なにがめでてぇんだコノヤロー! って思った事無い?
毎年思っているので、いつも普通に新年の挨拶は交わしてはいるけれど、心の中じゃそう思っていたりするんである…。まぁ、年賀状も止めちゃって久しいし、電話やメールじゃ普通に交わすこの時期の挨拶ではあるが…
「あけおめ!」「ことよろ!」
なんて抜かしやがる野郎には正義の鉄槌を下して、灰色の脳味噌を引きずり出して元に戻らなくしてやろうか…とか、心の中で思ったりしないのん?
…新年を無事に迎える事が出来、実にめでたく、また、今年も昨年と同様、そして幾久しくよろしくお願いいたします…ってのが「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。」なのである…。
それが…「あけおめ!」だぁ? 「ことよろ!」だとぅ?
ふざけた事抜かしてやがるとその口二度と開かねぇようにしちまうぞ…って気分になったりしない?
…な、話しをだね、北米に住む友人のメリッサ・エドゥワァーズさん(仮名・39?歳・独身・女性)と挨拶がてらしていたりしたんだが、あっちじゃ「こんぐらちゅえいしょぉお~んっ!」とはあまり言わないらしく、「はっぴーにゅぅーいやぁー!」だけなのだそうな…。
…日本語の得意な人でつくづく良かったが…日本での、この時期に交わされる挨拶としての「おめでとう!」ってのに該当する米語は特に無い…って話。そういえば…お誕生日おめでとう…も、はっぴーばーすでぇー! だな。
「…だってアンタ、こっちじゃYouはゆーだけですもの…」
「あー。そうだね…言い回しとして丁寧にする場合はあっても、詰まるところYouはYouだものね…」
そうであっても、毛唐に新年早々ライブチャットで「あけおめぇ~!」「ことよおぉろ~!」なんざ言われたかねぇぞ…ってのは、心にしまっておくが…。つーか、時差ってモンをよぉ、少しは考えろ…。
そうした言語の違いと価値観の違いを強引に乗り越えての友人関係が今年も続いているのは、やはりめでたい。
「アンタ、こっちに来ないけどなんで?」
「あいはぶのーじょぶで、のーまにーでよぉ…」
「んじゃ、アタシ行くから。待ってるのよ…」
ええっ! 来るの? う、やだなぁ…。
「仕事で行く用事があるので、東京で会いましょう。」
ああ。そういう事か…。話しによれば…本来ならもう来ているハズだったのだそうな。本来はオーストラリアに用事があるので、そのついでに日本に寄る…って話になっていたらしいが…
「オーストラリア、水ばっかしになったでしょ?」
「へっ? 何言ってンだ?」
…ちょっと調べたら…オーストラリアが大変な事になっていたのである…。ドイツとフランスの国土を足した面積が、水没しているみたいだ…。ちょっと想像を超えてるが…雨が降らなくて、水が非常にヤバイ事になっていたと思っていたのだが…。ちなみに…日本の大雪どころの話じゃない感じに想像を超えている。
「夏前には行くと思うけど、決まったらまたおしえる。」
「そうだね、さだんりーにれいどはナシで。」
オーストラリアにはヒツジを見に行くそうだが、イマイチ彼女の仕事とどう関係があるのか判らないのだが、新年早々行けなくなったのは、日本で言えば「おめでたくない」であり、あっちじゃ「はっぴーでない」って事になる。
そうか…あっちじゃ、めでたいはハッピーなのだな…。そうと知っていて「あけおめ!」だの「ことよろ!」だの抜かす毛唐のバカデカ巨乳おんななんぞ、生かしておけようか…。国際問題になるな…こんな事書いてると…。
…ところで…画面をあまり大きく出来ないので気付かなかったが…なんでコイツ下着姿なんだ…新年のサービスか…アメリカン・ジョークってやつ?
