Edward Weston. "Self-portrait", 1915. Gelatin silver print. (16 x 11.4cm).
エドワード・ヘンリー・ウェストン(Edward Henry Weston)は、1886年(明治19年)3月24日にシカゴ郊外ハイランド・パークで医者の父と女優の母の二人目の子供として生まれています。
5歳の時に母を亡くしたので、ウェストンは9歳年上の姉に面倒を見てもらったようです。
父親は再婚しますが新しい母にも子供がいたので、彼は姉とよりクロースになりました。
Edward Weston. "Lake Michigan, Chicago", 1904.
エドワード・ウェストンが18歳の時に撮った写真、「レーク・ミシガン、シカゴ」。
1902年、彼が16歳の時に父親から初めてのカメラ、Bull's-Eye #2を買ってもらいます。
Edward Weston. "Self-Portrait with Camera", 1915. Gelatin silver print. (11.6 x 7.6cm).
引きこもりがちだったウェストンにカメラは、ちょうど良いギフトだったようです。 すぐに中古の5x7インチ、ビューカメラを買ってシカゴ近辺やミッド・ウエストの農場などへ活発に撮影に出かけるようになりました。 彼の写真は当時の写真専門誌にも掲載されました。
1906年、20歳の時、結婚してカリフォルニアに引っ越していた姉の近くのトロピコに移ります。
1908年の夏に小学校の先生をしていたフローラ・シャンドラー(Flora May Chandler)を紹介されます。 彼女はウェストンの姉のベスト・フレンドで7歳年上でしたが、翌年に二人は結婚し4人の息子が出来ます。
Edward Weston. "Japanese Fighting Mask", 1921.
ウェストンは、1911年にロス・エンジェルスの郊外トロピコ(Tropico)、現在のグレンデール(Glendale)、に彼自身のThe Little Studioと名付けたポートレイト・スタジオを開きました。 多分日系移民が近所に住んでいたのでしょう。 当時としては着物や剣道の防具などは、まだとても珍しかったと思います。
Edward Weston. "The Ascent of Attic angles", 1921
屋根裏部屋は壁が斜めになっているので造形的にはとても面白く多くのアーテイストがモチーフとして選んでいます。 若い頃や貧しい頃に使われた部屋のイメージも強くノスタルジックな感じがあります。 しかし屋根裏部屋の窓からの景色は、どの家でも一番よいのです。 このブログの中では、ナイルス・スペンサーの作品(The Dormer Window)があります。(読書 その三十六 フロク・3-中 学友)
Edward Weston. "Margrethe Mather with Phlox", 1921.
"the first important person in my life, and perhaps even now, though personal contact has gone, the most important."
1913年の秋にウェストンの評判を聞いてスタジオに尋ねてきたマーガレッタ・マーサー(Margrethe Mather)は、ロス・エンジェルスの写真家で、ウェストンは彼女から今までに知らなかった自由な発想のアートやライフ・スタイルなど大きな影響を受けたようです。 その後、彼女はスタジオのパートナーとして制作をしました。 ウェストンのシェルや野菜果物シリーズやフィギュアに関心を持ち始めたり、それに下の"Washbowl"のような作品など、彼女の影響がおおいにあったようです。
Edward Weston. "Tina Modotti", 1921. Palladium print. (24.1 x 19.1cm).
イタリア人で写真家、あるいは女優だった?ティーナ・モドッティとは、上記のマーサーと同じようにロマンチックな関係にあったようです。 ウェストンがヌード写真の勉強をしているときモデルになっています。 3年間ほど家族から離れメキシコで制作や展覧会をした時には、彼女と一緒でした。
ここでは紹介していませんが、メキシコのピラミッドや壁画、フォーク・アートなど多くの写真を残しています。
Edward Weston. "Telephone Lines, Middletown, Ohio", 1922.
ウェストンの姉夫婦が、オハイオ州のミドルタウンに移った後に尋ねて行った時に写したものです。
義兄に旅費を工面してもらい、当時写真活動の中心だったニューヨークに行った彼は、そこでシュティグリッツやチャールス・シーラー、そしてポール・ストランド会うことが出来きたうえ、彼らから高い評価を得たのでした。
読書その六十五フロク・5-C 画家・写真家、チャールス・シーラー(写真家、画家)
Edward Weston. "Armco Steel, Ohio", 1922.
このミドルタウンで写したアームコ・スティールの写真が、ウェストンのスタイルが当時ポピュラーだったソフト・フォーカスのピクトリアリズム(Soft-focus Pictorialism)から、シュティグリッツ達の推していた自然光のストレイト・フォトグラフィー(Straight Photography)へと移行していった節目になったようです。
Edward Weston. "Washbowl", 1925.
アッシュ・キャン・スクールの影響が伺えるような作品ではないかと思います。 ウィンストンは、普通では写真に撮らない場所にも造形美を見つけています。 このような素直な目が、後に有名になった、シェルや野菜・果物シリーズを創り上げた感受性と創造力の元になっているのでないでしょうか。
Edward Weston. "Bedpan", 1930. Gelatin silver print. (24 x 18.1cm).
この作品も上の「ウオッシュボゥル」と同じように人工的造形美をモチーフにした写真ですが、何故かマルセル・デュシャンの「レディーメード」を思い浮かべさせる写真です。
Edward Weston. "Nude", 1925.
"I want the stark beauty that a lens can so exactly render, presented without interference of artistic effect".
