空の鳥を見るがよい。
まくことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
(マタイによる福音書 第6章 2節 )
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「この地球に存在するとはどのような意味をもつのか」の最も根源的な
答えを主イエス・キリストがおっしゃっている。
つまりわたしたちフツーのクリスチャンは、すべてのものは主なる神が
創造してくださったのだという信仰の根本的なことを主はおっしゃって
くださっているということである。
「主の創造」すべてはここから始まっている。
あなたもあなたの家族も友人も恋人も主なる神が創造してくださった「存在」である。
こういう信仰をいただくと自然にわきあがってくるのが主ご自身に対する魂の奥底からの
感謝と讃美である。
上記引用の聖句のように空の鳥を見てほしい。
なんと彼らは生き生きとしていのちの輝きをもっていることか。
主が創造してくださった存在とはすべてこのようなかがやきをもっている。
だからわたしは鳥を見ることも動物を見ることもおよそいのちあるものに触れることが
大好きである。
この自分も彼らのように主に創造されたことを思いだすからである。
そして主ご自身を思い出すからである。
だから主イエス・キリストは空の鳥や野の花を説教の題材に使ったのではないだろうか?
わたしはそのように思えるのだが。
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