おせっちゃんの今日2

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区民センターコミュニティー美術教室(グランマ・モーゼス)

2021-12-20 14:07:39 | 区民センター

師走もあと2週間となってきました。押し詰まって今年最後の講座が開かれました。

世田谷美術館で,グランマ・モーゼス展が開かれています。講師に遠藤 望さんに来ていただき、「絵から読み解く素敵な100年人生~グランマ・モーゼスの生き方」と題して講演していただきました。コロナ自粛で、団体で鑑賞に行けませんので、昨日は2時間の講演だけです。美術館には個人個人で出かけていただくことにしました。
授業はスキャナーで絵を見ながらモーゼスの生涯をたどりながら鑑賞の要点などをお話していただきました。このブログには絵は頂いた展覧会のポスターからわずかをスキャンしたものです。まずどんな絵なのか一枚載せます。

モーゼスは季節ごとのお祝いを良く絵にしています。これは2月、メープル・シュガーの採集を描いたものです。

モーゼスは1860年、ニューヨーク州グリニッチで10人兄弟姉妹の3番目として生まれる。活発な女の子だった。
12歳で、近隣の農家に奉公に上がる。奉公と言っても、「おしん」的なものではなく、働きながら家事や農作業を学ぶもので、主人には可愛がられ、後に結婚する夫とも知り合う。農家の若者としての生活をする。
27歳。結婚。(姉さん女房)ヴァージニア州シェナンドア渓谷に移り、農場を借り酪農を始める。自家製バターを作り、ポテトチップスを手掛け、商店に卸したりもした。
夫との間に10人の子供を設けるが、子どものアンナが病気にかかった。
その後ずっと、農家のおかみさんとして働き子供を育てる生活だったが67歳で夫に先立たれる。
この間の農家の生活は、「大草原の小さな家」とほとんど同時代に重なるので、それを思い起こすと想像ができると思うとのこと。
平凡な農婦ではあったが、58歳ではファイアーボード(マントルピースの覆い)に初めて大きな絵をかいたり、三男の家のテーブルのパネルに絵を描いたりした。

70台に入り結核を患ったアンナと暮らし、アンナの娘に送る刺繍絵を製作したりした。

70代半ば、リュウマチのため、刺繍の細かい作業が出来なくなり、ペンキで絵をかくようになり、油彩画へと進んだ。地元のイベントに絵を出品したりした。
78歳。ニューヨーク州フージック・フォールズのトーマスドラッグストアに作品を置いてもらう。これが美術コレクターの目にとまり、売れ始めた。
79歳。ニューヨーク近代美術館メンバーズルーム「現代アメリカ無名画家展」に3点展示される。
80歳。「--農婦の描いたもの」が、ニューヨークの画廊で展示される。百貨店の感謝祭で作品を展示。イベントに出席。画家として、講演を望まれていたが、なんとモーゼスが話したのはジャムの作り方だったという。

その後は画集が出る、グリーティングカードが人気を博する、トルーマン大統領より「婦人ナショナル・プレス・クラブ賞」を贈られる、ドキュメンタリーカラー映画製作がなされる、アメリカだけでなくヨーロッパなどでも作品展が巡回する、自伝が出版される、テレビにも引き出される、・・・活躍は80台から100歳までの20年間だけれど、500点もの作品が描かれた。
1960年9月7日、100歳の誕生日には、ロックフェラーが「グランマ・モーゼスの日」に制定した。同じく9月には、100歳を記念する「私の生涯…グランマ・モーゼス展」が開かれた。
1961年、101歳。逝去。

ほのぼのとした絵を見せていただきながら、農婦としてたくましく生きながら、素晴らしい絵を残した見事な一生を学びました。
80歳からの本格的な活躍、齢だから・・・は言えませんね。

長くなりますから、続きは明日書きます。

 


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