TONALITY OF LIFE

作曲家デビュー間近のR. I. が出会った
お気に入りの時間、空間、モノ・・・
その余韻を楽しむためのブログ

盛岡の底力 ~ 原敬の妻を演じる大槻由生子の一人芝居

2024-10-26 22:55:19 | 舞台

いなだ珈琲舎でモーニングをゆったり愉しんだあとは、
古い町並みが残っているという鉈屋(なたや)町界隈へと向かった。
大きな樹木に囲まれた寺院も多いこの地域、とりわけ大慈寺は裏手から塀伝いに回った分、その広さを実感した。
正面の石柱に黄檗宗と彫られているのを見て、山門が異国情緒を醸し出しているのに合点がいく。
ここは第19代内閣総理大臣・原敬(1856〜1921)の菩提寺としても知られているようだが、そのことにとりわけ興味はなかった。
ただ二人組の女性が原敬のお墓参りをしているのに丁度出くわし、妻が言葉を交わしていたのと、
そのうちの一人は髪を結っての板についた和装であったことから、人影まばらな境内で印象に残った。

午後に市内のアーケード街を歩いていたとき、あるチラシに偶然目が留まる。
「チャリティ公演 大槻由生子 一人芝居 原敬の妻」
原敬の妻、原浅さんの人柄に魅せられ30年ほど演じてきた一人芝居の見納め公演、と告知されていた。
そしてこの芝居は、盛岡芸妓の富勇に今後バトンタッチされる計画なのだという。
富勇の写真は今朝大慈寺で見かけた和装の女性と一致した。
墓前では引継ぎを報告し、区切りとなる舞台の成功を祈願したのであろう。
公演は明日、帰りの新幹線にも間に合う上演時間、これぞというタイミングにピンと来るものがあり、
さらに夕刻にはリハーサルを終えたと思しき二人と宿泊先付近でまた遭遇したものだから
旅先ならではの縁を確信した。

チケットを首尾よく入手しての当日。
大槻の30年に渡るライフワークとしての洗練、完成度は見応え十分で、
これだけのものを見せてもらえたことに盛岡の底力を感じずにはいられなかった。
原浅も大槻由生子も富勇も岩手県の出身でつながり、第一に芸事が息づいている土地柄であるということ。
昨日は南部紫根染の草紫堂で、染めやしぼりの着物文化を目の当たりにしたところだったが、
その価値が認められ、ニーズが存在しているというのは、豊かさの表れにほかならない。
有形無形の文化に加え、街中には政治家、文化人など偉人の足跡も豊富にある。
大槻は幼い頃より日本舞踊や芸事に親しみ、「もりおか弁朗読講座」講師、女優としても
キャリアを積み重ねてきたというプロフィール。
富勇は本業の三味線や唄のほか、ナレーションや原敬の遺言書などの読み上げを舞台上で担った。
盛岡弁がふんだんに披露される場面では一観光客としてその響きを楽しんだり、
戊辰戦争に敗れた際、賊軍として辛酸を嘗めた歴史が語られたあたりでは、
日本の近代史の側面からも好奇心を大いに刺激されたのである。

会場となったテレビ岩手は、市内を流れる中津川沿い、中ノ橋のすぐそばにある。
この地には約50年前まで秀清閣という料亭があったそうで、原敬も大変贔屓にしていたのだとか。
プログラムのそんな解説にも盛岡での一期一会が刻まれた。

昨日立ち寄った大慈寺では、お墓に手を合わせなかったことが悔やまれた。
原敬と浅の墓は並んでおり、呼びかけるのに困らないようにと同じ深さで眠っているという。
富勇が新たな息を吹き込む芝居の開催に合わせて、再訪する機会を作りたいものだ。

