主イエスがいやしを行ったときの動機は、
あわれみでした。主の中にあるあわれみが
その手を動かしていたと言うことができます。
いやしの賜物は、あわれみの心のある人に
与えられるのではないでしょうか。
あわれみといやしの賜物は重なっています。
(「よくわかる聖霊論」平野耕一著 いのちのことば社 )
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