江戸時代、キリスト教徒への迫害から逃れるために京都から米沢に移り住み、最期は米沢で殉教した公家の子、山浦玄蕃が制作した欄間が発見されたという新聞記事を目にし、早速その作品が展示されている田沢コミュニティセンターに行ってきました。
山形新聞、2020年7月3日
山浦玄蕃とは
公家四辻大納言公遠の孫。
米沢藩初代藩主上杉景勝公の側室で、二代藩主定勝公の生母、桂岩院の甥にあたります。
寛永12年(1635年)、幕府によるキリシタン迫害が厳しさを増すなか、キリシタン政策が他藩よりゆるかった米沢藩に妻子と共に移住。
米沢藩は玄蕃を厚く遇し、ご一族中に加えます。
しかし玄蕃がキリシタンであると幕府に密告する者があり、米沢藩も次第に玄蕃を庇いきれなくなり、ついに承応二年(1653年)、城下の極楽寺にて処刑されました。
今回発見された欄間は、藩によってかくまわれていた米沢郊外で、その土地の豪農のために制作したものと思われます。
展示会場の田沢コミュニティーセンター
大工道具の左官ごてを用いる「こて絵」という手法で描かれた、玄蕃作の欄間が裏表合わせて4作展示されています。
受付でいただいた作品解説書。
田沢郷土史編集委員長、清野春樹氏による詳細な解説が載っています。
(シワシワにしてしまってスミマセン)
以下、個々の作品について、こちらの解説文から引用させていただきます。
【鐘離権、剣で波を渡る図】
鐘離権は燕台の人で、西晋の将軍だったという。ある戦いで敵味方とも壊滅し、単身で逃走中、ある老人に遭って昇仙の意を持ち、老人からその極意を授けられた。
中国で有名な8人の仙人のひとりに数えられる。
剣に乗って波を渡る姿で表現されるが、通常は笠を持つところが、この絵では布袋を背負っている点が、キリストの聖骸布を連想させる。
【雪中筍の図】
三国時代に呉の孟宗が母の願いにより雪中に筍をもとめ、奇跡が起こって筍を得る。
神の恩寵を物語る
【琴高仙人図】
周の時代の趙の人、琴の名手。琴高仙人は弟子を集めて今から河に入るが龍になって甦ると予告。やがて鯉に乗って現れた。鯉は黄河の竜門を過ぎると龍になるという。
復活と昇天を物語る
【松に雉図】
雉は日本の国鳥で、ケーンケーンと甲高く啼くことで知られる。そのため猟師に狙われることが多く、「雉も啼かずば撃たれまい」との諺にもなっている。
もう一歩踏み込むと、雉は妻を恋い、子を慕う鳥として万葉集で歌われる。
玄蕃の家族よ永遠なれという心が松に表れている。
この四作品は日本の花鳥風月や中国の物語を題材にしながらも、解説にあるようにその実は迫害にも揺るがない深い信仰心を暗示したものなのでしょうか。想像が膨らみます。
田沢コミュニティセンターを後にして市街地に戻り、次は玄蕃が処刑された東寺町の極楽寺を訪ねました。
極楽寺の敷地の一番奥まった場所。伯母で上杉家二代藩主定勝公の生母桂岩院の墓の隣に、山浦玄蕃の供養塔がありました。
なお玄蕃の二人の息女は米沢で結婚し、その家系は今も受け継がれています。
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
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