旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

絵画鑑賞 その二 好みの問題

2011年02月18日 11時05分12秒 | 芸術鑑賞

"Reclining Nude" 1929. Oil on Canvas. (40 x 80 inches).
Hokkaido Museum of Modern Art, Sapporo, Japan.


こんな事をするとクニヨシ・ファンから叱られるかも知れないが、「ダダ」以来何でもござれ
の美術、芸術界のこと、これくらいのこと大したことでは無いでしょう。

宙に浮かぶ傘とフリーズした裸婦、一瞬の時をキャプチャーした様に見えます。 クニヨシの
作品は奥行きがあるだけに、どっちの方向から来てどちらの方向に落ちていくか、不思議な
感覚になります。 それでいて色使いやマテリアルが古いので、逆に重圧な感じを残した
形になり時代錯誤の錯覚のなか、近代的な絵画に変身したように思えます。

抽象画の父とも言われるカンディンスキーの有名な話ですが、ある日外出から帰って来て、
アトリエのドアを開けた彼は突然目に飛び込んできた強烈な絵に驚きました、よく見ると
それは彼が以前に描いていた作品が無造作に逆さまに置かれていたのでした。


Yasuo Kuniyoshi in his studio, 1940 Oct. 31

1940年、ニュー・ヨークのアトリエで”上下逆のテーブルとマスク”を描いているクニヨシ。
Physical Details: photographic print: 1 item: b&w; 20 x 25 cm.
Creator: Max Yavno, photographer
Description: Kuniyoshi in his studio, at 30 East Fourteenth St. in New York, N.Y., photographed for the Federal Art Project Photographic Division. Kuniyoshi is working on his painting Upside Down Table and Mask
Identification on verso (handwritten and stamped): New York City W.P.A. Art Project; Photography Division; 110 King Street
Negative No.: 5353-8; Date: 10/31/40; Photographer: Yavno; Title: Y. Kuniyoshi; Location: 30 E. 14 St., Manh.; W.P. No.: 1 ; O.P. No.: 65-1-97-2063.
Forms part of: Federal Art Project, Photographic Division collection circa 1920-1965 bulk 1935-1942
Citation: Yasuo Kuniyoshi in his studio, 1940 Oct. 31 / Max Yavno, photographer. Federal Art Project, Photographic Division collection, Archives of American Art, Smithsonian Institution.
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読書 その四十 センシュアス

2011年02月17日 20時33分22秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
彼の技法は激しく感性に訴え、画家が絵を描く物理的素料の中、顔料自体の中に、その一貫性とその巧みな扱いの中に、喜びを表していました。 そこには広範囲に多様な表面がありました、最大の豊かさを加えた重圧な色彩の移行から、デリケートな透き通った光沢への移行まで。 
彼の筆使い、その極端に繊細な書法は、それ自体が(表現方法としての)言葉でした。

平たんとか、単調とか、そのような物はありませんでした;背景は、充分に中心的要素としても調整されています、色調も感触も全体を通して変化が加えられ;人物の中と同じ様に壁の中にも多くのドラマが描かれていました。 絵全体が、生き生きとしています。 ここには深い感性に満ちた活力の産物、豊かに物理的な芸術がありました


"Nude", 1929. Oil on Canvas. (30 x 40 inches) Hirshhorn Museum and Sculpture Garden.
Smithsonian Institution. Gift of Jose H. Hirshhorn, 1972

His handling showed the intense sensuous pleasure which the artist took in
the physical material of painting - in the pigment itself, its consistency, and the
manipulation of it. There was a wide variety of surface, from passages of heavy
pigment put on with the greatest richness, to other passages of delicate trans-
parent glazes. His brushwork, with its extremely sensitive calligraphy, was a
language in itself. There was no such thing as flat or dull area; the backgrounds
were modulated as fully as the central elements, as varied throughout in color
and texture; there was as much drama in a wall as in a figure. The whole picture
was alive. Here was a richly physical art, product of a deep sensuous vitality.


"Portrait of Kuniyoshi", 1941. Vintage gelatin silver photograph.
Courtesy of Jan Kesner Gallery, Los Angeles.

