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衆院選で落選し引退表明した義家弘介氏(5
=『紙の爆弾』【ニュースレスQ】=
★ 元「憲法改悪反対」が政界入り後「権力の教育介入」の先兵に
昨年10月の衆院選(神奈川16区)で、立憲民主党現職に3万票以上の大差で敗れ落選した自民党の義家弘介元文部科学副大臣(53歳)が1月6日、「3月末で政界引退」と発表した。
義家氏は14年に「安倍首相の靖国神社参拝問題を出題した東京都立松が谷高校3年政治経済の学年末試験」を国会で非難し批判を浴びたが、これと同様の教育への政治介入を繰り返しており、ここでは2点を挙げておく。
1.教育公務員特例法(教特法)第18条は1項で公立学校教職員の政治的行為の制限は「国家公務員の例による」としつつ、2項で〝違反者〟を処罰してはならない旨を規定している。また人事院規則14‐7は「国家公務員法第102条の政治的行為の制限」の中身を「政治的目的をもって、多数の人の行進その他の示威運動を企画、組織、指導すること。集会で拡声器を利用し、公に政治的目的を有する意見を述べること」(一部略)等を規定している。
しかし義家氏は森喜朗・中山成彬・稲田朋美・下村博文各氏らと結成した自民党の〝反日教組議連〟が09年6月16日、党本部で開いた第8回会合で、呼び出した文科省初等中等教育企画課長(当時)らに、「(06年、愛国心強制等の)教育基本法改正の時、(勤務時間後や有給休暇取得の)教員たちが国会周辺での反対集会に参加し拡声器を使ったり座り込んだりデモをしたりしたのは、人事院規則の政治的行為だ。政策実施の妨害だ」などと迫った。課長は「デモ行進等参加は、必ずしも人事院規則の制限規定に入らない」と述べ、現在も教特法改悪の動きはないが、義家氏の主張は思想・良心・表現の自由を定めた憲法第19・21条に違反する。
2.中学校社会科公民教科書について11年8月、沖縄県竹富町教育委員会は東京書籍版採択を決定。だが保守系の中山義隆市長の下、石垣市教委は育鵬社版(日本会議系のメンバーら執筆)を採択した。
竹富町や石垣市等3市町で構成する八重山採択地区協議会(以下、協議会。小規模自治体は十分な調査研究に支障があると共同採択することがある)が育鵬社を選定・答申していたのを受け、文科省は同年9月15日、沖縄県教委に「竹富町にも育鵬社を採択させる」よう〝文書指導〟した。しかし竹富町は、篤志家からの寄付で12年4月、東京書籍教科書を配布し、授業は順調に進んでいた。
だが13年3月1日、当時文科政務官だった義家氏が竹富町教委と沖縄県教委を訪問し、育鵬社を採択するよう〝直接指導〟。「地方教育行政法第21条6号に基づき教科書採択権を正当に行使している」と回答した竹富町教委や沖縄県教委に対し、義家氏らは〝文書指導〟を繰り返した。
そんな義家氏の経歴を、ここで振り返っておきたい。
86年4月に入学した地元の長野県立高校で喫煙・停学後、2年生の秋、担任教員の頭部にライターで着火する暴力事件で退学処分を受ける。翌88年4月、北海道の私立北星学園余市高校2年に編入し、明治学院大に進んだ。卒業後は学習塾勤務を経て、母校・北星余市高に社会科教員として在職中(99年4月~05年3月。うち担任は3年間)、同氏をモデルにしたTBSドラマ『ヤンキー母校に帰る』等の副業で、〝ヤンキー教師〟として一躍、有名に。
その後、05年4月から保守系の中田宏市長下の横浜市教育委員に就任。5月21日には、名古屋大学で「憲法と教育基本法の改悪」をテーマに講演している。
しかし06年10月、第1次安倍政権が内閣官房に設置した〝教育再生会議〟の担当室長に就任すると、週刊朝日11月17日号で、「教育基本法改正や日の丸・君が代反対の北星余市高の教育は押し付け・洗脳だ」と、母校に決別宣言。07年6月、自民党参院比例区に出馬し当選し、12年には衆院に鞍替えした。計17年の議員生活は、思想・信条を大きく変えて始まったものだったのだ。
(取材・文=教育ジャーナリスト・永野厚男)
月刊『紙の爆弾』(2025年3月号【ニュースレスQ】)
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