今日、2月22日はニャン・ニャン・ニャンの猫の日だそうです。単なる語呂合わせですが、家族として可愛がっていらっしゃる方々には特別な日なのでしょうね。
わが家はどうもペットを飼うような優しさに欠けた家風だったのでしょうか、実家も。わが兄弟姉妹の家でも飼ったことは聞いておりません。数少ないそれに類する話を書いてみます。
母の話
父が亡くなって、実家の家に母一人が残されました。70後半になっていた母はまだ元気で「誰かが帰ってくるまで一人で大丈夫」と気丈に実家を守ってくれたのでした。長兄が言いました。「寂しいだろう。犬を飼ったらどう?」。打って響くように荒げた声で返事がありました。
「いやよ。そんなもの飼う気はない!。20年おむつを洗い続けて8人の子を育て、どうやらみんな独立してくれて、今、やっと難しい父さんを送って、今からが自分の自由な時と思っているのに、なんで犬の世話をしなければならないの!!」。
子供8人、皆都会に出てゆき、帰っても来ないことを、こう言う言葉で言ったのだと、子どもたちは声なしでした。
その頃は、山口が田舎だからということもありますが、猫はペットとしてではなく、野良ちゃんが勝手にウロウロしていました。犬は数少ないけれど飼う人もありました。都会ではどうだったのでしょう。
わが家の子供たち
今住んでいるところに広い古い日本家屋があり、そこに暮らしていました。子供は小学生だったでしょう。道を挟んだお向かいに、どちらがどちらの家の子か分からないくらい仲良くしていた兄妹がいました。
ある時、4人がこそこそやっています。そ~っと冷蔵庫を開けて牛乳を出している気配も。
ああ、今朝から野良ちゃんの子供がうろついていた、あれを飼おうとしているな。と私にはオミトオシでしたが、黙って成り行きを見ていました。夫は犬猫などを好みませんでした。特に野良ちゃんが庭に糞をするのを嫌がっておりました。おなかをすかせてきた猫ちゃん、私も可愛いとは思いましたが「庭に来るのは仕方ないけれど、飼うわけにはいかないよ」と言い渡したのです。一晩離れの縁の下でにゃあにゃあ言っておりましたが、あきらめたのでしょうかいなくなって、事件は解決でした。
「ママに言っても飼ってはもらえないと分かっていたし・・・」と言います。「怖いおばさんだったからなあ」と少々恨んでいたようです。
息子Kのお嫁さんMiちゃん宅を訪ねた時
Kが26歳だったでしょうか、Miちゃんとの婚約がととのいました。息子と私ども夫婦で、ご挨拶に行くことになりました。出発前、Kが真面目な顔で言いました。
言っておくけど、Miちゃんちは猫を飼っているからね。3匹。家族でとても可愛がっていらっしゃるんだ。
わが家は、猫を見ると反射的に『シッ・シッ』と邪険に追い払うでしょ。今日はだめだよ。絶対しないでね。家族でとても可愛がっていらっしゃるんだから」厳命です。
応接間に通されました。席についたころが分かっているように、猫様たちもお出ましです。色艶のいい毛並み、真ん丸な金色の目、のそりと入ってきて、お父様の膝の上に。この上ない優しさで撫でながら「猫は目が素晴らしいですよね。本当に宝石みたいにきれいでしょう」。恐る恐る背中をなでて、どうにか無事に訪問を終えたのでした。
野良の子供たちが4匹、見事に毛色は違うのですが、じゃれながら遊びに来ます。乾ききった喉で水を求めてくるようです。中庭の蹲にぴょんと飛び上がって飲んでいきます。
夫と、可愛いんだけどね・・・と暫く見ている今日この頃です。
飼ったら最後・・子供より孫よりも不謹慎ながら可愛く夢中になります。
彼等は自然体のままで、人間を愛して心まで癒してくれるのです。
本当に崇高なるペットだと言いたいです。
私は大型犬2頭を家族に迎えそして送りました。
亡くなって十数年経ていますが、未だに忘れられずにいます・・
2頭の遺骨は床の間に大切に置かれています。
何方かが死んだら一緒に埋葬することにしています・・