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読書 その三十九 ブルー

2011年02月16日 21時09分39秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
彼の形体に対する感覚は、1920年以来成熟して来ていました; 形体達は、丸っこく充実し、
より深い空間の中に見られました。 しかし彼の初期の作品の装飾的価値は失われていません;
それらは今、より自然主義的観点でコーディネートされています。 形体の変形は、より繊細になりました。 
彼はいまだに物体を上から見た様に表現する傾向があります、物体の形状に
最も重要な有用性を与えるため;注解、そんなに床が上に傾いたり、
机の上が真上から見えたりしますか。 彼の色は、いまだにアース・カラー寄りですが、
1930年代を通して着実にその
色彩領域を拡げていました、よりいっそう発色がよくなり、そして以前に使っていなかった
青や寒色系の色調を加えています。 キャンバスの白地は、透明性と輝きを与えるためよく
使われました。


"Daily News", 1935. Oil on Canvas. ( 50 x 33 inches). Cincinnati Art Museum, Ohio.
Edwin and Virginia Irwin Memorial.

His sense of form had matured since the 1920's; forms were rounder and
fuller, and seen in deeper space. But the decorative values of his early work had
not been lose; they were now coordinated with a more naturalistic viewpoint. The
distortions were subtler. He still tended to represent things as seen from above,
so as to give the utmost value to their shapes; note how often the floor slants up-
wards or a table top is seen from above. His color was still on the earthy side,
but its range widened steadily through the 1930's, becoming more and more
luminous, and adding tones of blue and cool colors that he had not used be-
fore. The white of the canvas was used increasingly to give translucency and
brilliance.


クニヨシ・イン・ニュー・ヨーク・スタジオ

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読書 その三十八 スティル・ライフ

2011年02月14日 21時03分20秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
クニヨシの静物画は、物体の物理的存在、その様々な形態、色彩と肌合い、そして
それらを取り巻く環境とそれぞれの相関関係を楽しませる表現でした。
物体自身は、さほど重要ではなく、それを使って何が出来るかが画家としての彼に興味を
持たせたのです。 

彼は、不調和に思われる物を組み合わせました、花瓶、一握りの葉巻、スカーフ、双眼鏡、
タイタンの写真、を明らかに解る無秩序の中でそれらを一緒にくっつけています。 
日常生活の中で物との間の正常な関係が無視されているか、逆になっています; たびたび
物体はお互いの上に積み重ねられ、バランスが取れ、すばらしい構造物を造り上げています。 

彼の初期の作品に出てきた動物たちに取って代わる物として、日本のオモチャのトラや馬の形
をした風向計のように、よくそこには動物のイメージがありました、しかし今は実際の動物に
変わってシンボルとしてあります。 

これらの静物画は常に単に無機的物質の組み立て以上に思われます、彼らは象徴的意味の
要素を含んでいて、その物体以上の何かを暗示しています。 彼の静物画の話でクニヨシは
どんな題材を描いても、それに幅広い影響を持たせることが出来ると述べています。


"Japanese Toy Tiger and Odd Objects" 1932. Oil on Canvas. (34 1/2 x 49 1/2 in)
Collection Dr. Harry A. Blutman.

Kuniyoshi's still-lifes were the expression of delight in the physical properties
of objects, their varying forms, colors and textures, and their relations to one
another and to their surroundings. The objects themselves were of minor im-
portance; it was what he could make of them that interested the artist. He as-
sembled seemingly incongruous things - a vase, a handful of cigars, a scarf, a
pair of binoculars, a photograph of a Titian - putting them together in apparent
disorder. The normal relations between things in everyday life were disregarded,
or reversed; frequently objects were piled one on top of another, balance, build-
ing up a fantastic structure. Often there was an image of an animal, such as a
Japanese toy tiger or weathervane in the shape of a horse - successors of the
animals that had appeared in his early pictures, but now symbols instead of the
actual creatures. These still-lifes always seemed more than an assemblage of in-
animate objects; they contained an element of symbolism, a suggestion of some-
thing beyond the things themselves. Speaking of his still-lifes Kuniyoshi observes
that one can paint any subject and give it wide implications.


