◆ 「教師=聖職論」は誰のため? (Yahoo!ニュース - BEST TIMES)
文/前屋 毅
今年9月4日、自民党の文部科学部会はこの日を「教師の日」に制定した。さらに法令用語は「教員」ではなく、「教師」への統一を検討するよう求める施策提案を決議している。そこには、教員を「特殊な存在」にしようとする意図が感じられる。
給特法の見直しがはじまろうとしている矢先での文部科学部会の提案…その狙いは何なのだろうか?
◆ 教員は労働者なのか、聖職者なのか?
1960年代に日教組による超過勤務手当支払い請求の民事訴訟(超勤訴訟)が相次ぎ、しかも日教組優勢の判決が続くなかで文部省は、1967年8月に教員給与改善措置として約63億円の予算要求を行った。超過勤務手当、つまり残業代を支払う準備に入ったのだ。
これに猛反発したのが、当時の自民党文部部会である。その理由は、「教師は聖職だから」という、いわゆる「教師聖職論」であった。
1952年に日教組は、「教師の倫理綱領」を正式決定している。そこには、「教師は労働者である」と明記されている。
そこで自民党が持ち出してきたのが「教師聖職論」である。残業代を支払うことは教員を労働者と認めることであり、自民党としては絶対に認められないことだったのだ。
1965年に自民党から立候補して参院議員となり、文部事務次官まで務めた内藤誉三郎は、教師聖職論の急先鋒ともいえる存在だった。文部省の残業代を支払う方針にもまっさきに反対し、自民党文部部会で「教師は聖職だから、1日、20時間寝ても覚めても教育のことを考えているのが当たり前なのだ」との発言があったことも伝えられている。
内藤をはじめとする自民党議員は、教員は一般労働者とは違う「聖職」なのだから、残業代を要求するなどもってのほか、黙って無制限に働け、と考えていた。
しかし、聖職と言いつつも、日教組と対峙していた自民党が教員を敬っていたわけではなく、むしろその逆だ。
聖職論を持ち出したのは、一般労働者並みの勤務時間と残業代を否定するための「詭弁」でしかない。
この連載の2回目(『教員定額働かせ放題』の根は深かった)で、1948年に「政府職員の俸給等に関する法律」が定められ、教員は一般公務員より約1割高い給与となったことに触れた。その条件となっていたのが、「48時間以上」の1週間の拘束時間(勤務時間)である。
「以上」を付けることで、すでにこの時から教員には「無制限の勤務時間」が押しつけられていたとも言える。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191102-00010836-besttimes-soci
それが教師聖職論につながり、さらには給特法につながってきている。そして、給特法のあとに制定される「人確法」にも当てはまる。
◆ 「人確法」の狙い
人確法は正式には「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」といい、1973年に自民党文部部会によって提言され、1974年2月に施行となっている。
人が民間企業に流れて教員の希望者が減っている時期であり、そのため一般公務員より教員の給与を優遇することで、人材を確保するための法律が人確法だ。3次にわたる計画的な改善によって合計25パーセント引上げの予算措置がとられた。
その第1条に「すぐれた人材を確保し、もつて学校教育の水準の維持向上に資することを目的とする」と謳っているが、実は、本当の狙いはそこではなかった。人確法というと、いつも思い浮かべてしまうのが『日本の官僚 1980』(著・田原総一朗)の次の一文だ。
自民党にとって日教組は仇敵である。その日教組は超勤訴訟をはじめ処遇闘争で強い団結力を誇り、それが力の源泉にもなっていた。教員の給与を優遇すれば、日教組に名を連ねる理由を失う、と西岡は考えたわけだ。離脱する教員が増えれば、それこそ日教組はバラバラになってしまう。
人確法の狙いは、まさにそこにあった。給特法も同じである。
4%の教職調整額を払うことで、教員の処遇への不満を取り除けば、日教組を頼る教員が減る。
しかも、残業代を支払う必要もなくなるし、無制限の勤務時間も正当化される。教職を「聖職」にしてしまうことで、「日教組を骨抜き」にできるのだ。
実際、日教組は急激に力を失っていく。1958年には86%強もあった日教組の組織率は、2018年10月1日現在では22.6%にも落ち込んでいる。
そして、給特法や人確法で確保されたはずの処遇面での優遇性も失われていく。
4%の上乗せではとても釣り合わない残業を強いられ、一般公務員より25%多くなったはずの給与も、ほとんど差がなくなっている。
それに対する教員の不満が募っているにもかかわらず、政府・自民党は教員が納得するような改善策を示そうとはしない。今国会で給特法の見直しが議論されているが、給特法や人確法が制定された当時のような「教員優遇」の動きにつながるものなのかどうか、議論を判断する大きなポイントでもある。
しかし、残念ながらそういう議論になっていくとは考えにくいだろう。
それどころか、教職は「聖職」だと強調することで、残業代を求めたり、勤務時間の短縮を求める教員の動きを封じようとしているとしか思えない。
給特法の見直しといいながら、制定当時の「優遇」の復活もなさそうだ。
国会での見直し議論と見せかけて、「定額働かせ放題」を正当化させる「聖職論」ばかりが浮上してくることが懸念される。
『Yahoo!ニュース - BEST TIMES』(2019/11/17)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191117-00010901-besttimes-soci
文/前屋 毅
今年9月4日、自民党の文部科学部会はこの日を「教師の日」に制定した。さらに法令用語は「教員」ではなく、「教師」への統一を検討するよう求める施策提案を決議している。そこには、教員を「特殊な存在」にしようとする意図が感じられる。
給特法の見直しがはじまろうとしている矢先での文部科学部会の提案…その狙いは何なのだろうか?
