パエ-リャ

木製カトラリ-

ボホ-ル紀行 (19)

2016-06-24 09:22:42 | Weblog

途中、スマホナビで見ていて、あれがバレンシアだろうと思った場所があり、

          途中の田園風景の画像が以下になる。 この場所もそうだし、他の場所でもバイクで走っていて素朴に思ったのはフィリピンには空き地が多いということだ。この画像は畑なので、つぶして住宅地に出来ないわけではない。国全体が平らで、山も低く、急峻でないことが余裕を生んでいるのだろう。兎に角、空き地が多い国だと思う。

海辺は浅瀬なので人々が何かを採集していた。

しばらくすると歓迎ア-チに出くわしたので、バレンシア到着は確認できた。が、何故かバレンシアの町自体の画像はない。それまでの町的な場所と比べて格別の印象を抱かなかったためだろう。

ただ、バレンシアの漁港があったので、そこでは写真をたくさん撮ってみた。以下になる。

        何故か、漁船らしい漁船は見かけなかったし、 

                   

        

     

                    

     

人の姿も見かけなかった。ボルネオではどの漁港も海は汚かったが、バレンシアでは綺麗で、漁という漁はしていない印象を受けた。多分、一本釣りが主なのではないだろうか。網ではなくて。

                     

バレンシアでUタ-ンして、ロアイまでの帰りの行程のハイライトは、矢張り、海岸道路を離れて Dimiao (バレンシアとリラの間の行政区画)の山の中にバイクを暫く走らせた部分で、画像も比較的多い。

         周回道路がボホ-ルの表の経済活動の部分とすれば、山の中の村は生活の場の部分だろうし、これらの画像のように谷戸と畑がどこまでも続いている。

           地元の人々の生活をまじかに見られた貴重な体験だったと思う。

           

一言でその様子を語れと言われたら、「貧しくない、全然貧しくない」としか言えない。貧困は都会だけのものだと思う。海岸道路から内陸に入って暫くはコンクリ-トの舗装道路

                  

が続いているが、その先はとんでもないでこぼこ道になっているし、バイクでは何とか通れるが、車では難しいような場所もある。

そんな場所では当然、人家もまばらになるが、時折出くわす民家は、おおむね小さくて粗末ではあ

るものの、貧しいという印象は全然受けない。

基本的には農業経済の自給自足生活が保障する最低限のゆとりがあるためだろう。物理的にはどのような環境かというと、フィリピンの他の村と同じように、沢山のヤシの木とバナナの木の間に羽目板造りの家が建っている、と言えば間違いないだろう。

   

どこに行っても電柱があるし、衛星放送のアンテナも見かけるので電気とかは通じていると思われるが、燃料は薪だ。(大きな街中ではプロパンが目に付く)

                   

で、村には人がいる、当然だが、でも住居の外で見かける人の数は思ったほど多くはない。

       

それより気になったのは、ボホ-ルに滞在中、耕作地は沢山見かけたものの、畑や田んぼと思われる場所に、農作業をしている人を全然見かけなかったことだ。

最初は、日中が暑いので朝早くか、夕方に作業をするのだろうと思っていたが、自分だってかなり朝の早い時間に出歩いているので不思議だった。現在の理解ではこの時期、すでに収穫が終わっていて、畑に出る必要がなかったのだろうと思う。と言うのは、コンクリ-ト道路の脇にはむしろにモミを干している光景がどこでも見られたからだ。