日本にはこういった史跡が数多くあり、得てしてデカイ。が、エジプトのピラミッドと比べると低く小さい。
そんな話を帰国子女(本人がそう呼称しており、差別等の大意は無い)としてクリスマス当日を迎えたワケだが、彼女は日本のソレを「鍵穴マーク」と呼んでいる。
確かに、空撮などで撮られる写真を教科書や百科事典等で見ると「鍵穴マーク」のソレである。最大の仁徳天皇稜等もキレイな鍵穴の形がクッキリハッキリである。これには異論が無い。
「これ、違うじゃんねぇ。前が丸いじゃんねぇ…」
帰国子女は写真を見ながらキャプションに異議を唱えていた。「前方後円墳」の5文字に。
そう。前が四角く、後ろが丸いから「前方後円墳」であり、鍵穴マークから想像すると「前円後方墳」となってしまう。
「これは前では無いらしいぞよ。だから後円墳で正しいらしいぞよ。」
油っぽい食事とケーキで満たされてしまったあちくしは、冷たいウーロン茶でさっぱりを味わいながらより一層のさっぱりを求めて冷蔵庫を漁りながら訂正する。
「するとこの写真は全部逆さまなんじゃありませんか? そこのおじーさんよぉ…」
ん? 逆さま? 何を言い出すのだ、この帰国子女は。確かに伸ばしたヒゲのほとんどが白髪となってしまい、えせサンタ風ではあるものの、おじーさんとは何事じゃ。そもそも「逆さま」とは何ぞや。
「だってさぁ、前がこっちなら上はこうじゃないの…」
うむ。確かに鍵穴マークとして認知出来やすい写真が殆どだが、前にあたる部分である「前方」は下にあり、「後円」は上である場合が多い。うむむ。前方を上にすると何となく違和感が生じ、逆さ鍵穴マークを認めたくない自分がそこにいるのである。
これは古代の天皇の陵墓、つまるところ「お墓」であり、入り口は四角い「前方」の部分、亡骸が納められているのが丸い「後円」の部分だと言われている。だから入り口の部分を手前に持って来た方が判り易いという意味の写真ではないかと思うのだが、「前方」を上方に合わせると逆さ鍵穴マークとなってしまう。
意味としては正しいとは思うが、視覚的に受けるデザインとしては「違和感」を感じてしまう物なのだと言う事なんだなぁ。
「ねぇ、何でこの形なの?」
何でと言われても、そんな事は古代の方々に聞いてみないと判らない。そもそも、限られた人のためのお墓であり、庶民に墓など無いに等しい時代の物だ。そのデザインの由来に何か意味があったとは思われるが「これだからこーした…」と言う書物があるとは聞いた事が無い。伝承にしても残っているとは思えず、場所によっては丸だったり四角だったりって物もある。だが、天皇陵と呼ばれる物にはこの鍵穴マークが多いのも事実である。
「きっと宝物よ。宝だから鍵穴なのよ。そうなんでしょ?」
連想としては悪く無いが、恐らく関係ないと思う。埋葬品の中には確かに「お宝」的な価値のある物もあったとは思われるが、歴史的な価値観から言えば「お宝」かもしれないが、現代に残る様な金銀財宝の類や、宝石ザクザクの類は少ないと思う。盗掘されて後世に残る様な宝物が無いに等しいから。
この辺はエジプトなんかと比べると寂しい物がある。黄金の国と呼ばれていた時代もあったが、もっと古くには黄金すらなく、大陸から伝わったガラスとかの装飾品位しか出て来ない。黄金のデスマスク位出て来ると派手で良いが、それほど高度な技術がまだ無かった時代なのかもしれない。
「で、この中何が入ってるの? 誰か入ってンでしょ? 大学の人とか…」
あんたもヒマなら入って来なさいよ…的な勢いで言われたが、宮内庁を敵に回すほど左翼ではない。
