これも地球温暖化の一現象でしょうか、日々の生活をしていて、気象が荒々しくなっていると怖れを抱くことがあります。異常気象と予報されて慌てて防ぐ手段にあたふたしなければならないことが多い。異様な高温、雨量、積雪、それに伴う豪雨、洪水、地球上同じような、画面にあたふたします。ハザードマップなど、見ることもない無関心さであったけれど、今では誰でもが知っている語句になってきました。
昨日に続く今日があって、今日は明日に通じるとのんきに笑っていることはできないようです。3.11の大地震、津波から12年。今も急ごしらえの仮住居で暮らす人も多いのです。
今朝の朝日新聞、折々のことば。
一寸、話の筋からそれるかとも思いますが、本当に、何にもなく、平穏に今日に続いて明日があり、明日は明後日につながるとは、思えないのが私たちの生活なんですね。
私の親しい友人に、思いがけない事故でお子さんを失った人がいます。そのお子様は、望みの大学にめでたく合格。希望に満ちて学生生活を始めたところでした。その歓迎コンパで、その頃流行っていた一気飲みを強いられたようです。少し酔っぱらって駅のホームを歩いていた時、突き飛ばされたか、倒れ込んだか、線路上に墜落してしまったのです。亡くなりました。
友人は、私より一回りは若い針仕事を趣味にした活動的な人でした。
私共は同じお稽古仲間4人で、月一くらいで、ランチ会をしていました。当分この会は中止にしなければと思っていましたら、電話があり、今までと同じようにしてと言ってきたのです。重い気持ちで集合場所に集まりました。彼女も変わらずやってきました。
「心配かけました。泣くだけ泣きました。そしてこう思うことにしました。息子は大学生活が楽しくて楽しくて、帰省する間がないほど楽しんでいるのだと。だから皆さんもそう思って、今までどおり私と付き合ってね。この話はこれでお仕舞にしてね」。
何にもない日だと無理やり自分に言い聞かせてピンチを切り抜けたのでした。
勿論、一人になった時、どれほど苦しんだか。私どもは、言われた通り、それまでと同じに付き合いましたが。
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