《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信から》
◆ 「9月入学」論への4つの疑問
全国のほとんどの学校が新型コロナウイルス休校を強いられている。最初に緊急事態宣言が出された7都府県の場合、入学式も出来ないままになっている学校が多い。そこでこの際「9月入学に移行してはどうか」という意見が出てきた。教育行政や国会議員だけでなく、教員や生徒の一部にも賛同する意見があるらしい。検討するのはいいけれど、僕はこれはなかなか難しいと考えている。
ただし、完全に単位制である大学の場合はまた別で、前後期制の前期・後期を入れ替えれば可能だろう。欧米諸国に合わせれば留学の便がよくなるのは間違いないので、考えてもいいと思う。人によって単位取得状況によって秋卒業だけでなく、3年半または4年半かけて春卒業という選択肢も出来る。
しかし、初中等教育の場合は、問題が山積していると考えている。
9月入学が難しい理由は幾つもあるが、まずその第1は「議論が出来ない」という「形式的理由」。
学校は単に学習の場というだけでなく、保護者、就職先の経済界、塾・予備校等の民間教育産業、行事・部活等の関係業界など多くのステークホルダー(利害関係者)がある。
国民全員が学校に通った経験があるから、情緒面も含めて議論百出になるだろう。本来それらの意見を丁寧に聞いて判断すべきだが、今は会議そのものが開けない。
時間の関係で、中央教育審議会への諮問・答申も難しい。そんなことはどうでもいいのかも知れないが、政治主導で拙速に決めてしまっていいことなのか?
第2は「4月から8月生まれの子どもたちをどうするか」である。多分多くの人は「9月入学」と言われたら、4月入学の生徒たちがそのまま9月入学になると思うだろう。
中学や高校の場合は当面そうなるわけだが、小学校の場合はどうするんだろう。
学校教育法には「保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」(第17条)だから、4月から8月生まれの子どもたち(細かくいえば4月2日~9月1日生まれ)は、小学校に入学させなければならない。保護者には行かせる義務がある。
今年は特例で4月入学予定の子どもだけ受け入れたとしても、来年からは「1学期生まれの子どもたち」を小学校に受け入れる必要がある。幼稚園は義務じゃないんだし、「同年代集団」(年度末には同じ年齢になる)を維持するためにはその方がいい。子どもたちの発達は日々進んでいくわけで、初等教育を始める年齢を遅らせるという政策は疑問だ。わざわざ法改正してまですることじゃない。
だがそうなると、ある年の小学1年生の数が4割ぐらい増大することになる。それが学年進行で上の学年に移行していく。
その分、一学年のクラス増、教員増が必要だが、その膨大な予算増加は可能なんだろうか。全国ほとんどの学校で1クラス、または2クラス増えるから、その担任分の教員増になるのである。
また、その学年の生徒たちは、受験・就職が難しくなるだろう。
それをわざわざ望む生徒・親はいないだろうが、じゃあ、法律を改正して、小学生の定義を「満六歳五ヶ月」と変更するべきなのか。
第3は「学校予算が学年途中で途切れる」ことである。公立学校は地方自治体が設置しているが、地方自治体は4月から3月が「会計年度」である。そっちは変わらないわけだから、学年途中で会計年度が変わることになる。
これでは計画的な学校経営は難しくなってしまう。予算は年間計画に基づき執行されるわけで、例えばオンライン授業を進めるICT機器整備などは、額が大きいから事前に計画されている。(景気対策特別事業とかいって、突然予算が下りてくることもあるが。)9月入学になれば、当然学校の人事異動も9月1日付になる。誰が翌年に残るか全然判らない段階で、学年開始直後に翌年(4月から次学年の3月まで)の予算請求を書くのはとても困難だ。
第4は「私立学校への補助金増」である。
世界的に感染者増で学校が閉鎖されている。学校で集団発生が発生したことは少ない(あることはある)が、学校は自営業者と違って補償を求められないから閉めやすいんだという。生徒も保護者も学校に単なる利潤目的で行くわけではない。「学校に在籍する」ことが意味を持つんだから、授業がないだけで政府に補償を求める不利益が生じたとは言いにくい。(完全に単位制で、学費も高額な大学は別。)公立学校の教員も公務員だから、身分は保証される。