エドワード・ウェストンは、ヒューマン・フィギュアーの中にも上の「ベッドパン」と同じような造形美や官能的カーブを見いだしています。 後の「ペッパー」(ピーマン)などの野菜・果物シリーズの中でも同じようなとらえ方をしています。 これがウェストンのクリエートした写真のとらえ方、表現方法のスタイルではないでしょうか。
Edward Weston. "Nude", 1925. Tina Modotti, with Seneca View Camera.
ウェストンのヌード作品には、女性の形体美に対するアプローチがユニークなところがあります。
この頃はまだフィギュアの中でも造形的なものが優先されているように思います。
Edward Weston. "Shells", 1927.
1927年にウェストンは、ロス・エンジェルスのアーティスト、ヘンリエッタ・ショアー(Henrietta Shore)に出会います、彼女が長年描いていた貝(Nautilus)のペインティングの影響があったとウェストン自身のノート(daybook)に残されています。
グレンデールのスタジオで撮影されたこのシェル・シリーズの作品は、8x10のコンタクト・プリントで、組み合わせられた造形美と共に貝のテクスチャー(質感)や光沢などを素晴らしい写真技術でとらえています。 モティーフを自分で創り上げるやり方は、クニヤスも彼の静物画でよくやってまいしたが、一種の彫刻的シンボルのようなものでしょう。
Edward Weston. "Two Shells", 1933 gelatin silver print from a May 1927 negative.
メキシコからカリフォルニアに帰ってきたウェストンは、最初はグレンデールに戻りますが、その後1928年に息子のブレット(Brett)と一緒にサン・フランシスコにスタジオを開きます。 その翌年、展覧会で知り合った仲間の影響でカーメルに移ります。 ここで野菜・果物のシリーズやポイント・ロボスの風景で多くの印象に強く残る作品を制作しています。
この写真は余りにもポピュラーで昔から何気なく見ていたので、この貝が二つの貝を組み合わせたものだとタイトルを調べて始めて気がつきました。 長い間「随分ユニークなオブジェクトで面白い形をした一個の貝」だと勝手に思い込んでいました。
Edward Weston. "Cypress Root, Seventeen Mile Drive", 1929.
1928年にはサン・フランシスコでアンセル・アダムス達と写真クラブF/64を創立しています。
カリフォルニアのモントレーにあるセブンティーン・マイル・ドライブは、有名なプエブロ・ビーチ・ゴルフコースも近くにある風光明媚な道として知られています。 太平洋からの強い風で海岸や道の両脇に植えられたサイプレスの木が変形しているのをよくみかけます。
Edward Weston. "Cypress, Point Lobos", 1929.
1929年にウェストンは、ソニヤ・ノスコイアック(Sonya Noskowiak)と出会い、又々5年間ほど助手、モデル、愛人の関係になります。
現在のポイント・ロボス近辺のカリフォルニア・コーストには、外来種のユーカリ(オーストリア原産)が海岸を走っているハイウェー・ワン(Hwy-1)の道沿いに多く、サイプレスの木は少なくなって来ているように感じます。 サイプレスの木も南ヨーロッパが原産地だから昔スパニッシュが防風林として植えたのかも知れません。
Edward Weston. "Pepper No. 30", 1930.
この上下の写真は、ウェストンのポピュラーな「ペッパー」シリーズからのものです。 前回のキャベツ、そして有名なアーティチョーク・ハートの断面など彼ならではの目で植物の中にある造形美を引き出しています。
Edward Weston. "Pepper No. 35", 1930.
当時ウェストンのヌード・モデルでパートナーそしてラバーのSonya Noskowiak が持ってきたピーマンを使ったように、彼の制作過程には多くの女性の影響があったようです。 こういった一連の静物写真のクロース・アップでウェストンは、芸術家の目を通しての美をカメラの技術でとらえ表現したと言えるでしょう。
Edward Weston. "Point Lobos", 1929.
ウェストンは、モントレー・カーメルの近くにあるポイント・ロボス近辺でもよく撮影しています。
海に浮かぶケルプ(海草)の写真もよく知られていますが、上下の写真は風化による自然の造形美に目を当てています。 時間によって削られた曲線美と表面のパターンを自然光の中でうまくとらえています、多分長い時間をかけてこの一枚を写したのでしょう。
Edward Weston. "Eroded Rock No. 50", 1930.
こちらも何処でもありそうな、うまく波で洗われ自然の彫刻作品となった岩にたまった海水と海岸の黒っぽいペブルのバックグラウンドでひきたてたウェストンのスタイルが感じられます。
Edward Weston. "Nude, Charis Wilson", 1936. Gelatin silver print. (24.1 x 19.2cm).
He wrote: "A new love came into my life, a most beautiful one, one which will, I believe, stand the test of time."
1934年初頭、ウェストンは、カーメルのシャリス・ウィルソン(Charis Wilson)に出会います。 数多い女性関係の中で若くて知的な彼女は特別でした。 二人は12年間程一緒でした、その間1939年から1945年までは結婚しています。 シャリスは単にモデルのみならず写真集の文章を担当しウェストンの制作のアシストをしました。
ウェストンのヌード・シリーズの作品の中でも傑作のこの写真は、構図のすばらしさに加え影を大変上手に利用しています。 彼自身も書いているようにまさに時間のテストに耐えられる芸術写真だと思います。 我が家にも一枚プリント・アウトして額に入れて飾ってありますが、見飽きません。