修験道の開祖―役行者(えんのぎょうじゃ)―の弟子である前鬼・後鬼夫婦の子孫らの宿坊を兼ねた集落を目指して,前鬼山の奥へと進んで行く.五つあった宿坊の内のひとつ―小仲坊―だけが,今も存続している.険しい道の途中には名瀑,不動七重の滝がある.
不動七重の滝を後にして,山奥へと進んでいくと,勾配はさらにきつくなり,ガードレールのない道が続くようになる.そして,この前鬼山へと続く道路は,太陽を山の背にしているため,総じて日陰となっており,薄暗い雰囲気が続く.一方で,陽の当たっている向かいの山々は,山吹色にまぶしく輝いていた.
そんな山道をゆっくり走っていると,カーブを超えた先に体長1メートルほどの二ホンジカの雄と鉢合わせるのだった.幸いゆっくりと走行していた為,二ホンジカを驚かせることなく,7,8メートルの距離を保って停止することができた.3分間ほど,二ホンジカと対峙していたであろうか.
対峙している間,二ホンジカはライムグリーンのオートバイと人間とを不思議そうに見つめていた.こんな機会はまずないので,こちらからは一切動かずにいたが,二ホンジカの方がしびれを切らして,道から崖へと下って行ってしまった.この立派な角には,鬼の魂が宿っているのかもしれない.珍しい来訪者に,前鬼が姿を変えて会いに来てくれたのだろうか.
思わぬ展開に興奮が収まらず,オートバイを走らせるも運転が雑になってしまうのだった.大型の野生動物と近距離で対峙したのは,これが初めての事だったので当然かもしれない.ふとした瞬間,木の陰や岩が,野生動物に見えて仕方がなかった.たどたどしい走行を続けていくと,橋を超えた先に林道前鬼線起点の標識が現われた.
林道前鬼線は,車両の通行が禁止されていて,道はチェーンでしっかりと封鎖されている.ここでオートバイを停めて,折り畳み式リュックを広げ,カメラをジャケットのインナーを突っ込み,身支度を整えた.そして,2キロメートル先にある前鬼の里を目指して,歩いて行くことにした.
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