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"It never gets easier, you just go faster."

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「何キロで牽けばいいですか。」「ゆっくりで」

2014年05月04日 | 長距離
直前の記事は↓
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「これはナイトライドではなく、禅だ。」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」
誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「渋峠は自走に限る」

+++前回までのあらすじ+++
太平洋~日本海を目指し勇躍横浜を旅立ったニャロメと林道の二人組。深夜の寒さと、上州からっ風に体力を奪われ、ヘロヘロになって高崎に到着。大休憩地点の健康ランド前で、先頭のニャロメは後方から大きな物音を聞いた。
それは林道太郎が漬物石に乗っかって大落車する音だった。大けがにもめげず彼女の待つ金沢へ走り続ける林道あらため漬物石太郎。ペースを落としつつも草津の登り口までたどり着いた。渋峠へのヒルクライムは、絶景補正がかかったのか二人とも意外なパワーを発揮しマイペースでクリア、過去最高の雪の回廊を満喫し、ご満悦の体で長野側へ降りる。
「後は日本海まで下りです」というわけにはいかない。制限時間は4時間。残りは100km。無事に直江津の人魚ちゃんにはあえるのだろうか。

++++++

2100mの頂きからの極上ダウンヒル。2時間半かかった登りを、1時間で降りてきました。
最高速は69km止まりでしたが。
新品の25Cタイヤのダウンヒルの安心感、衝撃吸収が素晴らしく良い。しばらくこのタイヤでロングを走ります。


信濃中野から飯山へ右折し、最後の峠、富倉峠の登り口の北飯山まで10km。この区間は向かい風の爆風が吹いていて、いくら踏んでも進みません。ここで二人相談。

ニャロメ「何キロで牽けばいいですか。」
漬物石「ゆっくりで」
ニャロメ「だから、何キロで?」
漬物石「ゆっくりで」

察しろ!ということでしょうか。25kmで巡航することにしました。


向かい風区間なので、単独走行は疲弊します。


次か次の次に日本海に来る時は、帰りはこれでぴゅーんと帰りますか。


いよいよ来ました。ここを左折して、標高差300mを登ると、後は長い長い長い長い日本海へのダウンヒルです。
かなり長いです。強調しておきます。


富倉峠は目分ですが5kmで250mアップ、平均6%。途中までやけにギアが足りないな~とおもったらアウターにチェーンが掛かっていました。平均210Wでヘロヘロになってクリア。
長旅の最後に平均6%越えは脚に来ます。


そして、とうとうやってきました!!!
このトンネルは、このルートで日本海を目指したものにしかわからない感動のトンネルです。
もう、登りはありません・・・


ウィンブレを着こんで、日本海側へ転がり落ちていきます。


その前に、朱鷺の看板さんにご挨拶。

…この後、直江津の海水浴場まで40kmを残していますが、ダウンヒル区間で漬物石さんが遅れ気味です。
下りでもペダルを回していないので、ひょっとしたらエネルギー不足気味なのかも?

途中数分待っても降りてこないので、登り返して見ると、道端で座っています。
「ハンガーノックみたい!補給食食べてる。」という声が返ってきました。

回復を待つ間、500m位の田舎道を4本TTしました。240W-260W位なので全くのショボショボw

ここから先は日も暮れ、疲労もマックス、漬物石さんの疲労も回復はするものの、今度は修電との時間の競争で私自身に余裕がなくなり始めました。漬物石さん、焦って先を急いでしまいすいませんでした。

7時に直江津のヤマト運輸センターに到着、ここで先に配送しておいた着替えと輪行袋の入ったメッセンジャーバッグを回収、後はビールを買って直江津海水浴場に向かいます。


そして、日もすっかり暮れた7時半、日本海に到着~☆
黄金色の恵比寿麦酒は、350kmの黄金の味わいが致しました。あんなに旨いビールは久しぶりだった。




標高図

<<<旅のデータ>>>
Ride Time (Time Moving) 14:55:27
Distance, km 347.10
Work, kJ 7893
Calories, 8,833
Ave Speed (kph): 23.26
Ave Heart Rate (bpm): 125
Ave Power (Watts): 146
Normalized Power 184
Training Stress Score 600.8
Gained, m 3750.00
<<<>>>

この後、私は修電に乗って横浜へ、漬物石さんは金沢に向かうわけですが、よい旅には不思議なエピローグが付いて回るもの。
今回は、新幹線接続寝過ごし事件笹団子フーテン太郎さんに盗まれる事件が発生致しました。これに関しては後日譚として別途報告の予定です。

以上、駄文長文にお付き合いくださいありがとうございました。

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「渋峠は自走に限る」

2014年05月04日 | 長距離
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誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」

+++前回までのあらすじ+++
太平洋~日本海を目指し勇躍横浜を旅立ったニャロメと林道の二人組。深夜の寒さと、上州からっ風に体力を奪われ、ヘロヘロになって高崎に到着。大休憩地点の健康ランド前で、先頭のニャロメは後方から大きな物音を聞いた。
それは林道太郎が漬物石に乗っかって大落車する音だった。大けがにもめげず彼女の待つ金沢へ走り続ける林道あらため漬物石太郎。ペースを落としつつも草津の登り口までたどり着いた。標高2100mを越えてあと6時間で日本海にたどり着くことはできるのか。

++++++


天上の楽園へのヒルクライムが始まった!

