夫の能登震災ボランティア体験談を少しばかり。
現地では3人一組になって、地震で壊れた家から使用不能になった家財道具を運び出して処分する役目だったようです。
冷蔵庫や昔のテレビ、大型家具などを運び出すのは重労働。その後、不燃物、可燃物等等に分別するのも神経を使う仕事だったようです。危険物も混じっているし。
それと基本的にボランティアは現地での衣食住をすべて自力でなんとかしなくてはいけねいんですね。考えてみればボランティアが他人の世話になっては本末転倒ですものね。夫も自分のワンボックスカーに寝泊りし、食事は朝昼夜すべてコンビ二弁当だったとか。
う~ん、震災ボランティアって、ほんとに心身共にタフな人でないと務まらないなあ、と夫の話を聞いてつくづく感じました。
能登で家を失った方々の為に、私は夫のように現地で働くことは出来ないけど(絶対周囲の人の足手まといになるだけだと思う)、例えば募金のように今の自分に出来ることを探してみようと思います。
現地では3人一組になって、地震で壊れた家から使用不能になった家財道具を運び出して処分する役目だったようです。
冷蔵庫や昔のテレビ、大型家具などを運び出すのは重労働。その後、不燃物、可燃物等等に分別するのも神経を使う仕事だったようです。危険物も混じっているし。
それと基本的にボランティアは現地での衣食住をすべて自力でなんとかしなくてはいけねいんですね。考えてみればボランティアが他人の世話になっては本末転倒ですものね。夫も自分のワンボックスカーに寝泊りし、食事は朝昼夜すべてコンビ二弁当だったとか。
う~ん、震災ボランティアって、ほんとに心身共にタフな人でないと務まらないなあ、と夫の話を聞いてつくづく感じました。
能登で家を失った方々の為に、私は夫のように現地で働くことは出来ないけど(絶対周囲の人の足手まといになるだけだと思う)、例えば募金のように今の自分に出来ることを探してみようと思います。
さすがですね。
尊敬いたします。
被災地に行っても、自分の得意分野のお手伝いを
できないんですかね。マスターの場合、
ごはんの炊き出しとか。
マスターの料理を食べられたら、
「生きててよかった」って、しあわせを感じられると思うんですけど。
体を動かすことが大好きな人だから、ダンナも私も最初から「現場での力仕事」っていうことしか思い浮かばなかったなあ
これが,おしょうしなの潜在的な魅力の一つなんでしょうか。
私がおこなったボランティアは,大学のとき,仙台の一番町通りであしながおじさんの募金活動をしたことです。(強制的)
強制的ボランティアって、体育会の先輩に命令された、とか
大学時代の懐かしい思い出の一つです。
地元Y市在住の災害ボラです。ご主人とは山形市でお会いしていると思いますが別人かな?
日本一過激と言われる防災ボラ・ブログやってますが
驚かないでくださいね
トラックバック有難うございます。
山形市、主人は食材の仕入れにたま~に山形のお店に行く程度なのですが、お目にかかっているのでしょうか?
遠藤さんのブログの写真からは能登の被災地の混乱ぶりが生々しく伝わってきますね。
中越のときでもそうだったけれど、能登はその倍の距離。ご移動にも随分無理をしておられるのではと気にしています。
私は最近単独事故だったのですが、それが遠因でやってしまいました。
金沢発着ばかりでない、各県の主要都市から乗り合いが出れば、本当に楽だと思う昨今です。
「車だしボランティア」とは言わぬとも、長距離仕事を終えての移動中の事故が何より心配です。
今回は金沢市から日帰りボランティアの送迎をする無料バスが毎日朝夕運行されていたようですが良いことだなあと思いました。
何日も泊りがけのボランティアは過酷すぎてなかなか、、、
それに比べると、自分の都合の良い日一日だけ、日帰りで、というボランティアなら皆気軽に参加できそうですからね。