ディミアオの海岸沿いにも、あるいは、その少し先のリラの町の海岸沿いにも活気はある。市庁舎など主な建物がすべて海沿いにあるためかも知れない。内陸部は住宅と耕作地だからだ。
海岸沿いのディミアオのサンニコラス教会の画像が以下になる。但し、教会がすべて海沿いにある訳ではない。
足場があり、何らかのかの作業が行われているが、
2013年の大地震の影響かどうかは分からない。これは自分で撮影した画像だ。以下に、ロアイまでの海岸沿いで撮った画像をまとめて掲載する。
この最後の画像はロアイにほど近い海辺で、内陸の山側から作られている水路コ-スタ-だ。以上はすべて自分で撮った画像だ。
周回道路から一歩離れた内陸部の様子が過去にも他の旅行者も魅惑したのは明らかで、その事は地名に関連つけられている相当な数のグ-グルマップ画像から伝わってくる。そのような幾つかの画像を以下に示す。
最初は、よりバレンシアに近い、ディアミオの行政区の画像だ。
ピンク色の部分がディアミオの行政区で、矢印の先頭部分は海岸から数キロ離れていると思う。そんな場所は以下のようになって
いる。
こんなに奥地でも人が歩いているし、道路の幅が広いのにも驚く。ただ、舗装はされていない。
このような場所で見える典型的な民家の様子が次の画像になる。
フィリピンの農村地帯の民家はほとんど、板張りの外壁を持っている。簡素ではあるけれど、粗末な家だとは自分には思えない。たた、大昔からこのような家だったのかと聞かれれば、多分違うと思う。竹のような気がするが、ボホ-ルで竹を見た記憶は全然ないので、ニッパヤシだったのかも知れない、ひと昔前までは。
ディアミオの海岸沿いの画像もあったので掲載する。
これは前掲した教会からほんの少しだけロアイよりの場所にある、Emirta の廃墟とキャプションの付いた画像で、何なのかはわからない。メトロマニラの歓楽街の名称に同名のものがあるが、辞書で調べてみると以下のような記述がある。 これによると元々の意味は聖地で、毎年人が訪れる場所らしく、まさに歓楽街の名前としてはふさわしかったのかも知れない。「fuente」と出ているので、泉や、あるいは水にも縁のあったのかも知れない。ただ、上の画像は真昼のカタコンベにしか見えないが。
この上の画像は、更に意味が分からない。「Sawang」とは、一体誰のことか、祖先の家なのに随分新しく見えるし、だからガイドブックを離れた探求の旅は面白い。周回道路を離れることで見えるのは、「ガイドブック以外」の切り口で、少なくとも自分にとっては、時には遥かに心を揺さぶるものだ。
次の画像は、ロアイとディアミオの間にあるリラという行政区のものだ。まず、たまたま見つけた航空写真を見てみよう。以下の2枚だ。
最初の画像には典型的な谷戸が映っている。谷戸には往々にして、その構造上、川が流れてる場合が多い。上の画像で、岬らしき部分が見えて
いるが、近接画像が以下になる。 この部分は海を見ながら緩やかに坂を上る気持ちの良い部分で、はっきり覚えている。頂点に達すると、左に緩やかに下りていくと、ディアミオのバランガイ(最小の行政区の単位)に入っていく。
教会は多少の内陸部にもあるし、リラの場合にはこんなに立派な教会もあるようだ。
この後、ロアイの分岐点はタグビラランに向かって、そのまま通過してしまった。バレンシアとロアイの間と比べれば、道沿いに更ににぎやかな箇所が多くなるし、集落の規模もより大きいと、改めて感じていた。
タグビラランの直近の場所では一方通行の箇所も出現するくらいに交通量も増え始める。
これは途中にあるスペイン時代の砦の後だ。
更に、2013年の大地震で壊れてしまった改修中の教会の画像も取得できる。場所的には以下の地図だ。
そして、ロアイからタグビラランにかけては、極わずかだが、少しずつ高くなっているのを走行中に気が付いた。ロアイが標高5mとすれば、タグビラランは標高50mほどはあると思う。
だから、マクタン島へ渡る橋に出るには、海の高さまで急坂を下りないといけない。パングラオ側から見れば、恐らくド-バ-の白い崖に似ていただろう。ド-バ-も石灰岩で出来ているからだ。でも気が付かなかった。