第二年の二月二十日に雲があかしの幕屋を離れて
のぼったので、イスラエルの人々は、シナイの荒野を
出て、その旅路を進んだがパランの荒野に至って、
雲はとどまった。
こうして彼らは主がモーセによって命じられたところに
したがって、道に進むことを始めた。
(民数記 第10章 11節から13節 )
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「あかしの幕屋」とは時至って主イエス・キリストによって
命じられたところにしたがう「教会」となった。
「主のあかし」がわたしたちの仕事である。
「主に向かってみんな祈ること」。
「全員で祈る教会としての祈り、そして個人的な祈り」である。
「司祭のみことばのときあかし」をみんなで勉強すること。
このことがあるので教会を一種のカルチャースクールにしてしまって
いる者が多数いる。
わたし少女ジーザスは自分の家で「お祈りもしない聖書も読まない」など
という者をクリスチャンとは認めない。
「宣教をすること」これも教会全体で教会でやることと個人的にやることと
二つなければならない。
友人や知人に「聖書の話」をしよう。
友人や知人を「教会」にさそおう。
「教会を真の意味であかしの幕屋にしよう」。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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