それだから、キリストの力がわたしに宿るように、
むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、
侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。
なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
(コリント人への第二の手紙第12章9節から10節 )
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主イエス・キリストは人間から生まれ人性をとった「人間となった神」と言われている。
そして一度でも福音書を読めばわかるようにまさにそのような御方である。
「福音」とは「喜ばしきおとづれ」という意味だが、主が人性をおとりくださり、ひとりの人間としてわたしたちの間に住んでくださったという主の無限大とも言える愛のことである。
「福音」とは「よろこばしき主の主王の王主イエス・キリストのおとづれ」である。
だからこの御方のご生涯はひとえにわたしたちのためであった。主の十字架はわたしたちの罪のためであり、それは全宇宙のすべての生きとし生けるものたちの罪のためであり、そして主の十字架の死よりの復活はまさにわたしたちをも復活のいのちを与え生かすためであった。
この愛そのものの御方がわたしたち生きとし生きるものたちには注がれているのである。だからわたしたちは生かしていただける。生きていられる。
だからこの御方の愛が自分の内に光輝くようにしていただくために祈ろう。主に向かって!
わたしたちの主は「欠点だらけの者のためにこそ共にいてくださるなぐさめの主」であるのだから。
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