2024.10.19
チャリティ公演 大槻由生子 一人芝居 原敬の妻@テレビ岩手 ロビー
ナレーター:富 勇、脚本:上田 次郎、演出:本館 公治


第30回記念 狂言 やるまい会 東京公演@喜多能楽堂

2014-11-17 01:26:00 | 舞台
学生時代の知り合いの演奏会や個展に出掛けると、
卒業以来欠かすことなく積み重ねられてきたであろう精進の日々に思いが馳せられてただただ頭が下がる。
特にパフォーマンスを伴うものには「本番」があり、
身体的なメンテナンスにも常日頃から相当な神経を注いでいるはずだ。
狂言「やるまい会」の主催者・野村又三郎は、十四世として今まさに脂が乗っていた。
狂言の道を真摯に極めようとしている姿に接し、またご子息との共演を目の当たりにして一層感慨深い公演となった。
一子相伝の芸が次代へ橋渡しされているのを垣間見られるのは、能・狂言や歌舞伎など子役が登場する演劇ならでは。
工芸や大工などの分野も然り、日本の伝承は家によって代々おこなわれていくのが強みである。
芸能に限れば、雅楽まで遡ってあらゆるジャンルの主要な流派が途絶えることなく並存しているのは
日本ならではの特色と言われる。
極めつけは男系で125代続いている天皇家。
世界広しと言えどもこのような長きにわたる一本の皇統が現存するのは我が国のみで、
それが例えばアメリカのプロトコル(外交儀礼)においては
英国国王、ローマ法王と並んで天皇が最高位に置かれる理由なのだとか。

さて、会主の堂々たる挨拶に始まり、『文蔵』、『石神』、素囃子の「水波之伝」を挟んで『唐人子宝』の三番が披露された。
『石神』で夫婦役を演じた奥津健太郎、野口隆行は役へのはまり具合が絶妙でおかしさを誘った。
なんと三組の親子が舞台に立った『唐人子宝』は、子役達の声や背格好がまさに一期一会であることからも貴重である。
世継ぎを無事に儲けた誇らしさ、めでたさが舞台に満ち満ちているかのように感じられた。
能『唐船』を翻案した異色の狂言だそうで、中国語風の科白が珍しい。
この日客席が一番湧いたのは、唐土(中国)より携えたという宝物、巻絹・サンゴ・瑠璃の壷が舞台に並べられ、
サンゴを「赤サンゴでござる」と言った場面。
おそらく時事の話題を巧みに取り込んだものと思われ、それによって様々な距離がぐんと縮まった。
やはり笑いを取ってこその狂言と思うのである。
野村又三郎は狂言に相応しい明るいオーラと、その風貌に際立った個性を備えている。
古典芸能という制約はあれども、これから唯一無二の芸風がますます磨かれていく予感がした。

楽屋を訪ねたとき、ご子息の挨拶が礼儀正しかったこと。
それにあやかるためにも今度はぜひ子供と一緒に出かけよう。

第30回 狂言やるまい会 東京公演
2014 11.15 sat
十四世喜多六平多記念能楽堂

バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング@新国立劇場

2013-11-16 17:03:45 | 舞台
バレエのために書かれた音楽なら、一度は踊りとセットで鑑賞してみたい。
そんな思いから新国立劇場の「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング」に出掛けてきた。
《火の鳥》《アポロ》《結婚》を一挙に観られるという魅力的なラインナップ。
ダントツで《結婚》がよかった。
結婚という男女の融合が、主に男性ダンサー(花婿の友人)と女性ダンサー(花嫁の友人)の群舞で表現される。
音楽面からそれを後押ししているのは声。
ソプラノ、アルト、テノール、バスの各ソロと合唱が、男女という対の存在を効果的に際立たせていた。
天を突き刺すようなソプラノであったり、地の底から鳴り響くかの如きバス...
一糸乱れぬダンスを繰り広げるであろう本場の舞台をぜひ見てみたい、
そう思わせる作品としての確かな魅力があった。
茶と白を基調とした村人の衣裳は大地に根付いた暮らしを想起させ、
抑制が効いているからこそ群舞が盛り上がる。
ロシア語の響きは時に呪文めいて聞こえる。
ピアノと鐘の音が神聖に響くラストでは、清々しい高揚感に包まれた。
誰にも一目で印象に残るポーズもあった。
それは友人たちが頭部を重ね合わせて作る三角形。
牧神の振付けのように、そのポーズを見ただけで《結婚》と分かる象徴性は、作品の格を上げていると感じた。
解説によるとそれは「目」を表しているらしい。

