ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

創造主。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年07月16日 00時07分16秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
  「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。
   その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、
   いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないであろうか 」

    (ルカによる福音書だい15章4節 )

   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★

 あまりにも有名な「百匹の羊といなくなった一匹の羊」のたとえ話である。
 主イエス・キリストという神の愛そのもののごとき話である。そうだ、主の愛はまさに上記のこのたとえ話に集約される。この話ひとつで語りつくせるものではないが、「これだよ! 」と隣人に語って聞かせるには十分であろう。
 主イエス・キリストの羊とは彼に創造された全宇宙のいのちあるすべての存在である。もちろん主イエス・キリストがお生まれになったこの地球上のすべての人間、すべての動物たちは言うまでもない。
 全宇宙は主イエス・キリストの体である。そしてひとりひとり一匹一匹はその体のいわば細胞である。その小さな取るに足りないひとり、そして一匹がいなくなっても、つまりひとつの小さな細胞が失われても主のお体は痛む。主はご自分の体に痛みをお感じになるのだ。だからわたしたちいのちある存在は主の体のひとつの細胞であることに自信をもっていいのではないだろうか?
 主の御手のうちの百匹の羊のうちの一匹の羊だと自覚してください。そしてお互の命を尊重しあう生き方を、何よりもいのちを大切にしあう生き方ができるように、主にお祈りしようではありませんか!

    (細胞とは、もちろんひとつの譬えである。手塚治虫の火の鳥の思想とはちがうもの。)






   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★
       


      





      ↓:せる。
      にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村







この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« わたしの祈り。主イエス・キ... | トップ | パンの奇跡。主イエス・キリ... »
最新の画像もっと見る

少女ジーザスの言の葉ランド」カテゴリの最新記事