『エデュカシオン エ リベルテ』から
◎ 二〇〇八年の年頭にあたって
南京国際シンポを終えて
昨年は、国際シンポに始まり、国際シンポに終わる一年であった。
ご存知のように昨年は南京事件七〇周年であったので、世界の8カ国で国際シンポを行なった(「南京事件」の表記は国内だけで使用し、海外ではNanking Massacre の表記を使用した)。その締めくくりに12月に東京で国際シンポを行なった。
各国を廻ってみて、各国の人々が日本人-その戦争責任に対する態度-をどう見ているかを、よく知ることができた。
ワシントンDCでの日米シンポを実現してくださった西ミシガン大学の吉田俊助教授は、後にご自分が日米シンポを実現する気になった理由を、こう述べている。
「アメリカにおいては一九八○年代から『日本人は加害者意識が欠如している』といった主張がメディアで強調され」「『国を挙げて過去の負の歴史を隠蔽する日本人』というのが多くの一般のアメリカ人の持つ日本人の戦争観のように思われる。アメリカを拠点として活動する一日本研究者として、多くのアメリカの人々に自国の過去の歴史に批判的な日本の人々の存在を紹介する義務があると思ったからだ」(『季刊戦争責任研究』二〇〇七年秋季号13ぺ-ジ)。
しかしこのことはアメリカだけのことではない。中国、韓国の人々がそうであることは周知の通りであるが、東南アジア諸国やEU諸国の人々も同様である。世界の多くの国の人々がそう考えていることを、殆んどの日本人は知らない。それは、日本のマスメディアに責任がある。このことについて、加藤周一氏は、こう述べている。
「戦後日本は、しばしばドイツ(主として西ドイツ)と比較され、アジア諸国で、また欧米でも、経済的繁栄と共に、戦争責任を明瞭にせず、過去の過ちをごまかしてきた国としても有名である。そのことは日本国内では必ずしも有名ではない。その理由は…大衆報道機関が外国について伝えること甚だ少ないからであり」「日本の大新聞に全世界に関するニューズが占める紙面は、国内のスポーツ記事が占める紙面の半分にも足りない。これは殆んど情報鎖国状態である。そういう途方もない状態は、筆者が少なくとも数ヶ月続けて読んだことのある英・米・独・仏・伊の一流日刊紙には存在しない」(加藤「『「過去の克服」覚書』、中村政則ほか編『新装版戦後日本5 過去の清算』2ページ、16ページ)。
以上のようなことを知り、それを日本国民に広く伝えることができるだけでも、今回の国際シンポの価値がある。
しかしこのような情報鎖国による海外動向に対する無知や内向き志向は、公立学校における日の丸・君が代の強制と無関係ではない。国旗・国歌を公立学校で強制する、それを教育行政の責任者である教育委員会が、しかも首都東京の教育委員会が平然と行なうということは、海外ではとても民主主義国でのこととは考えられていない。
永井愛さんが「歌わせたい男たち」という戯曲をイギリスで公演しようとしたが、先方が受け入れなかった。イギリスの人々には、こうしたことが理解できないというのである。イギリスなら教員組合がストライキをやり、一般市民が激しく非難し、教育委員会は通達を撤回せざるを得ない事態になる。なぜ日本ではそうしないのか、と不思議に思っているそうである。こうしたことも、日本人が情報鎖国状態におかれていることに原因がある。
私たちは、国際的な広い視野に立って、民主主義国における確立された原則を日本に広げながら闘いを進める必要がある。
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース第10号
2008年1月12日発行
東京「日の丸・君が代」強制反対裁判をすすめる会
発行責任者:冨田浩康
連絡先〒160・0008東京都新宿区三栄町6小椋ビル401号
◎ 二〇〇八年の年頭にあたって
南京国際シンポを終えて
共同代表尾山宏(日の丸・君が代裁判弁護団長)
昨年は、国際シンポに始まり、国際シンポに終わる一年であった。
ご存知のように昨年は南京事件七〇周年であったので、世界の8カ国で国際シンポを行なった(「南京事件」の表記は国内だけで使用し、海外ではNanking Massacre の表記を使用した)。その締めくくりに12月に東京で国際シンポを行なった。
各国を廻ってみて、各国の人々が日本人-その戦争責任に対する態度-をどう見ているかを、よく知ることができた。
ワシントンDCでの日米シンポを実現してくださった西ミシガン大学の吉田俊助教授は、後にご自分が日米シンポを実現する気になった理由を、こう述べている。
「アメリカにおいては一九八○年代から『日本人は加害者意識が欠如している』といった主張がメディアで強調され」「『国を挙げて過去の負の歴史を隠蔽する日本人』というのが多くの一般のアメリカ人の持つ日本人の戦争観のように思われる。アメリカを拠点として活動する一日本研究者として、多くのアメリカの人々に自国の過去の歴史に批判的な日本の人々の存在を紹介する義務があると思ったからだ」(『季刊戦争責任研究』二〇〇七年秋季号13ぺ-ジ)。
しかしこのことはアメリカだけのことではない。中国、韓国の人々がそうであることは周知の通りであるが、東南アジア諸国やEU諸国の人々も同様である。世界の多くの国の人々がそう考えていることを、殆んどの日本人は知らない。それは、日本のマスメディアに責任がある。このことについて、加藤周一氏は、こう述べている。
「戦後日本は、しばしばドイツ(主として西ドイツ)と比較され、アジア諸国で、また欧米でも、経済的繁栄と共に、戦争責任を明瞭にせず、過去の過ちをごまかしてきた国としても有名である。そのことは日本国内では必ずしも有名ではない。その理由は…大衆報道機関が外国について伝えること甚だ少ないからであり」「日本の大新聞に全世界に関するニューズが占める紙面は、国内のスポーツ記事が占める紙面の半分にも足りない。これは殆んど情報鎖国状態である。そういう途方もない状態は、筆者が少なくとも数ヶ月続けて読んだことのある英・米・独・仏・伊の一流日刊紙には存在しない」(加藤「『「過去の克服」覚書』、中村政則ほか編『新装版戦後日本5 過去の清算』2ページ、16ページ)。
以上のようなことを知り、それを日本国民に広く伝えることができるだけでも、今回の国際シンポの価値がある。
しかしこのような情報鎖国による海外動向に対する無知や内向き志向は、公立学校における日の丸・君が代の強制と無関係ではない。国旗・国歌を公立学校で強制する、それを教育行政の責任者である教育委員会が、しかも首都東京の教育委員会が平然と行なうということは、海外ではとても民主主義国でのこととは考えられていない。
永井愛さんが「歌わせたい男たち」という戯曲をイギリスで公演しようとしたが、先方が受け入れなかった。イギリスの人々には、こうしたことが理解できないというのである。イギリスなら教員組合がストライキをやり、一般市民が激しく非難し、教育委員会は通達を撤回せざるを得ない事態になる。なぜ日本ではそうしないのか、と不思議に思っているそうである。こうしたことも、日本人が情報鎖国状態におかれていることに原因がある。
私たちは、国際的な広い視野に立って、民主主義国における確立された原則を日本に広げながら闘いを進める必要がある。
東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース第10号
2008年1月12日発行
東京「日の丸・君が代」強制反対裁判をすすめる会
発行責任者:冨田浩康
連絡先〒160・0008東京都新宿区三栄町6小椋ビル401号
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