朝日新聞の「声」の欄の下方に時々目をひかれます。自分の主張したいことに沿った個々の意見ではなく、一つのテーマに絞って意見を募ったものの中から選ばれたものが五つぐらい並ぶのです。
今日取り上げたのは「配偶者の呼び方」というテーマでの男性の意見です。実はこの前に女性の意見を集めたこともあったようなのですが、見逃してしまったのです。
女性の地位が向上したというのか、働き改革などで、私達の時代とは打って変って、女性も男性に負けずに社会的な地位を確保している時代というのか、呼び方ひとつとってみても、女性を目下にみるような呼び方は厳しく拒否されるようです。
中で面白くまとめた投稿がありました。おせっちゃんが勝手に箇条書きの様にまとめました。
★ 妻が・・・私は刺身の妻ではありません。
★ 家内が・・私はずっと外で働いていました。家外です。
★ 連れ合いが・・私は連れられてなんかいません。自分で歩きます。
★ かみさんが・・私が上なら下は?
★ 細君が・・私は細くなんかありません。太っています。
★ 配偶者が・・私は割り当てられてなんかいません。誰にも縛られていません。
★ おかあさんが・・あなたのお母さんではありません。子どもたちのお母さんです。
どうも結論としては★「私は京子。京子と呼んで」らしい。
他にも
★ 「ウチのが」「ワイフが」と仕方なく言うこともある。関西人が「ウチの嫁さん」とさらりと言っているのは便利な言い回しと思うが、老妻をいまさら「ヨメとは言えない」
★ 主人・・・夫婦に上下関係はないはずだ。いろいろ考えた結果、「パートナーがいいとの結論に達した」。
私は
ほとんど、無言、息遣いで分かる。今更呼び方などでカチンとくるほど気を使って生きていない、というのが私の本音。どうでもいいや。
私の母は、「チトセ」と言いました。一度も会う事もなく、親の勧めるままに10歳年上の父と結婚して8人の子をなした夫婦でした。
父は「チトセ」に「や」を付けて、「チトセやあ」と呼びかけていました。この場合の「や」は何だったのでしょう。呼びかけの助詞というのでしょうか。古い時代の小説などでは小女、や女中を呼ぶのに使っているような気もしますが。
私が嫁いだ夫の母親(姑)が、ある時言いました。おせっちゃんのお母様は、お父様に可愛がられていらしたのね~。だって、チトセや・チトセやと呼んでいらっしゃったでしょう。うらやましいと思っていましたと。
はあ、そういう考えもあるんだ。とビックリしました。それほど仲のいい、そして、夫に無条件で仕えるという母ではなく、子供の前で大声で口げんかも度々の二人でしたが。
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