「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」
ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。
私はその罪人のかしらです。
しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが
今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、
まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に
誉れと栄えとが世々限りなくありますように。
アーメン。
(テモテへの第一の手紙 1章 15から17節 )
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わたしも上記引用聖句のように「罪人のかしら」である。
わたしは二回も人工妊娠中絶をしている。
みんなわたしをなぐさめる時あなただけが悪いんじゃないと
言ってくれる。しかし自分の子を二人もわたしは自ら殺してしまった。
罪人のかしらでなくてなんであろうか。
それも洗礼を受けてからである。
ある日のほほんとしているわたしにガーンと天罰が下った。
主がこう言ったのである。「おまえは人殺しだ」と。
わたしの場合「自分の子供」だったのでなお悪い。
これほどの「悪」をわたしはやってしまって自分だけ好き勝手にのほほんと
生きていたのだ。
それからのわたしは少しずつ変わった。
主の御声がわたしを変えた。
主のみこころがわたしを変えた。
主の十字架はわたしの罪の身代わりの罰だったのだ。
わたしは全身全霊をもって感謝している。
今現在のわたしは主の栄光を少しでも現わすためにこのようなブログ記事を書き
毎日聖書を読み、毎日お祈りをしている日々である。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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