"Weather Vane and Sofa" 1933. Oil on Canvas. (36 x 60 in)
Santa Barbara Museum of Art.

訳註:フロク・3 学友で、リーグでのスクール・メートでなく取り上げられなかったウォルト・
カーンとポップ・ハートの二人をロイドが紹介したペンギン・クラブのページに追加しました。
シリアス・パスキンは、 ”読書 その三十一 二度目のパリ”をご覧下さい。



コメント (4)
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読書 その三十七 フロク・3-上 学友

2011年02月08日 13時39分24秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
キャサリン・シュミットは、オハイオ州ジニアでドイツからの移民の家に生まれました。
こどもの頃にニュー・ヨークに移り、親にねだって13歳から日曜絵画教室に通いました。

1919年にオガンクイットでクニヨシと結婚しますが、それによりアメリカ国籍を失った
他、両親からも勘当されました。 彼女のインタビューの記録を読むと、朝5時に起きて
絵を描き始め10時迄にリーグに行って食堂での準備、レジの仕事から次の日の用意まで
当時は大変だったそうです。 

それでも友達はみんな先にヨーロッパに行ったので何とか二人で頑張って1925年最初の
ヨーロッパ旅行のため1200ドルを貯めたのです。彼女は後輩のロイド・グッドリッチとも
仲がよく、沢山の友達がいました。 大恐慌の時にはジュリアナ・フォースと共に議会で
証言に立ち当時の連邦政府のアーティスト救済政策におおいに寄与したのでした。



Katherine Schmidt: (Xenia, Ohio. 1898 - 1978)
上:キャサリン・シュミット
下:キューリのある静物画。Still Life with Cucumbers. 1932. Oil on Canvas. 66.4x46cm.





Alexander Brook: Brooklyn, N. Y. July 14, 1898 - Feb. 26, 1980. Long Island, New York.
アレキサンダー・ブルックは、ブルックリンでロシア移民の末っ子として生まれました。
12歳でポリオを患い約一年間床に伏し、その為に公共学校を止め図書館で独学、そのころ
芸術に興味を持ち始め、1915年にリーグに入学し4年間ケニス・ミラー等に師事する。

クニヨシとは、Alex, Yas と呼び合う仲で、大変親しかったようです。
1920年、クニヨシとキャサリンの結婚の翌年、学友のペギー・ベーコンと結婚します。
収入の為、ジャーナル誌 ジ・アート(The Art)で執筆の仕事をする。 この時に
ガーチュード・ウィットニーに認められ1924年から1927年、ジュリアナ・フォースの
アシスタントを務めました。


上:「モーニング」、"Morning", Oil
下:サバンナ時代の作品。





Margaret Frances "Peggy" Bacon :
Ridgefieled, Connecticut. May 2, 1895 - January 4, 1987.
ペギー・ベーコンは、1895年にカネディカット州リッジフィールドでうまれました。
三人の子供の長女だった彼女は、下の二人の弟を幼児の時、病気で亡くしています。

9歳と11歳の時に両親と一緒にパリで過ごしました。 画家であった父親が自殺し、
その後苦労をしますが、1915~20年、ニュー・ヨークとウッドストックのリーグで
勉強しました。 1920年、アレキサンダー・ブルックと結婚後、ロンドンに移ります。

アメリカに帰って来て、彼女は多くのニュー・ヨークの雑誌や60冊以上の本のイラストの
仕事をしました。 彼女の独特の人物描写は、不思議な魅力があります。



上:「美的快楽」、"Esthetic Pleasure", etching. (6 x 8 1/2 in)
下:「骨董的美」、"Antique Beauty", 1933. (5 x 7 in)

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読書 その三十六 フロク・3-中 学友

2011年02月08日 00時47分09秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)

1921年にクニヨシの家であったパーティーの写真で、撮影したのはクニヨシです。
前列左からアレキサンダー・ブルック、ベティー・スペンサー。 後列左から、イザベラ・
ハウランド、ペギー・ベーコン、ナイルス・スペンサー、ドロシィ・ヴァリアン、そして
キャサリン・シュミット・シュバートの七人。


上:イザベラ・ハウランド、Isabella Howland. (1895 - 1974)
下:ジョージァ・オキーフの像。"Bust of Georgia O'Keeffe" 1960 - 1966, bronze. OMAA.