ここまで230km。脚は使い切っているはずだが、絶景補正が入り意外と踏める不思議な峠。
地獄谷ロープウェーまではAv 230Wで登れた。


ここまで全部自分の脚で来た。この風景、この高度、全部俺のもの。


漬物石さん、お先に~
交通量はGWとあって多めですが、みなさん自転車乗りにやさしいです。


Z坂が見えてきた。黙っていても表情が緩んでくる。


車で登るなんてヤボざます。自転車で登るに限ります。


もうすぐGiro d'Italiaが始まりますが、ドロミテアルプスステージもこんな感じですよね。


漬物石さんが、横浜から輪行で来たという御仁を連れて登ってきました。なかなか快調に登っています。ホントに怪我仁でしょうか?


しばらく並走して一緒に登ります(後ろから漬物さんが写してくれました)
中ノ条から輪行してきたそうです。


笑っているのか、うれし涙なのか、またしても涙腺崩壊w
自走で日本海を目指す時のみ、この高揚感の感情が押し寄せます。


うぉぉぉぉ!来た。この風景の向こうから走ってきた!


下界を睥睨することしばし。


林道さんも感動しながら登って参りました。


草津白根山までは、後少し!風が爆風に変わりました。一部区間では自転車が進まないくらいの向かい風ですが、気にしない。


白根山は素通りして、山田峠~渋峠へ。
山田峠をヒーヒー登っていると、雪原をスノーボーダーがシャーっと滑って行きました・・・

そして・・・
とうとうやってきました・・・
雪の回廊!


今年は雪の壁が高すぎてカメラに収まりません!
推定8m!


この区間は山田峠と渋峠の間、比較的短い区間で、路駐スペースはありません。ですので、バイクと自転車客のみが記念撮影に興じることができます。


いや、まじ、今年の壁は高い高い。


ちょっと壁に正拳鎖骨打ち込み。


渋峠、確か輪行で2回、ロープウェーで1回、そして自走でこれが3回目です。他にも湯田中側から1回あったな。
いずれにせよ、登っている時に涙が止まらなくなるのは、自走で来た時だけ。
こうやって後日ブログを書いたり読み返した時、そこに至るまでの苦労や疲れは風化して、善き思い出だけが残ってしまうのだけど、やはり渋峠は自走に限る。この感動があるからこそ、あの意味のない関東平野の160kmが活きてくるw

さて、頂上で2時半。
日没は6時半。
ここから日本海まで100km。
間に合うのでしょうか?

続く

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」

2014年05月04日 | 長距離
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+++前回までのあらすじ+++
太平洋~日本海を目指し勇躍横浜を旅立ったニャロメと林道の二人組。深夜の寒さと、上州からっ風に体力を奪われ、ヘロヘロになって高崎に到着。大休憩地点の健康ランド前で、先頭のニャロメは後方から大きな物音を聞いた.

林道「ワァァァァ!!!」

ドンガラガッシャーン。ズズササァー!


ヒィ!林道さん落車である。
これは大変だ。この旅行はこれからどうなってしまうのだ。
まず、落ち着いてけがの状態をチェック。
肩、肘、腿、掌の4点で着地した模様。掌の皮がべロンと剥けて痛々しい。
肩、ひじ、腿は小さめの擦過傷。だが、ジャージ、ウィンブレ、タイツが破れてしまっている。
なぜこんな所で・・・


犯人はこの漬物石である。
よもやこのようなものが路肩にあるとは思わないだろう。これに深夜突然乗ってしまえば、それはコントロールを失うだろう。


本当にこの傷でこの先続けられるのか。本人は大丈夫と言っているが、お風呂に入る時も染みていたそうだ。
幸いだったのは、健康ランドのフロントでたくさんの絆創膏を善意で頂けたこと。今は気を巡らせてもしょうがない。とりあえず目覚ましを4時半にセットして、二時間でも睡眠をとれるように頑張ってみる。
この後林道さんが走り続けられるかは、明日の朝判断しよう・・・

・・・そして夜が明けた。
林道さんはけがの具合は軽い。走れそうだ、と言っている。

そうか。ならばエスコートしながら日本海まで何としてでも行くぞ。
ここから直江津まで196kmだ。


走りだす。まずは三国街道を北にとり、渋川へ。


いつのまにか三国街道を並行して走る、新しい道ができていた!?
赤城山を右手に、気持ちよいモーニングライド。落車明けの林道太郎は、どうだろうか?


