パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

立川から最後のご挨拶

2009年03月01日 | 平和憲法
 『ポスティング』(NO.31 2009/1/31)最終号
 ~5年間どう・もありがとうございました!!~
 被弾圧者・救援会・テント村から最後のごあいさつ


 寝耳に水の逮捕劇から5年。かつては「頑張れ」って言葉はあまり好きじゃなかったのに、皆さんからの「頑張れ!応援してるぞ!」って声に心底励まされ続けた5年間でした。どんな言葉に表したらいいのか分からないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとう!
 この闘いで得た皆さんとの豊かな繋がりは、私たちの財産として生き続けるでしょう。これからもどこにでも喋りに行くし、歌いに行きますよ。今後とも末永いお付き合いを、よろしく!!(さっちゃん)
 ついに5年の歳月を経て、立川・反戦ビラ弾圧救援会も解散します。これまでのご支援どうもありがとうございました。
 有罪判決に終わったことは残念ですが、結構こちらが反撃できたことも事実だと思います。全国津々浦々にある運動の草の根の力を示すことが出来たのがこの運動の最大の成果だったと思います。弾圧は、この草の根のカをそぐことこそが目的だったと思いますが、それは果たせなかったのです。ともに、闘おう!(一平)

 あの弾圧がテント村を「つぶす」ためだったのなら、どっこいテント村は健在である。いきなり3人も逮捕されて、長期勾留で、保釈金が必要で、裁判闘争で…、でもそれぞれの個性と力を生かして最後までたたかい切った。この仲間たちをほんとうに誇らしく思う。
 それからこの弾庄をきっかけに出会ったたくさんの人たち。権力が再びなにか仕掛けてきたら、今度は私たちがきっと力になれる。(そんなことはない方がいいけど)(T)
 ご支援頂き、ありがとうございました。イラク派兵反対のビラ入れを禁じる言論弾圧を放置しておくと、日本は再び戦争することになり、若い皆さんが戦場に行くことになります。職争反対の署名を」と呼び掛けることで、高校生を含む若い人達から多くの賛同を頂きました。
 単に紛争がない状態(消極的平和)から、構造的暴力による格差、貧困もない社会の実現(積極的平和)に向けて、声を上げ続けていきましょう。(葛西)

 長い闘いだった反戦ビラ裁判も終結しました。結果は「有罪判決」でありましたが、その後の秋の国連人権委員会の勧告では明白に一連のビラまき弾圧を批判したと思われる内容を引き出せて、一矢報いることもできたかと思っています。
 これまでの全国の皆さんのご支援、本当にありがとうございました。判決を心配していた父親も昨年夏他界いたしましたが、職場を守り抜いたという結果を報告できたことだけが良かったと思っています。今後も、テント村へのご支援をさらによろしくお願いします。(大洞)
 立川反戦ビラ裁判の高裁・最高裁判決は、私たちに「裁判所とは文字通り、なりふり構わず、政治的な振る舞いをするところなのだ」と改めて認識させました。残念ながら、有罪判決が確定してしまいましたが、テント村は相変わらず健在ですし、全国の反戦運動がつぶされたわけでもありません。
 これからの課題はこの判決によって少し押し込まれた部分を押し戻していくことになりますが、焦らずにやっていきましょう。5年間の救援・反弾圧の活動では新しい出会いがたくさんあって、とても面白かったです。みなさん、本当にありがとうございました。(二上節子)

 この事件に関わることは、暴走する警察・検察・裁判所、そして有罪判決を支持する一部の世論に向き合うという、大変不愉快な作業でした。
 けれどそれに負けないくらい、私たちが全く予想もしなかったようなところから、全く思ってもみない形で、本当に様々な支援が寄せられました。そのことでどれだけ救われたことか。本当にありがとうございました。(岡田)
 早いもので弾圧から5年を迎えようとしています。当日のことは割合はっきりと思い出せるのですが、その後のことは慌しさもあったせいかいささか記憶が混線しがちです。
 ただ、手元に届く郵便振替の用紙が随分と馴染み深いものになったことと、そこに綴られた全国の方の言葉は鮮やかに印象に残っています。たくさんの方に息の長いご支援をいただだきまして、本当にありがとうございました。(山本)

 晴天の露麗だった反戦ビラ弾圧。お金の心配なく裁判を闘ったのははじめて、獄中の仲間の窓の下でライブをしたのははじめて、なにもかも新しい経験だった。長く生きていてよかった。全国のみなさん、ありがとう!(加藤克子)
 先日、インターネットで国連・自由権規約委員会のことを調べておりましたら、日本政府への勧告の具体例として「死刑制度」と並んで、「立川反戦ビラ入れ事件」がのっておりました。立川署もまさかここまでオオゴトになるとは思っていなかったであろう。少し反省しろ。
 みんなでオオゴトにできて良かったです。本当にありがとうございました。(森)

 イギリスのミリバンド外相が「テロリズムに対する最高の防御法は(国家を越えた)協力だ」とする論文を発表しました。評価したいと思います。しかし日本では「麻生首相の自宅を見てみよう」とした市民の小さな行動に対して警察は二度も弾圧を加えました。反戦ビラへの弾圧と同じ構造です。
 私たち国民が表現や行為に対してしっかりと発言し、行動を続けて行きましょう。これまでのご支援ありがとうございました。(大沢ゆたか)
 4年にわたった救援活動をたくさんの人とともに担えたことは、ぼくにとっては大きな経験でした。判決は残念な結果でしたが、この間にできたたくさんのっながりは、財産になりました。
 この弾圧をきっかけに、ぼくは駅前でのチラシ配りをするようになり、マイクをとってしゃべったり、活動家っぼくなり、フリーターからフリーライターっぼくなりました。そして、自分の言葉で話すことの重要性をあらためて学びました。たくさんの人に感謝したいと思います。(宗像充)

 『ポスティング』(NO.31 2009/1/31)最終号
 立川・反戦ビラ弾圧救援会ニュース

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