あなたは施しをする場合、
右の手のしていることを左の手に知らせるな。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。
(マタイによる福音書第6章3から4節 )
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あなたは何かをする時、だれかの眼を意識しているだろうか?
意識しているとしたら一体誰の眼なのだろうか?
父親や母親の眼だろうか?
それともいわゆる世間の眼だろうか?
フツーのクリスチャンならまずキリストの眼を意識する。
つまりあなたの罪のために十字架に架かってくださり、あなたに復活のいのちを与えるために復活してくださった御方の眼を意識するだろう。
特に「悪いと思われること」をやらざるを得ない時、ことさらにキリストの視線が突き刺さるように全身全霊に痛いものである。
しかし、主はそれでもおっしゃっている。パウロを通して。
「あなたがたは罪に抵抗する時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない」と。
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【キリストの視線(新約聖書)】11・12・02
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