Niles Spencer. (1893 - 1952)
ナイルス・スペンサーは、恵まれた環境に育ち若い頃から絵画の教育を受けていましたが、
1921年のヨーロッパへの旅が彼に大きな影響を与えました。工場の風景画などで有名。


"Studio Table". 1925. Oil on Canvas, (36 1/2 x 28 1/2 in)


"The Dormer Window". 1927. Oil on Canvas, (30 x 24 in), The Phillips Collection.


"White Factory" 1928. Oil on Canvas, Gift of Walter P. Chrysler, Jr.


Dorothy Varian. Bearsville, N.Y. 1895 - 1985
上:ドロシー・ヴァリアンの写真。1934. b&w, Peter A. Juley & Son, Photographer.
下:ポートレイト・オブ・ユージニ。Portrait of Eugenie. 1936. Oklahoma City Museum.



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読書 その三十五 フロク・3ー下 学友

2011年02月07日 14時44分12秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
クニヨシは、アート・ステューデンツ・リーグでケネス・ミラーのもと4年間、学びました。
その間、彼の人生に長く残る良き友達に巡り会いました。 ニュー・ヨーク、オガンクイット、
ウッドストックとクニヨシが行くところ、何時もアートを愛する仲間が集まったようです。
みんなそれぞれとても個性的で当時の雰囲気を強く反映した作品を多く残しています。



Arnold Blanch: Mantorville, Minnesota. 1896. - 1986. Woodstock, N.Y.
アーノルド・ブランチ:1923年に若い画家達のコロニーに成りつつあったウッドストックに
定住、後にリーグのウッドストック分校で長い間教鞭を執りました。二人目の妻ドリス・リーも
画家で、クニヨシのアーティスト仲間に加わり芸術論に花を咲かせた事でしょう。


上:クリーム・オブ・ザ・クロップ "Cream of the Crop"
下:ラッキーストライク、タバコの広告。



Arnold Blanch's 2nd Wife, Doris Lee photographed by Yasuo Kuniyoshi.
アーノルド・ブランチの二度目のワイフで画家のドリス・リーをクニヨシが写した写真。


上:ドリス・リーのサンクス・ギビング

Henry Schnakenberg: New Brighton, N. Y. 1892. - 1970. Newtown, Connecticut.
ヘンリー・シュナッケンバーグ:彼もリーグで教鞭を執り、1932年にはリーグのプレジデント
を務めました。 アメリカン・リアリストの画家として活躍しました。


Henry Earnest Schnekenberg. 1923 silver gelatin, 26 x 20cm Paul Outerbridge=Photographer.
Archives of American Art, Smithsonian Institute.
上:ヘンリー・アーネスト・シュネッケンバーグ像、1923年(大正12年)、スミソニアン蔵。
下:ドミノ "Dominoes." 1956, Hillstrom Museum of Art's


Reiginald Marsh: Paris, France. March 14, 1898 - July 3, 1954. Dorset, Vermont. 
リージナルド・マーシは、パリに生まれ1900年に家族と一緒にアメリカに帰って来ました。
父は名の知れた壁画画家で、母はミニチュア画画家でした。 彼はニュー・ヨークの新聞・雑誌
のイラストレーターとして活躍しました。 クニヨシの他の学友と同じくリーグで教えています。


上:リージナルド・マーシの自画像




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読書 その三十四 婦人像

2011年02月03日 21時27分00秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
1930年代の彼の作品は、婦人像、静物画、風景画の三つの主な題材に入ります。
彼の二度目のフランス訪問の後、彼の最も頻繁に使ったテーマは女性になりました。
男性像は、それ以来彼の絵の中でほとんど作画されることはありませんでした。

彼の官能的で、表情が無くそして暗くて濃いアイ・ラッシュの女の子は、いろいろの
段階の衣服を脱がせた状態で、喫煙しているか決して読んでいない新聞を持っています。
彼女達は何時もただひとりで、そして静寂で物思わしげな、何かを待っている雰囲気があり
ました。 彼女達の性的な磁気作用は、パスキンの作品を思わせる感傷と憂愁をしばしば
混ぜ合わせていました。