つらそうだ。
「(手の皮がむけたので)ダンシングできね~!」と言っています。


天気は最高!最高の景色が我々を待っているであろう。
脚さえ持てば。


榛名山の特徴的なシルエットを左手に。
3年前にここに来た時、平均時速は29kmでした。今回は25.3kmくらい。向かい風もあったし。


中之条あたりで、吾妻線沿いの道に降りる。GWということもあり、行楽客の車が増えてきた。
林道さんなかなかペースが上げられない。そりゃそうだ。200W位でペソペソ牽くのがちょうどよいみたいだが、どうしてもナチュラルに240W位でてしまうので、つい自然に離れてしまう。途中から強制的に後ろに下がって先頭を牽いてもらいました。

岩櫃城を過ぎ、新道と旧道(ダムで水没する方の道:川原湯と吾妻峡経由)の分岐を旧道へと向かうと、交通量がめっきり減って素晴らしい道になりました。


緑が疲れた脚に力を吹き込みます。

以前走った時は、八ッ場ダム建設用のダンプカーがひっきりなしに通る、交通量の比較的多い渓谷沿いの道でしたが、悲しいことにダムの建設が2020年と決定し(以前来た時は民主党政権のころもあった)、この区間は一部水没が決まってしまいました。
むかし休んだ道端、町のコンビニも今はひっそりとシャッターを閉めていて、さながらゴーストタウン。眩しい新緑とは裏腹に、少し悲しくなりました。


新緑はダムがあるにしろないにしろ、変わらずこの谷を彩り続けるでしょう・・・


吾妻峡にやってきました。
あれ?ダンシングしている。
どうやら私が先頭を牽くより後ろに控えたほうがよいペースになるようです。


新緑が最高に気持ちよい。


この橋を潜ると長野原は近い。長野原草津口で新道と合流し、そこからまた六合村方面へ右折すると一気に交通量の全くない、日本の里山ヒルクライムが始まります。




そして、横浜から走ること220km、とうとう白根山の雪をかぶった山頂が見えて参りました!


高度を上げると山桜が満開に。


後続の林道さんですが、登りの方がいいペース。下りよりも登りの方がよいペースで刻めるみたいです。


六合の道の駅で、ヒルクライム前の最後の大休憩。びっくりカツカレーセットにおそばをつけて、1060円。この燃料があれば、日本海まで行けるでしょう。林道さんは少し量を少なくしてカツ丼定食。これは、後でどう影響するでしょうか。

現在の標高が700mくらい。これから2100mの山と、690mの山を登って日本海側へ転がり落ちていきます。
時間は11時。良し!行くぞ。


スタートと同時に絶景里山ヒルクライムが始まります。
鯉のぼりを見ると、どうしても家に残したチビ太を思い出してしまいます。


実は草津までの登りが一番きつい。そんな中、一般車の交通に気を使わずにゆるりと登れるのが六合村ルートの良いところ。


痛い体に鞭うって、林道さんもヒーヒー登ってきました。

そして、天狗山レストハウスについたのが正午ちょうど。横浜から230km地点。やっとメインディッシュにありつきました。
さて、行きますよ。

誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「これはナイトライドではなく、禅だ。」

2014年05月04日 | 長距離


誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「漬物石太郎の苦闘と根性」
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誰がために私は漕ぐ2014:横浜~直江津345km  「何キロで牽けばいいですか。」「ゆっくりで」

自転車生活を再開してはや8カ月。だいぶ乗れるように体が戻ってきました。そうなると、以前のような超ロングライドをしてみたい熱病に罹患してしまいます。

このブログの過去帳をひも解くと、ロングライド3傑は下記の通り。
1. 2009 July 6 380km 自宅から伊豆半島一周
2. 2011 May 1 335km 自走直江津 via 渋峠
3. 2010 Aug 23 285km 秋葉街道 分杭峠ダブルクライムつき

このなかで、伊豆半島自走は膝靭帯を痛めた苦い経験があったので、今年のGWは渋峠か、秋葉街道を妄想するようになっておりました。そんな4月のある日、希望者をさぐってみると、ISOYA仲間のうえだっちさん、林道さんが釣れました。
しかしながら、直前になって当初の予定の1日の天候が思わしくなく、2日に順延した関係でオリジナルメンバのうえだっちさんが家庭の都合で泣く泣くDNS。同じく行きたがっていた小野てんちょの悔しい気持ちもまとめて日本海にドボンと落として行くことに。

