「この人は、大工ではないか。
マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。
姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」
(マルコによる福音書第6章 3節 )
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この聖句は、主イエスがどれほどねたまれて憎まれていたかをよく表している。
人間はある人物が気に入らないと気楽にその人物の出自を問題にしてスキャンダラスに流布してその人物を精神的に追い込もうとするものである。
これはわたし自身もよくよく気をつけなくてはならない事実であると自戒するよう主の命令を受けている。
主イエス・キリストご自身も、病気をいやしたり、みことばを宣べ伝えると上記引用の聖句のように出自を問題視された。
これはフツーのクリスチャンとしてわたし自身もよくやられるので実感として、現実のこととしてとてもよく分かる。
わたし自身は主イエス・キリストのように病気をいやしたり立派なことや天の香りのするみこばを宣べ伝えてはいないのに、やたらと出自を問題視される。
「○×のくせにデカイ面するんじゃねえよ」ということなのである。(もともとわたしは顔が大きい)。
そんなときわたしの頭にすぐに浮かぶのは、わたしの信仰する主の御姿である。主ご自身がまず迫害を受けたのである。
そしてわたしのありとあらゆる罪のために身代わりに十字架上で死んでくださった。
そして復活の命に生かすために復活してくださった。
主は「おまえのために死んで復活したよ」と十字架のシンボルをわたしに見せてはそうおっしゃる。
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