天皇陵であるからして、学術的な見地からも発掘調査位はしていそうだが、実はあまりされていない。明らかに「天皇陵」と判る物等は、その殆どが未調査に近いと言う。だから、内部がどうなっているとか、明らかになっている物は少なく、中世に盗掘した人の日記とかあれば、それが唯一の物だったりするし、住宅や道路整備の途中で偶然にも「陵墓」だった所を掘ったり、崩してしまった時に行われた調査位しか行われていないと聞く。そんなワケで、鍵穴マークのお墓の殆どは「謎」に満ちており、言われている人のお墓だとは限らない場合もありそうな勢いで、未調査なのだと言う。
「はにわが転がってるだけらしいよ、中は。あとは錆びた剣とか鏡、ガラスの管とかね。」
その大きさからすると実に乏しい中身に思えるが、埋葬された人が肝心なワケで、そもそも「お墓」である。お墓すら持てない人が多かった時代にあれだけのお墓を作る事が出来て、それを許された身分を考えると「さもありそう…」に思えるが、そう思うのは現代人の「価値観」だからであって、当時の人々にそれと同じ物を求めるのは難しいだろう。
「じゃあ、何も判って無いワケね? 何で? どーして?」
日本人はエジプトのピラミッドの事は詳しく知っているが、自分の国のお墓の事は詳しく知らないのが現実で、そこには最先端技術を伴った科学の世界すらも立ち入る事は出来ない。なぜなら、殆どが「天皇陵」であり、天皇の墓を暴く事に他ならないから。エジプトの王様はよくて、日本の天皇はだめなのか? って事もあるが、エジプトでもダメなものはダメらしい。最近では世界に散在したミイラを返せって事もやってるし。まぁ、そんなワケで、偉かった人だけれど天皇では無い…人のお墓であれば調査も進んでいるので、そこから類推する他に方法は無い。が、誰が被葬者だったかは定かでは無い場合も多々あるので、調べたら天皇だったなんて事も無きにしも非ず。だが、そんな事は無い様に配慮されてるのかもしれない。
「イエス様はどこに眠っているのかしら? おじーさん知らない?」
重ね重ね言うが、おじーさんじゃないんじゃ…。ほっほっほっ…。ん? イエス様? イエスさんはお墓無いだろ。生き返っちゃったんだから。それ以来、あちこちに現れて教えを説いた後は定かでは無いが、ここが「イエスさんのお墓です…」って所は無い。だから、誕生を祝うクリスマスはあっても、弔う日は見当たらない。もっと詳しく言えば、12月25日だって、怪しい。聖書にはきちんと記してなかったのだ。その後の宗教の「流れ」の中で12月25日に定まっていったと言うのが正しく、正確な日時は未だにわからないのが本当の所である。だいたい、その生まれからして「神」づいちゃっているワケで、こーなるとお手上げ。ただ、磔にしたした人もいたようだし、槍で刺した人もいたようなので、実際にいたらしい人ではあるのだが、何故かちょくちょく現れて人々に奇跡をもたらすのはお母さんの「マリア様」の方だし。科学の進歩と共に、その矛盾と戦わなければならなかったのは、後に彼を神と崇めた宗教者達であって、その苦労は未だに続く。神の与えたもう試練は、我々には過大過ぎる物が多かったのだ。
「じゃあ、これは鍵穴じゃないのね…。ふーん。」
つまるところ、鍵穴マークと天皇陵に象徴される前方後円墳のそれとは関係が無いと思う。関係ないのだが、何か通じる所を与えるのが記号的な物だけなのか、その他にあるのかどうか、誰も判らないままに時間は流れる。むしろ、そんな事はどうでもよい事であって、それがどーした? 的な記憶の片隅にも残らない物なのかもしれない。だが、そこを突き詰めて考える時間や人も必要な場合もあると思うが、我々が相応しいのかどうだか、甚だ疑問は残る。
「あたし、これ見に行きたいなぁ…」
難しい事では無いが、希望通りに見るにはセスナかヘリをチャーターしなければならない。
「えっ? じゃあ何でこんな形に?!」
これだから歴史のロマンは尽きない所がいいのかもしれない。とりあえず、冷蔵庫で見つけた抹茶アイスをナメながら、クリスマスの夜は更けて行くのである…。