彼女達は、ほとんど強烈に個性的ではありません;クニヨシが興味を持っているそれは、
彼女達の性格と言うより彼女達の感性からの嘆願でした。
「私は、婦人を描くのが好きです。」 彼は言っていました、「しかし私は唯一人の女性を
描くことはしません、私は私の知っているそして感じる全ての女性を描きます。 これは
東洋的伝統だと思います、しかし私の描き方は西洋的伝統です。」


"Circus Girl Resting", 1931 Oil on Canvas (40 x 65 in) Fukutake Shoten Collection,
Yasuo Kuniyoshi Museum. Okayama, Japan

His work of the 1930's falls into three main classes of subjects - women, still-
life, landscape. After his second visit to France his most frequent theme became
women. Men have figured hardly at all in his art since then. His girls with their
voluptuous, expressionless faces and dark heavy-lashed eyes were shown sitting
in various stages of undress, smoking or holding newspapers which they were
never reading. They were always alone and they had an air of waiting, silence
and pensiveness. Their sexual magnetism was often combined with a languor and
weariness that remind one of Pascin. They were seldom strongly individualized;
it was their sensuous appeal he was interested in rather than their character.
"I like to paint women," he has said, "but I don't paint just one woman, I put in
what I know and sense about all women. I think this is in the Eastern tradition,
but the way I paint is in the Western tradition."


"Girl on Sofa", 1925. Oil on Canvas (30 x 36 in) Arizona State University Art Museum,
Tempe, Arizona.
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読書 その三十三 花束とストーブ

2011年02月03日 10時11分36秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
この見解の急進的変化は、 彼の帰国後直ぐに描かれた「花束とストーブ」の中に説明されています。 ここでは真っ向な現実的室内が、基本的には自然主義的スタイルで描かれていました。
彼のほんの2~3年前の作品と比べると、技術の並々ならぬ進歩がありました:顔料は新しい
豊かさで処理され、(使われている)色の幅はより広くなりました。

幻想の消滅は、彼の初期スタイルを原始的に感じさせる新しい写実力によって補わられました、
多くの彼の世代と同じ様に、クニヨシは原始主義がこの現代世界では長く続かない事を発見したのです。


"Bouquet and Stove". 1929 Oil on Canvas. (56 x 40 in) Downtown Gallery.
「花束とストーブ」、回顧展のカタログからスキャンコピー。

This radical change in viewpoint was illustrated in Bouquet and Stove,
painted soon after his return. Here was a straight realistic interior painted in a
fundamentally naturalistic style. Compared to his work of only two of three
years earlier, there was an extraordinary gain in skill: the pigment was handled
with a new richness, the color range was much wider. The loss in fantasy was
compensated for by a new realistic power that made his early style seem primi^
tive. Like many of his generation, Kuniyoshi had discovered that primitivism
cannot last in the modern world.


"Bouquet and Stove"  Wichita Art Museum.  The Roland P. Murdock Collection.
Currently not on display.
現在はウイチタ美術館にあるようですが、展示されていませんし画像も公開されていません。
色彩画像があれば、ロイドの説明で「広くなった色のレンジ」の意味も分かりやすかったかも。
マードックの名前がありますが、史上最大のポンジ・スキームのおかげでしょうか?
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読書 その三十二 パリで学んだこと

2011年02月02日 23時22分30秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
このヨーロッパへの訪問を彼は、後にこう書いています:「私は、フランス現代主義者達に
感心させられました、彼らの媒体に対するすばらし理解力、、、ここには小物のアーティスト
ばかり多くて、ほんの少しの本物の画家だけです。 パリでは沢山のすばらしい画家がいました。

旅行は大きな刺激になったことを証明し、理解能力と先見洞察力を広げました。 
向こう側の殆どみんなが対象から直接描いていました、それは私がこの方やったことの無い事
でした。 殆ど全部を私の想像と過去の記憶からだけで描いて来たので、そのアプローチを変えるのはどちらかと言うと困難でした。」

