父の声

2011-09-03 | Weblog
台風に荒れる土曜日の夕方。
仕事中に、母&弟から
「父が危ないからすぐにクリニックに来て」と連絡がありました。

大渋滞とゲリラ豪雨の中スクーターを飛ばします。

血圧が下がってしまい、今日明日どうなるか分からないという事でしたが、
今日は何とか落ち着いてくれました。

6月4日に倒れてから3ヶ月。
大きな大学病院の救急救命センターから、小さなクリニックに転院し、
意識の戻らない父の心臓は、力強く動いてくれていました。

3ヶ月、父の容態は勿論ですが、父が一人でやっていた事務所の事や
いろいろなお金の事に頭を悩ます毎日。

父の事だけを考えていたいのに、お金の事なんかに振り回されてる
自分に、心は病んでいきます。
仕方のない事ですし、現実しっかり整理しなくてはいけないのは
分かっているんですけどね。

優しい人だが、頑固で不器用でいつも自分の趣味に夢中で、
正直、母には苦労をかけっ放しの父。
父の事務所にはゼロ戦の模型やピカピカに研がれた沢山のナイフ、
山歩きで集めた日本中の山の石コレクション、釣りの道具、
キャンプの道具等いろんなもので溢れている。

母や妹の女性陣から見れば、家にお金も入れないで…と呆れる品々。
僕は大人になってやっと、父の面白そうな趣味について
たくさん話を聞きたいところだったんだ。

全てこれからだったのにね。
まだ59歳だもの。

頑固で不器用で勝手なもんで、あまり友達も多い人ではない。
この辺は僕自身完全に血を受け継いでいる。とほほと笑ってしまう位に。

ひとりで何か夢中になってばかりのクセに、本当はとても寂しがりやなんだ。
そんな事も分かって来た長男は、これからもっともっと話をしたかったんだよ。

誰の言う事も聞かないから、病院だって最近やっと自発的に行き始めてたのにね。
薬もちゃんと飲んで、健康にもやっと目を向けて、
今度は自転車にハマっていたところでした。

僕は父がどんな男かを知っている。
勿論、母や弟妹も。
意識も無く、大嫌いな病院の狭いベッドで過ごすなんて嫌に決まってる。

大きな病院から僕が付き添って小さなクリニックに運んだとき、
そこにはエレベーターも無くて、シーツに包んだ父を、看護師さんたちと一緒に
二階に運ばなければなりませんでした。

僕は父の頭を支え、階段を上っていました。

その時、ずーっと閉じていた父の目がパチッと開いて僕を見たのです。
勿論、意識は無いと言われていますし、
何か身体の電気的な反応かもしれないのは分かってます。

でも、僕はこの時はっきりと父の声が聞こえたのです。
「もういいよ、やめてくれ」と。
何なのか分からないけど聞こえたのです。

全身の力が抜けそうになるのを必死に堪え、僕は父の頭を支えました。
「分かってるよ、でも家族の気持ちも考えてやっておくれよ、ごめんよ」と
心の中で父に言いました。

僕は父がどんな男か知っています。
僕にこんな姿を見せたいわけがないのです。

分かってるんだけどね。
もう少し、家族の為に闘っておくれ。