宮城から戻った友人を囲んでお酒を飲む。
四十近い男女5人が、ずっと泣いている異様な居酒屋。
現地を見てきた生の話は壮絶でした。
まだ、何も終わっちゃいないんだもんね。
友人は、また少ししたら戻るそうです。
僕らは働いて、彼をバックアップさせて頂く。
僕の絵も多少はお金に変わってくれるので、少しは役に立てる。
毎日 暖かい。
空の色も 桜の色も いつもと変わらないのにね。
仕事用の 新しい靴が欲しい。
もう 底に穴が開いているんだ。
雨が降ったら 大変だ。
さくらまつりは中止かな
やればいいのに。
たくさん人に集まってもらって、義捐金も募ればいいのに。
東北の酒蔵のお酒も買ってもらってさ。
地震で電気も止まって、温度管理も出来なくて、
寝ないで温度を見守って造った酒蔵のおじさんが言ってたよ。
「自粛の気持ちはありがたいけど、お酒ぜひ飲んで下さい」って。
ただ家にとじこもっても、なんの役にもたたないもの。
みんなで被災地の事をしっかりと胸に留めて、
その上での行動ならば、笑ったってお酒を飲んだって良いと思うのです。
胸の中にあれば、必ず何か役にたてると思うのです。
ない人も、家に閉じこめても電気ばかり使われてしまうので、
外でお金を使ってもらって、経済をまわしてもらいましょう。
数日前、
宮城で被災し、行方不明になっていた友人が亡くなっていたと連絡を受けました。
震災直後、彼が海側に居たらしいという事を知り
東京のご家族や仲間でいろいろと問い合わせも試みましたが、
それすらなかなか難しく、僕らは心配するだけで何も出来なかった。
数日後、道路も復旧しだしたので、弟さんと仲間一人が現地に向かいました。
弟さんは気を使い「ひとりで大丈夫です」と僕らに言いました。
でもやっぱり心配なので、友人と一番付き合いの長い仲間が一人付き添いました。
現地から入る仲間の連絡は、あまりにも凄まじく、
僕はただ呆然とするだけでした。
そして数日経ち、弟さんから電話がきました。
「兄ちゃん、死んでました」
彼はそれだけ僕に言いました。
毎日、テレビや新聞で被災地の様子を目にし、
時間もどんどん経っていき、皆ある程度覚悟はしていました。
でも、弟さんからのたった一言の連絡を受けて、
僕は何も言えなかった。口を開いても何も出てこないのです。
少しして「残念です…」と言えただけ。情けない。
きっと、向こうで大変な思いで探したでしょう。
それで、やっとやっと見つけたのでしょう。
それなのに、東京でいつも通りの生活を送る自分が、
なんの言葉もかけてあげられない。
本当に情けなく悔しいです。
たくさんの方が亡くなり、まだたくさんの方が行方も分かりません。
「見つかっただけでも良かった」なんて言いたくないのです。
皆、家族や友人がいて、生きていてくれなきゃいけない人たちです。
本当に残念です。
「お前は何をしていたか」と、毎日心の中のもうひとりの僕に問われます。
その通り、何も出来ませんでした。ただ心配していただけでした。
いつも通り仕事に行き、不安から逃げる為に笑っていました。。
友人の死の知らせを受ける数日前に夢をみました。
津波に遭い、人ひとり分位の小さな島で怯える僕を
彼が手漕ぎボートに乗って助けに来てくれました。
ニコニコと優しく笑いながら。
「田舎暮らしの方が自分には合うから、彼女も出来るかもね」と
ニコニコと話していた、僕が最後に見た笑顔でした。
本当は僕が助けなきゃいけなかったのに。
ごめんね。