最小人数にて挙行することになったので、深夜0時ではなく、夕方5時半に妙蓮寺駅を出発することに。その日は私がチビ太のおかあさんでしたので、一度保育園へお迎えし、ウェアに着替えて(笑)から、再度林道さんとママの待つ妙蓮寺に向かいました。

駅に往く道すがら、お父さん脱走の只ならぬ気配を察したのか、手を後ろに組んで歩み出すチビおじさん・・・










「あっ。おかあさんがいた。」


その日、保育園の父母懇親会にパパ組ではただ一人出ておりました。駅前であきれ顔のYOMEと話していると、うさぎ組の担当の先生が通りかかってしまい、直江津行の事情を説明する羽目に。

5時半になりました。
サイコンをゼロにして、出発!
「それでは、へんな林道おじさんとお父さんはじてんしゃのおべんきょうに行ってくるね。」


まずはお約束、太平洋にタッチ!


今回の秘密兵器、ヘルメットトップマウントのION700。これは正解でした。でももう少し下に向かうように調整が必要ですな。


Joule GPSは6時間前後でバッテリーが枯渇してしまうので、大休憩の度に充電していました。


ISOYAにいって店長犬のSORAに挨拶。おなかがすいていたので、レジ横にあったボントレガーブランド(!?)の羊羹を買ってその場でもしゃもしゃ。


日も暮れました。多摩川沿いから環八沿いに高井戸をまず目指します。


昔上井草には開かずの踏切がありました。今はこのくらいしかありません。しかし、この後の谷原では陸橋トラップにはまりました。


この日、都内と埼玉県内は微追い風でした。群馬県に入ると、それは向かい風に変わり、苦行が始まります。このころは一般道の交通も流れていたので、まだ快適に走れていたのですが。


朝霞から新座に入るところで、最初のコンビニ休憩。


入間川を越える。このころから、夜の帳が下りてあたりは真っ暗。水田の傍を通ればカエルの声が聞こえ、畜産農家の近所を掠めれば肥やしの良い香りが。そして残り距離数字は全く減らない。
うんうん、エキストリームツーリングらしくなってきたぞ。


漆黒の254号線北上を続けていくと、川島ICの近くで巨大な松屋の工場が。
よく調べると、これは配送センターでした。

写真には撮り忘れましたが、高崎市内でガトーフェスタ ハラダの工場の前を通過した時は、香ばしいバターの香りが漂ってきて、おなかが「グー!」と鳴りました。

川越街道(254号線)、途中までは順調そのものでしたが、途中から向かい風に。とにかく田舎で街灯もまばらにしかたっておらず、ひたすら先頭にたって向かい風を切り裂き進みます。切り裂く、とはいっても時速は30km届くかどうかというところ。とにかく暗くて何も見えないので、ずっと走っていると意識が無になっていきます。目をつむって1分走っても景色は変わらないでしょうか。禅の修行僧よろしく、心と前頭葉を無にしてひたすらロボットのようにクランクを廻し続けました。
先は長いです。ですので回転の上死点にペダルを乗せるだけで後は勝手にバイクが前に進んでいく、「あの」スイートスポットを意識してこぎ続けました。


荒川を越えると、熊谷市内に入ります。




この橋を越えて左折すると中山道になります。ここから、籠原>深谷>本庄>藤岡と西上しますが、徐々に高崎に近づいてはいるものの、距離はなかなか縮まらない。


深谷のファミマで作戦会議です。
ニャ「今12時。このまま走り続けて草津まで行くと、到着は朝の5時。」
林道「真っ暗闇の中、草津まで登るのか。道端見えるの?」
ニャ「もちろん見えない。なので深夜の走行はやめよう。高崎近辺で健康ランドを探そう」
・・・というわけで高崎で2時間ほど休憩することになりました。
とはいえ、向かい風で疲れまくった上に、深谷から高崎まで結構距離を残していました。

まさに、漕いでも漕いでも関東平野。自走で日本海を目指した者たちのみが知る、果てしない荒涼感!
しかも、昼間ならばいざ知らず、夜は景色がまったく見えないのでひたすら漕ぐのみ、おまけに今夜は上州名物からっ風の吹き下ろしと来ています。


途中、深川の沿道にはこんなものが。
林道さん、渋沢栄一さんはこんな人です。
日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。理化学研究所の創設者でもある。Wikiより


途中、迷ってはいないものの、高崎市内を目的地の健康ランドを求めて迷走。

夜2時を過ぎ、気温も下がり、風も強まり、二人のやる気、集中力はグングン下がって参ります。
このような時、得てして不幸が人を襲います。


この時、前方ではチビ太が路肩で何か細工をしていました。

そして、ゴールの健康ランドが見えた最後の100mで、私は後方から何かを聞いたのです。

林道「ワァァァァ!!!」

ドンガラガッシャーン。ズズササァー!


一体、ゴール手前にて何が起きたのか!詳しくは次回。