「見てるだけで寒そうだから、何か着ろよ…」
「うん。あー。クリスマスプレゼントね。もらってないけど」
あー。例年はクリスマスあたりに連絡来てたっけなぁ…。あっちの人はそうした時候の挨拶は結構マジメにだが、日本はそれほどでもない。せいぜいが年賀状で、手紙と言う習慣は薄まりつつある。
「セクシーでキュートだわ。」
「自分で言うかよ…すいむうぇあじゃねーのか…」
「暑いので、これがいいんだよネ。」
「寒いんじゃないのか? コロラドって…スキーしたしな…」
「家全部が暑いんだよね。」
どんな家に住んでるのかも知ってはいるが…暖房がオンかオフのどっちかって事で、そうなるみたいだが…。
中年のおばさんの下着姿見せられてもなぁ…かと言って、珍しくもないのでセクハラにも思わないんだけど…。
「おじたん。はトゥイターやらないのか? フェイスブックは?」
「つぶやくよりだらだらしゃべる方が好きなんだよ。見せて楽しめるフェイスじゃないし。」
「ブログはやってるか?」
「う、ぶろぐ? やってないよ…」
そんなの知られたら、大変な事になるのは目に見えているので「やってない…」的な事にしてある。つーか、何年も前からやってねーと言ってあるんだが…。
コイツはあなどれないヤツで、実は大阪弁も東北弁も判る人なのであるが、日本に来ると、全く判らないフリで通しきるんである。まぁ、おじたんと一緒の時は主に日本語を主体としたちゃんぽんで不都合ないが、確実に日本語だけで何も問題なくコミニュケーションが取れるクセに、平時は全く判らない事にしているんである…。そうでいて、周囲を楽しむのだから、イヤなヤツだったりするが、ヨーロッパの言葉も幾つか堪能で、助かったりもしたので、ちょっとそうした楽しみは羨ましい。平仮名だけだったら、おじたん。より、ずっとキレイに書くし…。
ま、いろいろと話はしたが、アメリカもあまりハッピー! とも言えないらしく、周囲にはのーじょぶ、のーまにー…な人がゴロゴロしているそうだ。日本と同じ様に、永続的に出来る仕事も無いし、そうでなく出来る仕事すら非常に乏しいと言っていた。景気が良いなんてのは大きな都市にしかやって来ない都市伝説とも…。
「なんとかならなくなったら、アメリカ来なさいよ」
「なんとかならないのに、アメリカに行けないだろ」
「ホントに困ったら、ダンナにしてあげる。」
「ああ、そりゃ、ありがたい。」
涙が出るほどウレシイ話だけれど、実際にはそうにはならないと、お互いに判ってもいるのだ…。
「電波塔できたか?」
「知ってンだろ、スカイツリーはまだだよ」
「そうか。あっちのタワーは壊しちゃったの?」
「いや、あるよ、壊すなんてことしないよ。」
よく、2人で東京タワーに行ったもんだ。麻布台からてくてく歩いて、きれいなタワーを見に出掛けた。
夜の展望台で、それらしくロマンチックな事になればいいんだが、決まってヤツは下の水族館で無茶な魚を買おうとするんである…。
「これ、買いたいな…」(超デカイ、ナマズを指さして…)
「売ってるけど、持って帰れないだろ?」
「…欲しいな…」
「アメリカだって売ってンだろ? デカイのもゴロゴロ住んでるじゃネェか。」
「…売ってるよ。捕まえて食べるよ…」
ワケ判らないんだが、訪れる度にそんな事始めるので、水族館の人にも顔を覚えられたと思う…。
「おじたん。それじゃ、またね。今年もよろしく。」
「メリッサも元気で。来るの待ってるから。おめでとう。ありがとう。」
「でも、用事あったらメールで呼ぶワよ…」
「わかってるよ。ウチはカメラ調子悪いからライブチャットは大変なんだけど…」
仕事もなく、金もなく、体の調子も本調子にはならないで、出来る事は限られているが、おじたん。には遠いむこうに、大事なお友達がいる。
…謹んで、新年のお喜びを申し上げます…。今年も、昨年同様に、よろしくお願い致します…。
時候の挨拶に過ぎないが、やはり略したりせずに、丁寧に使いたいと思うんである…。何喰わぬ顔で、さも当たり前に使う言葉かも知れないが、大事な人に自分の声で大切に使いたい挨拶であるとも…。
…ライブチャットの会話のお終いの音声が途切れて、映像だけわずかに繋がってるトコロで、急いでおっぱい丸出しにしてぶるんぶるんするのはやめた方がいいぞ、メリッサ…。これだからポルノに緩いんだか厳しいんだか、判らねぇ国の人間はプライベートで慎みに乏しいから困る…。
でも、そんなヤツでもウレシイな。マキシマムにハッピーで、おめでたいヤツ…。
それが、涙が出るくらいに、おめでたくて、ハッピーだと、じわじわと思うようになってきた。涙出た。
また、少なからず、このブログを見てくれている人もいる。
大変な事は続くし、いろいろとあるモンだけど、どうか、みなさんも、ハッピー! で、おめでとうな1年を過ごして頂きたい。そして、幾久しく…に。