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奈良県は下北山村にある前鬼山.ここは,かつて大峯奥駈道の修験道者たちの拠点であったという.池原ダムの少し北側,国道169号線の池原貯水池の上に架かる立派な前鬼橋の近くに,前鬼山へと続く道が分岐している.入り口では,座ってくれる人を何十年も待ち続けているであろう木製のベンチが出迎えてくれる.
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路面は舗装こそされているが,幅員は狭小で廃屋も目立つ.登山客で賑わっていた時期があったのかもしれない.道は,池原貯水池へと注ぐ前鬼川に沿って走っている.少しずつ高度を上げながら前鬼山へと登っていく.
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険しい道を進んで行くと,三連の立派な隧道―前鬼トンネル―が現われる.この辺りは,全ての名称に鬼が付けられているようだ.元々は飛鳥時代,修験道の開祖―役行者(えんのぎょうじゃ)―が悪さをしていた鬼の夫婦(前鬼・後鬼)を改心させ,弟子として仕えさせていたことに始まる.
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前鬼と後鬼には5人の子供があり,役行者の命令によって,修験道行場の守護のためにこの地に住みつき,集落を作ったと言われている.そして,5人の子供らが,修業者達の宿坊をそれぞれ開き,宿坊は子孫に引き継がれて,明治時代まで1300年間続いたという.しかし,1872年の修験道禁止令以降,修験道の衰退で宿坊は廃業し,前鬼と後鬼の子孫は,里を去ることになってしまう.
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そんな鬼の里,前鬼山を登ってしばらくすると,目の前の視界が突然開ける場所へ出た.前鬼山の中腹から豪快にほとばしる,落差およそ100メートルの不動七重の滝があらわれた.かつては,前鬼の大滝とも言われていたそうだ.滝壺はとても素晴らしい色を呈していた.そして,なんと歩いてならこの滝壺の真下まで行けるそうだ.
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今回は滝壺へとは行かずに,オートバイでさらに前鬼山の奥へと進んで行くことにした.五つあった内の一つの宿坊が,令和時代の今もなお存続しているという.前鬼・後鬼の子供,五鬼助が開いた宿坊―小仲坊―が六十一代目に引き継がれているのだ.そして,この鬼の里を目指す途中で,思いがけない出会いが二つ続くことになるのだった.
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