリュードとフーガ 作品87』。
第1番のプレリュードを、ヨハン・セバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1番のそれと
並べて演奏することを思いついた。
大曲に挑む余裕のないなか、18世紀と20世紀の聖典の冒頭を並べるという選曲の工夫で乗り切りたい。
どちらもハ長調で、すべての調性を網羅する大規模な連作の入り口に相応しい親しみやすさと、
非常にモダンな響きを湛えている。
バッハはあまりに有名な分散和音、一方のショスタコは和音中心という違いも互いを引き立てるに違いない。
検索で最初に引っ掛かった日本語タイトルのものは、あいにく別の場所に所蔵されているという。
次に “Russian Piano Pieces” という作品集を当たったところ、残念ながら第1番は収録されておらず、
あとはロシア文字の羅列から類推するしかなかった。
作品番号が決め手となって、2つヒットしたものは出版社がロシアとドイツのもの。
ここはキリル文字が神秘的な前者がいい。
それにロシア版は冒頭にプレリュード第1番の自筆譜の写真が載っている。
これがマティスを彷彿とさせる実に魅力的な線なのである。
母校は美術館の完成によって印象が大きく変わってしまった。
一方でレンガの門柱に乗った外灯は通っていた頃のまま。
すぐに辿り着けなかった分、探し物を見つけた充実感は高まって、上野公園を歩く足取りは軽かった。
実物を手に取って中身を確認しながらというのは久々の感覚である。
お目当てはショスタコーヴィチの『24のプレリュードとフーガ 作品87』。
第1番のプレリュードを、ヨハン・セバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1番のそれと
並べて演奏することを思いついた。
大曲に挑む余裕のないなか、18世紀と20世紀の聖典の冒頭を並べるという選曲の工夫で乗り切りたい。
どちらもハ長調で、すべての調性を網羅する大規模な連作の入り口に相応しい親しみやすさと、
非常にモダンな響きを湛えている。
バッハはあまりに有名な分散和音、一方のショスタコは和音中心という違いも互いを引き立てるに違いない。
検索で最初に引っ掛かった日本語タイトルのものは、あいにく別の場所に所蔵されているという。
次に “Russian Piano Pieces” という作品集を当たったところ、残念ながら第1番は収録されておらず、
あとはロシア文字の羅列から類推するしかなかった。
作品番号が決め手となって、2つヒットしたものは出版社がロシアとドイツのもの。
ここはキリル文字が神秘的な前者がいい。
それにロシア版は冒頭にプレリュード第1番の自筆譜の写真が載っている。
これがマティスを彷彿とさせる実に魅力的な線なのである。
母校は美術館の完成によって印象が大きく変わってしまった。
一方でレンガの門柱に乗った外灯は通っていた頃のまま。
すぐに辿り着けなかった分、探し物を見つけた充実感は高まって、上野公園を歩く足取りは軽かった。