このことについて拡大して彼は話します、自然からでなくて想像から描いていた初期の頃の後、
何が悪いか気がつかないままに、彼は内に向かいよどんで来ていました。 パリの経験が
彼をモデルと対象へと送り戻したのでした。



Of this visit he wrote later: "I was impressed by French contemporaries, es-
pecially for their keen understanding of their medium......There are so many
little artists here, so few real painters. There they had so many fine painters. The
trip proved a great stimulus, enlarging my scope and vision. Almost everybody
on the other side was painting directly from the object, something I hadn't done
all these years. It was rather difficult to change my approach since up to then
I had painted almost entirely from imagination and my memories of the past."
Enlarging on this he says that after his early years of working from imagination
and not from nature, he became ingrown and stale, without realizing what was
wrong. The Paris experience sent him back to the model and the object.


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読書 その三十一 二度目のパリ

2011年02月01日 10時36分39秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
1928年の春に2回目のヨーロッパの旅が来て、又ほぼ10ヶ月間で、ほとんど全部パリに
居ました。 今回彼は、現代パリの絵画により近くで触れる事になりました。 彼は、パスキン
によく会っていました、パスキンはフィールドの家一つで隣に住んで居た時にアメリカで既に知っていました。 

この恵まれた才能の、官能的で、神経過敏で、その上悲劇的な国際人は、彼を知っているみんなを引きつける影響力がありました、そしてかなりの間パスキンの何かをクニヨシの作品の中に
見ることが出来ます。 パスキンを通してクニヨシはパリの画家達に会いました、その中で彼は主にスーティンを覚えています;しかしフランス語を話せないため彼は誰ともよく知り合う事がありませんでした。 画廊で彼は特にユトリロ、スーティンそしてピカソに感動させられました。 

自身の仕事で彼は全てリソグラフに集中していました、パリの夜のシーンやブロンデル通り、
サーカス。 彼は以前に少しリソグラフをやっています、ジンク板で;しかしここでは石板の
上に描きます、媒体の可能性をより十分に理解して。(彼はこれ以来時により多くのリソグラフをやりました、それでも決してこのパリ・シリーズのように多くはありませんでした。) 

パスキンは、クニヨシにパリに留まるよう説得を試みました、冬の気候と彼のフランス語力の
欠如、生活は惨めなものでした、そして1929年の早い時期に喜んでアメリカに帰って来ま
した。 彼はそれ以来ヨーロッパに行っていません。



In the spring of 1928 came a second European visit, again for about ten
months, almost entirely in Paris. This time he came in closer contact with con-
temporary Parisian painting. He saw much of Pascin, whom he had already got
to know in America when he lived next door in one of Field's houses. This gifted
cosmopolite, sensual, neurotic and tragic, had a magnetic influence on all who
knew him, and one can see something of Pascin in Kuniyoshi's work for several
years to come. Through Pascin he met a number of Parisian artists of whom he
remembers chiefly Soutine; but not speaking French he did not get to know any
of them well. In the galleries he was particularly impressed by Utrillo, Soutine
and Picasso. In his own work he concentrated entirely on lithographs - scenes
of Paris night life, the rue Blondel, the circus. He had made some lithographs
before, on zinc plates; but now he drew on the stone, realizing the possibilities of
the medium much more fully. (He has since done a number of lithographs from
time to time, though never as many as this Paris series.) Pascin tried to persuade
him to stay in Paris winter climate and his lack of French, life became dreary
and he was glad to get back to America in early 1929. He has not been to Europe
since.


Julius Pascin - Julius Mordecai Pincas (March 31, 1885 - June 5, 1930) Bulgarian.
上:ジュール・パスキン:ブルガリア出身、モンパルナスのプリンスと呼ばれた、45歳で自殺。
下:"Hermine in Bed" パスキンが、病気の彼の妻を描いたもの。





Chaim Soutine - (January 13, 1893 Belarus, Russia - Aug.9, 1943), Jewish Painter.
上:シャイム・スーティン:ロシア出身のユダヤ人画家。モジリアニの描いたスーティン。
下:The Landscape "View of Ceret" 1919-1920.


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