
以前、知り合いに連れられて陶器やグラスの買い付けに
京都の骨董屋さんに行った時。
お店の隅っこに置かれた仏像に釘付けになり
陶器を見るフリをして、ずっと仏像を眺めてた。
3~40センチ、穏やかな表情で立ち姿の仏像。
嫌いじゃないけど、それほど興味もなかった仏像に
あの釘付け具合は、絶対何か出てたよ。
東京に戻っても気になって気になって。。。
仏像の本なんかを見てても必ず思い出すのね。
「どれもあれには敵わないなぁ」って。
不思議と、その仏像の種類や材質とかそういう事は一切覚えていない。
そんな事はどうでも良くなる「何か」があったんだろうなぁ。
先日、そのお店のご主人に電話をする機会があったので
仏像への想いなんかを楽しく話していたら
「安くしたげるから買う?」って言うから
「安くったって幾らよ?」って聞いたら
「12万円でいいよ」だって。
「じゅ、じゅうにまんえん??」
2秒で諦めましたよ。。。
店では20万円で売ってるんだって。
確かに安くしてくれてるけど、無理です。
「近いうち、観にだけ行っていいですか?」
「おう」
で電話を切りました。
仏像の種類とか、また聞くの忘れちゃった。
きっと知らなくて良い事なんだな。
自分の絵からも、あんな「何か」が出せたら凄いなぁ。
みうらじゅんの「テレビ見仏記」を見て、
仏像を嬉しそうに眺めるみうらじゅんの
サングラスの隙間から見える瞳に、
あの日の自分が浮かんできた。
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