高校生ではなく、中学生だったみたいだが、この動画を見て遠い昔を思い出した…。
似た様な中学生がいて、迷惑どころか、実害が確実に出てもいた。
このバカは、朝から登校する小学生を待ち伏せていて、図工で使う工具、素材などを買うために持たされた僅かなお金をカツあげしていたのである…。断れば殴る蹴るが普通。
ま、朝は集団登校がデフォだったので、上級生がいたりもすればそうそう被害を受けることも避けられたのだが、下校時はそうではなかったので、ねちねちとしつこく付きまとい、逃げることもままならず、捕まれば殴る蹴る…って目に遭うことが確実。
このバカ、身分としては中学生だったが、学校なんか行っちゃいねぇワケで、毎日そんな事をやっていた。
バカだから、高校なんぞに進学できるワケもなく、卒業後もそんな事をやっていたと思うのだが、当時としては…
「死んで欲しいヤツ、ナンバー1」
の地位は揺るがなかったと思う。今なら…警察にでも通報すれば、速攻で捕まえられるほどの悪いヤツだったのだが、交番はあっても警察官がいたためしがない…(今でも…)って所だったので、概ね「野放し」。バカは子分まで引き連れ、小学生を狙うほか、近所の中学生もカモにしだしていた。
バカも進化を遂げるのが普通なのだが、コイツの足は相変わらず「ちゃりんこ」で、子分に合わせてそうしているのか、単純にバイクの乗り方すら覚えられなかったのか定かじゃないが、バイクでうろうろする姿が記憶に無い。
バカに当然、公式に免許を取る能力は無いし、はなからそんなモノ不必要で、乗れりゃあ乗ってるワケだが…。
その、ちゃりんこを乗る姿が奇異に感じるようになったのは、こちらが比較的高学年な小学生になった頃だったかと思う。
ちょっと走ったかと思うと、ふらふら…と止まり、暫く動かない…。暫く経つと、ふらふら…っと動き出し、ちょっと走ってまたふらふらしながら止まる…。
傍から見れば…缶ジュースを飲みながら…って感じだが、そうではない。缶ジュースの中身はシンナーだった。
バカの進化の過程は、そっちの方向に進んでいたのである…。それでも人を見れば、あの動画のように難癖を付けながらつきまとい、金が取れないと判れば殴る蹴る…。
だが、そのうち、殴る蹴るをしなくなった。頭がラリってそうした自由も利かなくなっていたのである…。
さすがに、ヤバイと思ったのか、青白い顔を冷や汗でキラキラさせていたのを見ると、シンナー断ちをしていたみたいだ。
このバカ、丁度殉職したGパン刑事みたいな上下白、サングラス…って格好だから、時代も知れるだろう。田舎じゃなにかと目立つ。それゆえ、こっちは避難することも容易になったのだが、偶然出くわしてしまう危険は常にあり、たまたま出会ってしまったら、こんなにアンラッキーな1日は無い。
…暫く、平和な日々が続いたかと思ったら、その静寂は救急車、消防車、パトカーのサイレンで破られた…。
…あのバカが焼け死んだのである…。
耕作を放棄された田畑に生えた雑草が、冬を迎え一面枯れ草の野原になっていた中に、バカらはアジトを作り、シンナーを吸いながら、バカな女を連れ込んでのオマンコ三昧をするのが常となっていたらしい。
縄文人でももう少しまともなアジト位は作れそうだったみたいだが、その中にシンナーを充満させながらタバコに火を点けたものだから、一面が一気に燃えたのだろう。生存者がいたことが奇跡…。
消防車の陰から覗き見た光景は今でも忘れられない。ドリフのコントみたいに焼け出された裸のねぇちゃんと子分。シンナーの入っていた1斗缶からは黒い煙が出ていたし、散乱する雑誌のほとんどがエロ本。その中で、大の字で動かなくなった黒こげの人間があのバカだと判るのに時間は掛からなかった。サングラスから白とも黒とも付かない色の煙がまだ立ち昇っていたんである…。
野次馬が殺到する中、集まった小学生は小躍りして喜んでいたのも記憶に鮮烈に残っている…。死んで欲しい人間が本当に死んでいる事を確認した喜び。いつ出くわすか判らない不安と、捕まった時の恐怖から解放された喜びがそこで爆発していたんである…。
考えようによっては、末恐ろしい光景だったかもと思うが、実際、そうしたバカに一方的に襲われる恐怖を味わった者であれば、それはやはり歓喜なんである…。たとえ、その場にいる大人にたしなめられようが、怒られようが、一方的に強いられる暴力から解放された喜びは、たとえそれが「人の死」であっても大きな喜びで万歳なのだ。