◆ 教員は労働者なのか、聖職者なのか?
1960年代に日教組による超過勤務手当支払い請求の民事訴訟(超勤訴訟)が相次ぎ、しかも日教組優勢の判決が続くなかで文部省は、1967年8月に教員給与改善措置として約63億円の予算要求を行った。超過勤務手当、つまり残業代を支払う準備に入ったのだ。
これに猛反発したのが、当時の自民党文部部会である。その理由は、「教師は聖職だから」という、いわゆる「教師聖職論」であった。
1952年に日教組は、「教師の倫理綱領」を正式決定している。そこには、「教師は労働者である」と明記されている。
そこで自民党が持ち出してきたのが「教師聖職論」である。残業代を支払うことは教員を労働者と認めることであり、自民党としては絶対に認められないことだったのだ。
1965年に自民党から立候補して参院議員となり、文部事務次官まで務めた内藤誉三郎は、教師聖職論の急先鋒ともいえる存在だった。文部省の残業代を支払う方針にもまっさきに反対し、自民党文部部会で「教師は聖職だから、1日、20時間寝ても覚めても教育のことを考えているのが当たり前なのだ」との発言があったことも伝えられている。
内藤をはじめとする自民党議員は、教員は一般労働者とは違う「聖職」なのだから、残業代を要求するなどもってのほか、黙って無制限に働け、と考えていた。
しかし、聖職と言いつつも、日教組と対峙していた自民党が教員を敬っていたわけではなく、むしろその逆だ。
聖職論を持ち出したのは、一般労働者並みの勤務時間と残業代を否定するための「詭弁」でしかない。
この連載の2回目(『教員定額働かせ放題』の根は深かった)で、1948年に「政府職員の俸給等に関する法律」が定められ、教員は一般公務員より約1割高い給与となったことに触れた。その条件となっていたのが、「48時間以上」の1週間の拘束時間(勤務時間)である。
「以上」を付けることで、すでにこの時から教員には「無制限の勤務時間」が押しつけられていたとも言える。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191102-00010836-besttimes-soci
それが教師聖職論につながり、さらには給特法につながってきている。そして、給特法のあとに制定される「人確法」にも当てはまる。
◆ 「人確法」の狙い
人確法は正式には「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」といい、1973年に自民党文部部会によって提言され、1974年2月に施行となっている。
人が民間企業に流れて教員の希望者が減っている時期であり、そのため一般公務員より教員の給与を優遇することで、人材を確保するための法律が人確法だ。3次にわたる計画的な改善によって合計25パーセント引上げの予算措置がとられた。
その第1条に「すぐれた人材を確保し、もつて学校教育の水準の維持向上に資することを目的とする」と謳っているが、実は、本当の狙いはそこではなかった。人確法というと、いつも思い浮かべてしまうのが『日本の官僚 1980』(著・田原総一朗)の次の一文だ。
「党内タカ派の議員たちは、人材確保法案に対して『泥棒に追銭』だと反対した。それに対して、西岡らは、『ゲップが出るほど金をやり、一挙に日教組を骨抜きにする』のだと説得した」西岡とは、当時の自民党文教部会長だった西岡武夫のことだ。彼は、給特法成立の立役者でもある。
自民党にとって日教組は仇敵である。その日教組は超勤訴訟をはじめ処遇闘争で強い団結力を誇り、それが力の源泉にもなっていた。教員の給与を優遇すれば、日教組に名を連ねる理由を失う、と西岡は考えたわけだ。離脱する教員が増えれば、それこそ日教組はバラバラになってしまう。
人確法の狙いは、まさにそこにあった。給特法も同じである。
4%の教職調整額を払うことで、教員の処遇への不満を取り除けば、日教組を頼る教員が減る。
しかも、残業代を支払う必要もなくなるし、無制限の勤務時間も正当化される。教職を「聖職」にしてしまうことで、「日教組を骨抜き」にできるのだ。
実際、日教組は急激に力を失っていく。1958年には86%強もあった日教組の組織率は、2018年10月1日現在では22.6%にも落ち込んでいる。
そして、給特法や人確法で確保されたはずの処遇面での優遇性も失われていく。
4%の上乗せではとても釣り合わない残業を強いられ、一般公務員より25%多くなったはずの給与も、ほとんど差がなくなっている。
それに対する教員の不満が募っているにもかかわらず、政府・自民党は教員が納得するような改善策を示そうとはしない。今国会で給特法の見直しが議論されているが、給特法や人確法が制定された当時のような「教員優遇」の動きにつながるものなのかどうか、議論を判断する大きなポイントでもある。
しかし、残念ながらそういう議論になっていくとは考えにくいだろう。
それどころか、教職は「聖職」だと強調することで、残業代を求めたり、勤務時間の短縮を求める教員の動きを封じようとしているとしか思えない。
給特法の見直しといいながら、制定当時の「優遇」の復活もなさそうだ。
国会での見直し議論と見せかけて、「定額働かせ放題」を正当化させる「聖職論」ばかりが浮上してくることが懸念される。
『Yahoo!ニュース - BEST TIMES』(2019/11/17)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191117-00010901-besttimes-soci
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