第二回目にご案内するのは、伊達政宗とゆかりの深い館山城址です。
伊達政宗=仙台の武将
というイメージをお持ちの方が多いと思いますが、実は政宗公が生まれた当時の伊達家は仙台ではなく米沢を本拠地としていました。
そして政宗公自身も、生誕から豊臣秀吉の命令で岩出山(宮城県)に移封される24歳まで、ここ米沢を拠点に各地で諸将と戦いを繰り広げていました。
長い間、伊達家の居城は後年上杉家が築いた米沢城(現在の上杉神社)と同じ場所とされてきましたが、平成13年の本格的発掘調査で中世の屋敷群や庭園の跡などが確認されたことにより、ここ館山城が伊達家の本拠地=伊達家の米沢城ではないかという説が注目されることになりました。
*自宅から館山城跡までは車で7分ほど。
今回は日課の散歩を兼ねて、伊豆から帰省中の夫と孫のまー君を連れて行きました。
感染症対策に充分気をつけて歩きましたが、結局城跡散策中に出会った人はゼロでした^^;
館山城跡は米沢市内の西端、大樽川と小樽川が合流する地点、小高い山とそのふもとの平坦地から構成されています。
城址の入り口には立派な資料館が。
建物のなかには伊達家及び館山城に関する資料がびっしりと展示されています。
伊達家の現在のご当主もこの地を訪問されているようです。
展示物を参考におおまかなに地形を頭に入れたら、いざ城跡へ✨
平らな空き地は駐車場。
案内看板の脇には『私有地に付、立ち入り大歓迎』の立て札が。
なんともなごみます♡
ここでまー君が大樽川の河原で水遊びを始めて動かなくなりました^^;
仕方なく夫と交代で山頂へ行くことに。
山頂の本丸へ続く道沿いには至る所に案内看板があり、登り口には立派な案内所まで建っています。
地元でこの館山城址の保存に尽力されている方々に敬服致します✨
登山道にはロープが張ってあるので迷う心配はありません。
10分ほどで本丸跡の山頂に着きました。
山頂からは米沢の街中が見渡せます。
何かの遺構?
大樽川を望む方向に残る祠跡
土塁(?)の跡にはショウジョウバカマやカタクリなど早春の野草が咲乱れていました。
国破れて山河あり
城春にして 草木深し
思わず遠い昔、国語で習った漢詩の一節が脳裏に浮かびます。
伊達政宗の野望に思いを馳せながら巡る、コンパクトにまとまった城跡です。
コロナ禍終息後には、ぜひ多くの皆さんに足を運んでいただきたいという思いを強くした館山城址歩きでした。
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