しかし、私立学校の場合はどうだろう。私立学校にも今では多くの公費が投じられている。私立高校の学費も多くの都道府県では(全部かどうかは知らない)公費で補助されている。(所得制限はある。)
しかし、来年の9月にならないと次の新入生(新学生)が入ってこない。公費の補助は「学年ごと」だろうから、来年4月から9月までの私立学校(大学から小学校まですべて)は生徒の学費分が入ってこないことになる。それでも教員の人件費や施設運営費はかかる。それを特別に公費で補填しない限り、経営的に行き詰まる私立学校も出てくるんじゃないか。
以上が主な理由だが、財政上の困難が大きい。お金の問題だからよほのメリットがあれば何とか工夫するべきだろうが、そこまでのメリットはあるだろうか。
その他、多くの問題も起こってくる。例えば、公務員が60歳定年とすると(近年定年延長も検討されている)、教員の場合は学年途中ではなく「学年末で60歳」の人が定年退職になる。だから誕生日によっては、ほとんど61歳まで勤める。しかし、9月入学に変わると、4月から8月に誕生日が来る教員は今年8月で突然定年なんだろうか。今年は特例が認められるかもしれないが、やがて変更されるのか。人生設計に大きく影響する。
今年の学校生活はコロナウイルスにより大きな影響をうけてしまった。学習面もだが、今後夏休みも短縮され、出来なくなる学校行事も多いだろう。春の選抜野球や夏のインターハイも中止になってしまった。
今後もいろんな行事が中止になるだろう。あまりにも可哀想だと誰もが思っている。9月入学に変更することで、もっと余裕を持った学校生活が可能になる。小学校入学が5ヶ月遅れたとしても、大学生にもなれば浪人、留年、社会人入学などは珍しくもないから何とかなるとも言える。
しかし、学校の本質は単に教科学習にだけあるのではない。行事を精選しながらも、充実した共同体験を積み重ねることで、今年の学校生活も有意義なものに出来ると思う。
実際に1学期が全部休校にでもなれば別だが、今のところ残された期間をいかに有意義なもののするかを考えた方がいいと思う。
もちろん、入学試験、就職試験などは大胆な配慮が必要だ。(それにしても「大学入試への英語民間試験導入」を潰しておいて本当に良かった。)
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2020年04月28日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/0b5255b2f71093b68bf23b94d915bec4
◆ 「9月入学」論への4つの疑問
全国のほとんどの学校が新型コロナウイルス休校を強いられている。最初に緊急事態宣言が出された7都府県の場合、入学式も出来ないままになっている学校が多い。そこでこの際「9月入学に移行してはどうか」という意見が出てきた。教育行政や国会議員だけでなく、教員や生徒の一部にも賛同する意見があるらしい。検討するのはいいけれど、僕はこれはなかなか難しいと考えている。
ただし、完全に単位制である大学の場合はまた別で、前後期制の前期・後期を入れ替えれば可能だろう。欧米諸国に合わせれば留学の便がよくなるのは間違いないので、考えてもいいと思う。人によって単位取得状況によって秋卒業だけでなく、3年半または4年半かけて春卒業という選択肢も出来る。
しかし、初中等教育の場合は、問題が山積していると考えている。
9月入学が難しい理由は幾つもあるが、まずその第1は「議論が出来ない」という「形式的理由」。
学校は単に学習の場というだけでなく、保護者、就職先の経済界、塾・予備校等の民間教育産業、行事・部活等の関係業界など多くのステークホルダー(利害関係者)がある。
国民全員が学校に通った経験があるから、情緒面も含めて議論百出になるだろう。本来それらの意見を丁寧に聞いて判断すべきだが、今は会議そのものが開けない。
時間の関係で、中央教育審議会への諮問・答申も難しい。そんなことはどうでもいいのかも知れないが、政治主導で拙速に決めてしまっていいことなのか?
