人間のプライドの究極の立脚点は、
あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、
と言い切れる自覚ではないか。
「富岳百景・走れメロス他八篇」岩波文庫
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クリスチャンのわたしには、この太宰治の言葉はまるで主イエス・キリストのみ言葉みたいに聞こえる。 ここで太宰治が言いたいのは、「死ぬほど苦しんで考えたことがあるのか」ということだ。
何を考えて苦しむ?
それは人間ひとりひとりによって様々なものがあろう。これこそ思想・信条・良心の自由の根源となるものだと思う。
クリスチャンのわたしにとって一番苦しいことは、主イエス・キリストのように生きることが出来ない自分を自覚する時に味わう精神的苦痛だ。それはしかしクリスチャンとしてごく普通のことだ。
それでも失望せず、「わたしに従って来なさい」という主イエス・キリストのみことばが今日もわたしに大きな希望を与え、生かしていてくださる。そして今日もわたしは主イエス・キリストに向かってお祈りする。
「主よ、あなたのように真に生きる者としてください」と。
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↓:希望。
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