そうなる前に、地域の大人がこのバカをなんとかしていれば、こうした事にはならなかったハズなのだが、子供の声はほとんどが無視された。親にも言い、学校の先生にも言い、金銭を奪われて、用意しなくちゃならなかった図工の材料が揃えられなかった子供が何人もいたのに、大人は何もしなかったのである…。
親分を失った子分らがその跡を継ぐ事も無かった。つるんで悪さをしていた連中が名指しで吊るしあげられたワケで、これとて親分が焼け死ななかったらそうにはならなかったと思う。その子分とて、やがてバイクで自爆してあの世へ旅立ってもいるワケだけれど…。
時代は変わっても、こうしたバカの存在は変わりない。だが、その質は変わってもいる。陰湿を極め、それを楽しむばかりでなく、ひけらかす事にすら楽しみを覚えてもいる風情がある。
それらを「反省している…」ってだけで、許すのは大きな間違いだ。少年院や鑑別所に入れて、矯正だの更生だのを強いても、何の効果も無い事がすでに明らかになっている。悪い事をした対価を思い知らせない限り、こうしたバカは死なないと直らない。そして、死ななければそこに平和なんか来ないのである…。
そうした意味では、その素性がネットに知れ渡ることの意義は大きい。加害者の人権、少年法なんぞクソ喰らえっ! って時代になっている。加害者本人の情報だけではなく、その家族も含めてあからさまに晒される様になってもいる。
転地でもしなければ生活すらままならないほどの罰が自然発生的に起きる時代とでも言えようか…。
生ぬるい事後への対応が長年続いたのだから、これは致し方ない。本来なら社会正義と呼べない事象だけれども、ある種の正義として成立している世の中だと言うこと。そして、その中でバカがこうした行為を後先考えずに行う世の中でもある。良きにしろ、悪きにしろ、ネット社会の中でバカが何かをするに度に、こうした事が続いていくのは、ある種の抑止力さえ期待してしまう。
そう。あの一方的に強いられる恐怖を味わえばこそ、無名の正義感に支持された新しい時代の「天罰」に期待して他ならないのであるな…。
似た様な中学生がいて、迷惑どころか、実害が確実に出てもいた。
このバカは、朝から登校する小学生を待ち伏せていて、図工で使う工具、素材などを買うために持たされた僅かなお金をカツあげしていたのである…。断れば殴る蹴るが普通。
ま、朝は集団登校がデフォだったので、上級生がいたりもすればそうそう被害を受けることも避けられたのだが、下校時はそうではなかったので、ねちねちとしつこく付きまとい、逃げることもままならず、捕まれば殴る蹴る…って目に遭うことが確実。
このバカ、身分としては中学生だったが、学校なんか行っちゃいねぇワケで、毎日そんな事をやっていた。
バカだから、高校なんぞに進学できるワケもなく、卒業後もそんな事をやっていたと思うのだが、当時としては…
「死んで欲しいヤツ、ナンバー1」
の地位は揺るがなかったと思う。今なら…警察にでも通報すれば、速攻で捕まえられるほどの悪いヤツだったのだが、交番はあっても警察官がいたためしがない…(今でも…)って所だったので、概ね「野放し」。バカは子分まで引き連れ、小学生を狙うほか、近所の中学生もカモにしだしていた。
バカも進化を遂げるのが普通なのだが、コイツの足は相変わらず「ちゃりんこ」で、子分に合わせてそうしているのか、単純にバイクの乗り方すら覚えられなかったのか定かじゃないが、バイクでうろうろする姿が記憶に無い。
バカに当然、公式に免許を取る能力は無いし、はなからそんなモノ不必要で、乗れりゃあ乗ってるワケだが…。
その、ちゃりんこを乗る姿が奇異に感じるようになったのは、こちらが比較的高学年な小学生になった頃だったかと思う。
ちょっと走ったかと思うと、ふらふら…と止まり、暫く動かない…。暫く経つと、ふらふら…っと動き出し、ちょっと走ってまたふらふらしながら止まる…。
傍から見れば…缶ジュースを飲みながら…って感じだが、そうではない。缶ジュースの中身はシンナーだった。
バカの進化の過程は、そっちの方向に進んでいたのである…。それでも人を見れば、あの動画のように難癖を付けながらつきまとい、金が取れないと判れば殴る蹴る…。