第2は「4月から8月生まれの子どもたちをどうするか」である。多分多くの人は「9月入学」と言われたら、4月入学の生徒たちがそのまま9月入学になると思うだろう。
中学や高校の場合は当面そうなるわけだが、小学校の場合はどうするんだろう。
学校教育法には「保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」(第17条)だから、4月から8月生まれの子どもたち(細かくいえば4月2日~9月1日生まれ)は、小学校に入学させなければならない。保護者には行かせる義務がある。
今年は特例で4月入学予定の子どもだけ受け入れたとしても、来年からは「1学期生まれの子どもたち」を小学校に受け入れる必要がある。幼稚園は義務じゃないんだし、「同年代集団」(年度末には同じ年齢になる)を維持するためにはその方がいい。子どもたちの発達は日々進んでいくわけで、初等教育を始める年齢を遅らせるという政策は疑問だ。わざわざ法改正してまですることじゃない。
だがそうなると、ある年の小学1年生の数が4割ぐらい増大することになる。それが学年進行で上の学年に移行していく。
その分、一学年のクラス増、教員増が必要だが、その膨大な予算増加は可能なんだろうか。全国ほとんどの学校で1クラス、または2クラス増えるから、その担任分の教員増になるのである。
また、その学年の生徒たちは、受験・就職が難しくなるだろう。
それをわざわざ望む生徒・親はいないだろうが、じゃあ、法律を改正して、小学生の定義を「満六歳五ヶ月」と変更するべきなのか。
第3は「学校予算が学年途中で途切れる」ことである。公立学校は地方自治体が設置しているが、地方自治体は4月から3月が「会計年度」である。そっちは変わらないわけだから、学年途中で会計年度が変わることになる。
これでは計画的な学校経営は難しくなってしまう。予算は年間計画に基づき執行されるわけで、例えばオンライン授業を進めるICT機器整備などは、額が大きいから事前に計画されている。(景気対策特別事業とかいって、突然予算が下りてくることもあるが。)9月入学になれば、当然学校の人事異動も9月1日付になる。誰が翌年に残るか全然判らない段階で、学年開始直後に翌年(4月から次学年の3月まで)の予算請求を書くのはとても困難だ。
第4は「私立学校への補助金増」である。
世界的に感染者増で学校が閉鎖されている。学校で集団発生が発生したことは少ない(あることはある)が、学校は自営業者と違って補償を求められないから閉めやすいんだという。生徒も保護者も学校に単なる利潤目的で行くわけではない。「学校に在籍する」ことが意味を持つんだから、授業がないだけで政府に補償を求める不利益が生じたとは言いにくい。(完全に単位制で、学費も高額な大学は別。)公立学校の教員も公務員だから、身分は保証される。
しかし、私立学校の場合はどうだろう。私立学校にも今では多くの公費が投じられている。私立高校の学費も多くの都道府県では(全部かどうかは知らない)公費で補助されている。(所得制限はある。)
しかし、来年の9月にならないと次の新入生(新学生)が入ってこない。公費の補助は「学年ごと」だろうから、来年4月から9月までの私立学校(大学から小学校まですべて)は生徒の学費分が入ってこないことになる。それでも教員の人件費や施設運営費はかかる。それを特別に公費で補填しない限り、経営的に行き詰まる私立学校も出てくるんじゃないか。
以上が主な理由だが、財政上の困難が大きい。お金の問題だからよほのメリットがあれば何とか工夫するべきだろうが、そこまでのメリットはあるだろうか。
その他、多くの問題も起こってくる。例えば、公務員が60歳定年とすると(近年定年延長も検討されている)、教員の場合は学年途中ではなく「学年末で60歳」の人が定年退職になる。だから誕生日によっては、ほとんど61歳まで勤める。しかし、9月入学に変わると、4月から8月に誕生日が来る教員は今年8月で突然定年なんだろうか。今年は特例が認められるかもしれないが、やがて変更されるのか。人生設計に大きく影響する。
今年の学校生活はコロナウイルスにより大きな影響をうけてしまった。学習面もだが、今後夏休みも短縮され、出来なくなる学校行事も多いだろう。春の選抜野球や夏のインターハイも中止になってしまった。
今後もいろんな行事が中止になるだろう。あまりにも可哀想だと誰もが思っている。9月入学に変更することで、もっと余裕を持った学校生活が可能になる。小学校入学が5ヶ月遅れたとしても、大学生にもなれば浪人、留年、社会人入学などは珍しくもないから何とかなるとも言える。
しかし、学校の本質は単に教科学習にだけあるのではない。行事を精選しながらも、充実した共同体験を積み重ねることで、今年の学校生活も有意義なものに出来ると思う。
実際に1学期が全部休校にでもなれば別だが、今のところ残された期間をいかに有意義なもののするかを考えた方がいいと思う。
もちろん、入学試験、就職試験などは大胆な配慮が必要だ。(それにしても「大学入試への英語民間試験導入」を潰しておいて本当に良かった。)
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2020年04月28日)
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