《火の鳥》はあまりにも分かり易くて学芸会の音楽劇的な流れ。
期待が大き過ぎたのかもしれない。
バレエのための音楽とは言え、オーケストラのプログラムとしても人気のあることが証明しているように、
自分のなかで火の鳥を想像しながら聴くのも正解だと確信した。
今期のフィギュアスケートでは町田樹選手と安藤美姫選手のフリーの曲でもある。
できればソチのリンクでぜひ羽ばたいてほしいと願う。

《アポロ》は古代ギリシャ神話の世界。
ストラヴィンスキーの新古典主義が照らし出す地平と完全にシンクロしている。
これは魅力的になるもならぬもダンサー次第であると感じた。
カリスマ的な肉体が躍動すればそれだけで文句なしに美しい。

映画『シャネル&ストラヴィンスキー』では、冒頭で《春の祭典》初演の様子が克明に描かれている。
賛否両論怒号が飛び交い、遂には騒動を鎮めるため警官が出動したというから驚きである。
ディアギレフやニジンスカといった稀代の才能に引っ張られ、
ロシアバレエ団(バレエ・リュス)に熱を上げた当時のパリの空気がどんなものであったのか、
100年後の東京でその片鱗に触れられるのを期待してみたのだが、
正直なところそれは分からなかった。
ただ《結婚》を観られたのがよかった。

バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング(初日)
2013.11.13 wed
新国立劇場 オペラパレス

『春琴』Shun-kin@世田谷パブリックシアター

2013-08-11 13:23:57 | 舞台
谷崎ファンとして直感的にチケットを押さえた。
すっかり足が遠のいている劇場に戻るきっかけを探していたところでもあった。
人気の公演と知ったのは後日。
立ち見もあふれる当日の盛況ぶりに幸運を知る。

演出が英国人というのが何と言っても驚きである。
サイモン・マクバーニー。
イギリス演劇界の鬼才と呼ばれているそうだ。
日本の古典芸能の演出や特徴が彼のなかで消化され、巧みにアプトプットされているところがすばらしい。

数枚の畳がくっついて時には部屋、ときには廊下と、パズルのように形を変える。
最小限の小道具(作り物)で舞台を様々な場所に見立てる、能の精神が宿っていると感じた。
主人公の春琴は、糸竹の道を極めんとする盲目の美しい娘という役柄。
人形で登場することにより、浮世離れした存在が増長されていた。
同一の演目であっても歌舞伎より文楽の方がうんと幻想的であることをサイモンは見抜いていたのだろう。
人形を操りながらセリフを喋るのは深津絵里。
後半激しい感情の炸裂とともに、人形が生身の人間(深津)に変わる、その瞬間の効果も絶大であった。
籠から飛び立つ雲雀を、半紙のような紙を震わせることで表しているのは何からインスパイアされたのか。
扇の技法にあったように思われたが調べがつかず。

ナレーションの収録という体を取りながら進行し、そこかしこに笑いが散りばめられているところは、
いかにも今日の演劇らしいと思った次第。
初めての世田谷パブリックシアターは、官が運営する無機質な劇場かと思いきや、
三茶座とでも呼んだ方がよさそうな居心地のよい空間であった。

『春琴』Shun-kin 谷崎潤一郎『春琴抄』『陰翳礼讃』より(2日目)
2013 8.2 fri
世田谷パブリックシアター