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同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく
彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」と
言われた方が、それをお与えになったのである。
(へブル人への手紙 第5章第5節 )
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キリストに上記引用聖句のように言ったのは天の父なる神さま
である。主イエス・キリストは大祭司となる栄誉を自分で得よう
と思えば自分で得ることができたのである。
なぜそのようにしなかったのかと言えばわたしたちにもはんを示す
ためである。わたしたちはもちろん主イエス・キリストのように
自分で大祭司となる栄誉を得ることはできない。
わたしたちは主の御手による被造物だからである。
主イエス・キリストはその必要はみじんもないのにバプテスマのヨハネ
からバプテスマを受けている。このこともわたしたちのもはんになるためで
ある。この御方は全き神全き人間である。
だからすべての点でわたしたち被造物のもはんである。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:もはん
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