だが、そのうち、殴る蹴るをしなくなった。頭がラリってそうした自由も利かなくなっていたのである…。
さすがに、ヤバイと思ったのか、青白い顔を冷や汗でキラキラさせていたのを見ると、シンナー断ちをしていたみたいだ。
このバカ、丁度殉職したGパン刑事みたいな上下白、サングラス…って格好だから、時代も知れるだろう。田舎じゃなにかと目立つ。それゆえ、こっちは避難することも容易になったのだが、偶然出くわしてしまう危険は常にあり、たまたま出会ってしまったら、こんなにアンラッキーな1日は無い。
…暫く、平和な日々が続いたかと思ったら、その静寂は救急車、消防車、パトカーのサイレンで破られた…。
…あのバカが焼け死んだのである…。
耕作を放棄された田畑に生えた雑草が、冬を迎え一面枯れ草の野原になっていた中に、バカらはアジトを作り、シンナーを吸いながら、バカな女を連れ込んでのオマンコ三昧をするのが常となっていたらしい。
縄文人でももう少しまともなアジト位は作れそうだったみたいだが、その中にシンナーを充満させながらタバコに火を点けたものだから、一面が一気に燃えたのだろう。生存者がいたことが奇跡…。
消防車の陰から覗き見た光景は今でも忘れられない。ドリフのコントみたいに焼け出された裸のねぇちゃんと子分。シンナーの入っていた1斗缶からは黒い煙が出ていたし、散乱する雑誌のほとんどがエロ本。その中で、大の字で動かなくなった黒こげの人間があのバカだと判るのに時間は掛からなかった。サングラスから白とも黒とも付かない色の煙がまだ立ち昇っていたんである…。
野次馬が殺到する中、集まった小学生は小躍りして喜んでいたのも記憶に鮮烈に残っている…。死んで欲しい人間が本当に死んでいる事を確認した喜び。いつ出くわすか判らない不安と、捕まった時の恐怖から解放された喜びがそこで爆発していたんである…。
考えようによっては、末恐ろしい光景だったかもと思うが、実際、そうしたバカに一方的に襲われる恐怖を味わった者であれば、それはやはり歓喜なんである…。たとえ、その場にいる大人にたしなめられようが、怒られようが、一方的に強いられる暴力から解放された喜びは、たとえそれが「人の死」であっても大きな喜びで万歳なのだ。
そうなる前に、地域の大人がこのバカをなんとかしていれば、こうした事にはならなかったハズなのだが、子供の声はほとんどが無視された。親にも言い、学校の先生にも言い、金銭を奪われて、用意しなくちゃならなかった図工の材料が揃えられなかった子供が何人もいたのに、大人は何もしなかったのである…。
親分を失った子分らがその跡を継ぐ事も無かった。つるんで悪さをしていた連中が名指しで吊るしあげられたワケで、これとて親分が焼け死ななかったらそうにはならなかったと思う。その子分とて、やがてバイクで自爆してあの世へ旅立ってもいるワケだけれど…。
時代は変わっても、こうしたバカの存在は変わりない。だが、その質は変わってもいる。陰湿を極め、それを楽しむばかりでなく、ひけらかす事にすら楽しみを覚えてもいる風情がある。
それらを「反省している…」ってだけで、許すのは大きな間違いだ。少年院や鑑別所に入れて、矯正だの更生だのを強いても、何の効果も無い事がすでに明らかになっている。悪い事をした対価を思い知らせない限り、こうしたバカは死なないと直らない。そして、死ななければそこに平和なんか来ないのである…。
そうした意味では、その素性がネットに知れ渡ることの意義は大きい。加害者の人権、少年法なんぞクソ喰らえっ! って時代になっている。加害者本人の情報だけではなく、その家族も含めてあからさまに晒される様になってもいる。
転地でもしなければ生活すらままならないほどの罰が自然発生的に起きる時代とでも言えようか…。
生ぬるい事後への対応が長年続いたのだから、これは致し方ない。本来なら社会正義と呼べない事象だけれども、ある種の正義として成立している世の中だと言うこと。そして、その中でバカがこうした行為を後先考えずに行う世の中でもある。良きにしろ、悪きにしろ、ネット社会の中でバカが何かをするに度に、こうした事が続いていくのは、ある種の抑止力さえ期待してしまう。
そう。あの一方的に強いられる恐怖を味わえばこそ、無名の正義感に支持された新しい時代の「天罰」に期待して他ならないのであるな…。